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noise&randomness

転職しよう。

朝のラッシュをかいくぐり、仕事場に着く。9時に労働がスタート。5時に向かって、時刻のカウンターが減っていく感じ。今の仕事は、非正規雇用だから、いくら頑張っても、出世するわけでもないし、スキルアップの見込みもない。他の人に追いつこうという気も起きない。場違いなところにいるという感じ。会話も成立しない。

「工場英語」と言うのがあるらしい。

東南アジアなどの海外資本の工場で現地の人に対して監督官が使うもので、動詞しか使わないらしい。

5時の解放。図書館に寄って、現実逃避の読書、3時間。電車を乗りついで一時間半。割引シールのついた惣菜パックを買って、車や自転車をよけながら、家に着く。悩みは、通勤時間の長さと、社会的なつながりのなさ。何だろう、これ。

前の仕事が強制終了だったから、つかれていたらしい。自分にふさわしい仕事を選ぶ間がなかった。

「みんなが頑張っているから」というのは、自分が頑張るための理由にならない。
その論理なら、自分は頑張らなくてもいいんじゃないか、と思う。「生活のため」にしても、私の場合、その生活が、「生活って何?」と言う状態だし、「食いつなぐため」と言っても、どこにつなぐというのか。

プライベートに少しは楽しみがある人なら、仕事は仕事と割り切れるかもしれない。が、私は。

私は派遣としてコンピューター関係の事で働いていたが、まさに、時間をお金に換えているという働き方をしていた。なぜ働くのか。食っていくために? これが食っていくということなのだろうか。仮に、これが食っていくということならば、何のために? 生きているために。それは何のために。死なないため。なぜ? というところまで行きついてしまう。

つまり、ネガティブな考えに則れば、「食っていくために仕事をしている」はい。ということになるし、つづけた方がよかったということになる。それほど忙しくはないし、勉強する時間もあるし、図書館も使え、人間関係さえ、あと少し「我慢」すれば、自分の好きなことをやるのに、都合がいい仕事の形態だっただろう。

しかし、本当に「我慢」の暁に楽しい将来が来るのだろうか。私の経験ではそれはない。いきなり「褒美」が舞い込んでくるわけでもないだろうし。何より、私自身が困難な環境、人を見下して卑屈につせるようなものや、それこそね大量生産ラインで動かそうとする者とかかわりながら、努力できたためしがない。ストレスで、歪むだけ。ストレスがなくなったら、ほっとして、何もしなくなる。

それに、「勉強」している時間が本当に残されているのだろうか。「勉強」の場が与えられたら、勉強しているだけなんじゃなかろうか。

欲望が、もしくは、この場合、行動の根っこが自分から離れたところにあって、そこからスタートしているから、自分に必要でない者を欲しがる時、個性があいまいになってゆく。

私は何がしたいのか。楽な仕事ではなく、楽しい仕事をしたい。そして、能力があるなしではなく、いい人たちとかかわっていきたい。それが私のモットーて、これがポジティブに考えるということ。自分のことを考えて仕事を決めるというのがポジティブに考えることで、ネガティブに考えるというのは、社会的圧力から考えて仕事を決めるということになる。人それぞれあるだろう。私の言うところのネガティブに考えた方が、楽だし、かえってストレスがないし、プライベートを充実されればそれで済む。というタイプも多いだろう。しかし、わたしはそれでは免疫力が下がる。

それでは決まり。ポジティブに考えたら、やめる気になった。

根本は、誰のために仕事をするのか。誰かのためというのは、わたしは、大きな要因だと思うよ。でも、私には、その要因がない。ありそうでなかったということだ。

昔も同じ。通っているときは、状況をごまかしていただけ。卒業後も、「あの頃」を失いたくない。と、何とかつながりをつけたがっていただけ。そこで何もできず。他の者は自分の道に進んでいたというのに。それと変わらない。つまり、自分が相変わらず、状況に頼り切って、自分では何をしたらいいのかさえわからなかったということだ。3年間も何をしていたんだ、ということだ。

私の弱点は、人間関係だ。それでは与えられた能力も使えないし、与えられて時間も捨てているようなものだ。そういう者とかかわるのは、社会的・経済的・時間的圧力のせいだ。ずっと、小学校から中学一年まで、どうして勉強できたのか、と考えていた。中二の頃から、状況が悪く、自分が卑屈な立場になるということで、人と仲良くなろうとする方法しかわからなくなったからかな、と思っていた。しかし何より、昔は、商店街の気のいい人と友達で、大人も可愛がってくれる人が多かった。そこでストレスを感じなかったから、あまり勉強せずとも、理解力を発揮できたのだろう。尊敬や信頼がある。弱点を埋めようとしていても進まない。

人生、ここにいたって、反省したり、自分を見つめ直すことはない。性格も変わらないのなら、ただ我慢するだけ。そして、我慢は必ず人をゆがめる。人をよくするのは、仕事と人間関係だ。moneyの力で、悪い部分を隠すことはできる。自分からも。しかし、人を培うのは、広い意味の仕事と、それに伴う人間関係の構築だ。だから「良き縁」を求めなくてはならず、そのためには、真面目に考えなければならない。自分の特性を。
わたしに今の状況を抜け出す力は、ほとんどないと思う。今までの人生からして、また、実績から見た可能性として、思っていることを達成するのは困難だろう。今の状況は好きじゃない。それでも、まだ生きている。生きている限りは、性格上、あがきつづけるだろう。そして状況は変わらないだろう。
状況を変えられないのなら、軸を変えてやる。今までの延長線上ではなく。
自分の事はもうたくさん。意気投合した人のために動くのが、何よりがんばれる。このボジショニングはコンピューターで言えばハブ。クライアント端末(パソコン)同士をつなぐもの。元素で言えば、炭素原子。それ自体は、希少なものではないけど、多くの元素とつながりやすいという特性を持っている。酸素以前に炭素原子がなければ、生命は生まれなかっただろう。

世界に対するコミュニケーションの仕方を変えないと。