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お仕事話。

私は、仕事の事をあれこれ言えるような立場ではないんですが、まあ、フィクションとして読んでください。

それではスタート。

仕事は状況を作ること。

一人で完結できることは楽しくないから、一人で完結しないようにもってゆく。たとえば、作ったものは、人に見せてみる。と、その人とのprojectになってしまうから。もう、こっちのもの。面白いよね。

状況に対して、ぎりぎりまで接近しているんだけれど、決して入ってはいかない。

とにかく進む。進める道に進む。進めるうちに進む。やがて向いている道に進むから。これが。20代では自分が何に向いているのかは、うっすらしかわからなかった。

projectが決まったら、編集ソフトやレイアウトソフトを用いて、ideaを可視化したものを作ってみる。人ともに検討、修正の繰り返しで完成に至る。

自分の理性なんて、よくわからないものは信用していない。仕事のすべては、他人からの依頼から始めている。潜在的な依頼を浮上させているってのはあるけど。

仕事とのうちに含まれる多様な価値を見出し、区別をつける。

自分の思いを通すより、歓迎してくれる場所に行った方が、楽しいって。

思考のstyleが表れ出たものが編集styleといえる。

普段何を考えているのか。普段、物事をどのように捉えようとしているのか。これが仕事ぶりに表れます。

意気投合するためにいる。

仕事の前提に、意気投合がある。

触媒探し。

決定すればいいってものでもないよ。

思想とかイデオロギーとかいうものではなく、立ち居振る舞い、姿、つまりstyle。

批判とか、指導などという言葉は頭にない。

ものは、早く完成させて、まき散らさないと。

人に見てもらわないうちは、何とも言えないからね。

一つのやり方を止められたら、二の手、三の手を考える。

「これはこうである」なんて、定義づけられたら、その定義以外の使い方を考えたくなるよね。

10年、20年まして、その先にまで通ずるようなものを作ろう、なんて、尻込みするよね。

ものを作るときは、依頼してくれた一人のために作っている。

仕事って義務じゃなくて、チャンスと思っている。

どうしたら楽しくなるのか、そればかり考えている。もう、ずっと。

楽しいか、そうじゃないかは、切実な事柄。

一人じゃ何も為し得ない。というより、一人だとやることがないわ。夕焼けを背景として、ブランコでもしていようかというくらい、何も。

writingより、speakingより、talkingのほうが伝わる。…伝わるんじゃないな。さしあたっての、goalが見えるというか。

やれる人がいないものは、すべて引き受けるためにいる。そういう分業制。

他の部署の人と、個人的に連係プレー。バーチャル組織を勝手に作る。

仕事上の物事を片づけるためにあると思っているのではなく、物事の可能性を見ようとしている。

非公式で、権限に基づかないprojectを始める。

必要のない仕事や努力をしないための整理整頓。頭の中も含む。簡単にして、ブーストです。

製作物におけるstyleは、designに限ったことではない。そのものをどのような手段で、どのような時に、どのような人たちに渡すのか、見せるのか。そうして、その人たちのうちにどのような感覚、価値観を起こさせるのか。そういうものも含む。

真面目に真面目な事を語らなければならないような立場に自分を持っていかないように、日々、配慮している。真面目に真面目な事を語らなければならないような状況になっているということは、追い込まれているということ。

必要か、否かではなく、どのような在り方が適切か。という事。

自発性、おのずから。これらは、自ら行う主体性の話とともに、そうなっているのが自然、そうするのが当たり前、というような環境が先にあって、行う事も含まれる。自然発生的という意味。

