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noise&randomness

民俗学漫談*絵巻物*仏像

絵巻物について

絵巻物は、奇譚(きたん)、不思議な話に仕立ててあるものがほとんどです。

書物にたいして、絵巻物は、スクロールしていきます。

スクロールは、今は、ディスプレイに表示させたものを動かすことに使われていますが。元々は、巻物の意味です。

巻物は読むときに広げますよね。あれがスクロールです。

絵巻物は日本で発達した形式です。

日本人は、絵で物語を語るために、巻物というフォーマットを用いました。

時間が過ぎるごとに絵が変化して、物語が進行してゆく。

途中で詞書(ことばがき)とよばれる、ナレーション的な説明文を入れたりしてます。

で、アニメーションの走りなんて言われてます。

日本のアニメの発展は、絵巻物の文化があったからじゃないかと言われていますが、分かりません。というのも、室町時代を最盛期として、急に作られなくなったからです。

掛軸があるじゃん、と思うかもしれませんが、あれは絵です。物語ではありませんので、ふつう、絵巻物とはいません。

例えば横山大観の「生々流転」なんて、絵巻物と言えるかもしれませんが、伝承をまとめたものを絵巻物という事からするとあれも絵画であって、絵巻物ではないのかもしれません。

でも、絵巻物があり、紙芝居があり、漫画に続く日本の視覚表現文化があってこそのアニメの発展だとは思います。

仏像というメディア

そもそも私は、仏像も視覚表現だと思っています。

あれは、メディアなんですよ。

仏教が伝来して、日本人は、むしろ、その哲学を統治に役立てる部分だけ受容したんですね。

信仰は、どこに行ったのかと言うと、仏像なんですよ。

あの美しい仏像を見て「仏教すごい」と思ったわけですね。

仏教の深遠な哲学が、いきなりわかるわけがない。

漢字が伝わってきて、200年もたっていない。ほとんど間をおかずに万葉仮名を用いていたとしても、それはまだまだ自分たちの文字とは呼べません。

信仰の目を開いたのは、仏像ですよ。

詞ではなく、現物に威力を感じたわけです。

仏教の経典は、知識として欲していたのであって、現世の欲で接したわけです。

完成された仏像の威力でようやく「有り難い」という感覚が芽生えた。

信仰の第一歩ですね。

あの仏像の力によって、ようやく、不安を和らげることができた。

やはり、そこはイメージの力、物(ぶつ)の威力なんですよ。

仏の教えよりも、仏(ぶつ)なんですよ。仏(ぶつ)で、像ですから。

仏像がなかったら、日本に仏教はひろまっていなかったはずです。

「仏像フィギュア」というものがあるらしいんですよ。

なんか、二重表現というか。

仏教の哲学や倫理よりむしろ精神性を形にしたものが仏像なら、仏像フィギュアは、形だけですよね。「宗教の形骸化」という言葉がありますが、それのリアルな形てすよ。「宗教の形骸化」は、批判語ですから、つくらんでいいんですよ。

こうやつて、批判語をリアル化すると、新しいアートになるかもしれません。