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民俗学漫談*構造としての神社

教会に対してキリスト教

お寺に対して仏教

という事で言えば、神社に対して神道(しんとう)。

という事なんですが、これほど、舞台装置と教えの名称が重ならない宗教は珍しいですよね。宗教と呼べればだけど。

神仏分離させちゃった後の神社だからね。

神社は何を信仰する場なのか

信仰の対象は?

いったい、何に対して手を合わせているの?

「神様」だよね。

決して民俗学でもちいる「カミ」ではないよね。

「神様お願い」の神様だよね。

普通さ、宗教ってのは、見返りを求めるよね。

健やかな生を約束する代わりに、決まり事を守りなはれ。と。

これ、戒律(かいりつ)って言われるんだけど、みんな、神社に行ってお願いする代わりに何か守ってますか。

別にないよね。神棚を置いている家は、それを守っているだろうけど。

何で、こうなんだろう。

神社は個人的なものではない

それは、神社がもともと個人的なものではなく、共同体のものであったからじゃないのかな。大きな神社から小さな社(やしろ)まで。

祭りは個人でやんないよね。

一人で街に繰り出してカーニバルを始めたら、ちょっちシャレがききすぎている。

祭りの前は、宴会だった。

それは、狩猟から帰ってきて、御馳走を食べ、飲み、歌い踊り、物語を聞かせた時から始まった。

だから、これらの事は人間は今でも大好き。

宴会の形式を、祭に持ち込んだ。

祭りに必要なのは、空間と、時間の設定だね。

ある空間と時間で区切られた祭のときに宴会を持ち込んだ。

共同体がその発展や保全を願った時に、ただ願ったんじゃ、何も変わらないから、願う行為の一環として宴会が、この場合、祝宴が行われるようになった。

祭りってのは、それまでと同じ空間に、それまでとは違う、別次元の空間を呼び起こすことなんですよ。一時。

労働だけならネアンデルタール人でもやっていたでしょう。ホモ・ファーベル(労働の人間)とホモ・ルーデンス(遊ぶ人間)を分かつのは、手探りで自分の力で、その瞬間まで存在していなかったものを創り出せる者かどうかということですよ。

場を作るんですね。人間は。

祭りの場としてある。外なる中心

それが神社。

神社って、スコーンと抜けていますよね。

野菜育てたり、田んぼをつくったりしませんよね。

森や林とも違う。

それは、共同体の祭りの場だったためなんじゃないか。

「日本には街に広場がない」と言われますね。確かにありません。江戸の町とか。

でも、神社が広場の役割をしていたこともあったんじゃないかと。

神社で仕事をしてみればわかりますがね。普段はなんもないんですよ。

たまに手を合わせに来る人がいるくらいで、後は子供が遊んでいる。

こっちは空を眺める以外にやることがない。

夜は別としても、昼間は鳥居の内も外も同じです。同じ空間の密度です。

祭りの時と、夜だけ聖なる場に変わる。

それが神社なんだと思いましたね。その時。

リバーシブルですよ。

リバーシブルじゃない。

フレキシブルです。

時に応じて、場が変わる。

これって、一昔前の日本の家と同じですよね。茶の間が夜には寝室となり、祭のときには応接間になり。と言う具合に。

当然、一つの文化ですからね。構造は似てくるんですよ。

 

次回につづきます。「宗教のサブカル化」について。