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自分の特殊な「欠点」は何なのか。

人は、こどもの頃は、自分がいわば、世界の中心にいると思い込んでいる。それが成長するにしたがって、世界の中心ではなく、世界を作る一員としての考えに移る。

この、考えとしての天動説から地動説への移行が、大人になるということであるが、これが、悪い状況により、上手くシフトできないと、年を重ねても、幻想を抱くことになる。頭の中では、地動説に移行はしているのだが、行動がまだ天動説のままにいると、言い訳がましい理由を立てながら、まだ幻想に浸っていようとする。

いわく、「状況が悪かったから」「やればできる」「せめて、人並みの環境があったら」

そうして状況が悪いということを自分の状況の前提にしたうえで、自分の考えを頑なに変えようとしないから、なお、甘える口実を探し始める。

年を重ねるにつれ、習慣となった考えを変えるなどという、「面倒な」事をするくらいなら、愚痴をこぼしながら、慰めを求めていた方が楽なのである。

現実には、特に人と話すときには、「ダメな自分」を吹聴しながら、プライベートでは、というか、一人になると、自分を慰めるための、もしくは、自分の「天動説」を証明する論理を組み立てる「道具」をかき集める。言動にいちいち正当化を主張しながら、自分の天動説で飾った精神の小屋に引きこもるのである。

精神の世界で、「公私の区別」をつけてしまうのだ。

ちょっと言い過ぎたかもしれないが、なぜここまで言えるのかと言えば、これは、自分の事を言っているからである。「人は」とか、言っておきながら。

ところが、が、5月くらいから、わざと睡眠不足にして、100冊ほどの読書をして、仕事を9月で止めることにして、時折意気投合した人とアルコールを混ぜながらトークをしたら、何か、幻想が取れてしまった感じがする。

諦めない。何をあきらめないかわからなくても、諦めない。

前から、うすうすは気づいてはいたんだけど、時期が来ないと変えられないってものがあるじゃん。禁酒のように。

アダムとイブが楽園を追放されたように、その時期が来たのかね。

以下、その幻想をあげてみると、(別稿)

「だれとでも仲良くなれる」幻想。

「場を作れる」幻想。

「立派」幻想。

「理系」幻想。

「頭がいい」幻想。

「オリジナルのものを作り出せる」幻想。

「一人でできる」幻想。

「満を持してから」幻想。

「得する」幻想。

「ものごとをわかっている」幻想。

「いい子」幻想。

「一人前の社会人」幻想。

「理解力がある」幻想。

「教養がある」幻想。

「動じない」幻想。

「まともな人間」幻想。

「自分は大人」幻想。

「人並みのものが手に入る」幻想。

「人並みの扱いを受ける」幻想。

「せめてこれくらいは」幻想。

「これくらいなら」幻想。

このくらいかな。

最後の方は、半分言葉遊びだけどね。

こう言った幻想は捨てるのに限るけど、自分の場合は、幻想から逃げることにした。そうした幻想を起こさせる場から逃げ、そうした幻想が必要な立場から逃げる。「さようなら」は、こういうところで使う。

天動説を放棄すると、ダメな自分っていうのが露わになるから怖いんだよね。それで、その怖さを隠すために、さらにごまかすための虚しい論理や、小手先の行動でごまかし続けたり。

だつて、自分がしがみついているものを外したら、自分に何が残るの? それを見るのが怖い。自分が世界の中心ではまったくない、と言う幻想を外したら、やるべきことがものすごく出てくる。すべて、計算のし直しだからね。

でも、自分の場合だけど、「生きていたい」、と思ったら、幻想が外れてしまったんだ。

今までだって、何べんも、そう思ったことはあったけれど、今回はすでに外れかかっていた下地ができていたんだと思うね。

自分は、楽しさを増幅したり、長所を伸ばそうとしたりするのではなく、困難を克服したり、苦しみを我慢したり、しっかりした自分を示すような方向に進む傾向がはなはだしくあった。まったく、失敗する可能性に敢えて進んでいた。それが現在の結果。

できるならいいけど、できないなら、進むべきじゃない。引き返さないと。

苦しみが大部分を占めるような方向に行ったら、失敗するに決まっている。結果、自分を苦しめるし、他人を混乱させてしまう。教養がないということは、自分の方向性を見いだせていないということだ。

くるしいのは、自分以外の誰かに成ろうとしていることだ。

自分にどのようなプレッシャーを与えるのか。歓びにつながるプレッシャーか、苦しいだけのプレッシャーなのか。

上手くいく、と言うより、苦しみが少ない方へ向かう。自分の場合、苦しみの大部分は、人間関係を含めた、合わない人間とのかかわりがすべてだ。

私がすべて引き受ける必要はない。自信をもてるようなことをしようよ。ということ。

あるがままの自分、ということとは全く違う。「才能がない自分」を認めた上で、じゃあ、好きな人と仕事をするにはどういう工夫をして、実力を示すのかって話。

「できない」のなら、やめる。「できなさそうなら」、やらない。こんな簡単なことが分からなかったのは、自分が「できる」と言う幻想があったのと、「受け狙い」「ネタ集め」で動いていたから。その結果。状況に期待してはいけない。「周りが支えてくれるだろう」「自分にはあれがあるから、これがあるから、耐えられるだろう」と言うのもまた自分を見ていない幻想だ。その幻想「込み」で選択すれば、失敗し、苦しみが生ずる。

幻想を外さないと、奇跡が起きても、受け取れない。

草間弥生さんは、子供のころからの幻視を作品にしたと聞く。

自分の特殊な「欠点」は何なのか。