自分の内にある権威的なものをかわす。ステップを踏むように。

考えているというより、試している。

考え続ける。作り続ける。すべて違うと思って何も作らない。しかし、思考方法は残っている。何かのきっかけで、いきなりできる時がある。

仕事だって生活なんだから、生活のため仕事って、言葉からして矛盾している。

一つの物事について、三つでも四つでも説明がつけられるよ。誰でも。

頭に浮かんだ物事は、自分の行動には残さず、ただ雑談に使う。相手が「いいね」と言ってきたら、行動開始。

一言、相手が喜びそうな言葉を添える。できれば、センスを感じる具体的な言葉を添えてみる。

ポスターや動画を見て、「こういうものを作りたい」と思ったものは、既にそれを作る技術は持っている。

「みんなが頑張っているから」というのは、自分が頑張るための理由にならない。その論理なら、自分は頑張らなくてもいいんじゃないか、と思う。

わたしにとっては、好きな人が頑張っているからというのが、理由になる。

自分の内面から生ずるものは頑張るも何もない。

生活費を稼ぐというより、仕事をするためのお金を稼いでいるという方が近い。お金という点からいえばだけれど。

実践本に書いてある手法より、己のstyleを見出す方が実際的。難しいけど、難しいから価値がある。

一歩を進めると、リアルに立ち上がってくる。

意味のない事をしゃべるのは、何も言っていないのと同じ。自分の心の混沌に耐えきれてません、と言っているようなもの。

 

はしゃぐことは、照れているあかし。自分の内に湧き起こる感情に対する照れも含めて。

面白くなくても飽きても依頼されたらやってみる。それで鬱になったら全力で引き返す。

自信があるなら、やったら好い。自信がないのならやめたらいい。

ゴールが見えているならば、全力で突っ走る。甘い締切設定をする自分には「違う」と言わないと。

「何が苦手」とか言うと本当に苦手になる。

場を人を発展させられる人間と言うのは、性質が、明るいかどうか。

苦手な事がたくさんある自分。人並みの事は努力しないで出来ると思っていた自分。人並みの事が難しいのだったら、人並み以上の事をするしかない。

最低限で事を成し遂げようとする人々。雑談というものがどれほど重要か。

耐え忍ぶのでもなく、忍耐を破るのでもない方法は、得意な事を遠慮なくやる事である。

祝福装置としての自分。

公的な自我としての自分を示してみせる。

場を人を発展させられる人間と言うのは、性質が、明るいかどうか。

参考書は、始め、半分わからない程度がちょうどよい。読書は、2割くらいわからないのががちょうどよい。

立派な意見に対する正直な拒否。

寡黙な人って、ああ、この人は自信があるんだな。って思うよね。

活躍しないと、ぐうたらになってしまう性質なのだから、何としても、活躍しないと。

人々の義務が自分にとっての義務なわけではない。家庭を持てる人間と、家庭を持てぬ人間とは守るべき義務は同じではない。それを勘違いしているから、多すぎる義務の前で、どれを選ぶかがわからなくなる。

耐え忍ぶのでもなく、忍耐を破るのでもない方法は、得意な事を遠慮なくやる事ね。

愚痴をこぼさないこと。愚痴をこぼすということは、自分をわかってもらいたいという願いをたやすくかなえる手法なんですが、これをやると、今一つのものを探し出してしまう。また、本気を出せなくなる。

本気を出すこと。下らぬと思われることは、やらないか、効率化を考える。また、本気を出さないというのは、その場に甘えている表れ。たるんでいるとはそういうことなんじゃないの。すべては、自分の作品、別の組織の人に見せるための、ポートフォリオと思えば、本気を出すはず。

意地を張らぬこと。下らぬものに対して、見せつけのために、「引いて」も仕方がない。相手にすべきは、大切な人たち。自分を待ってくれている人がいるかもしれない。

話しかけた途端に笑顔になる人は、助けてもらえる。

サーブしてくれる立場に身を置く。

甘えと言うのは、自分のことを知ろうとしないこと。

「これでいいか」と思ったら、もう少し、やってみる。

わたしが間に合わせるから、その素材を作ってくれた人のがんばりが形となるわけ。

決意を抱きながら仕事をしているか。

やめないということ。状況を突破すること。方向性を変えてみる。努力という言葉は好きではないが、努力しつづけた暁に上下がひっくり返っているだろう。

問題から逃げるのではなく、それに着手して、解決策を見出すような癖をつける。逆の方向に走り出すのは、逃げではない。明確なビジョンさえあれば。問題を消してしまいたいという欲念ではなく、わたしが、どのようになったら、相手にしなくて済むのか。そのための努力をしていく。

まず、問題を見極める。それが意外と大きいのか、小さいのか。中心にあるから目立つのか。自分が進もうとする方向にあるから妨げになっているのか。であれば、自分はどのように突破するのが早くて、確実で、なおかつ成長するのか。

それを考えたら、とにかく、自分の仕事をやりまくる。プライベートでもやる。それだけ。

職業上の義務を超える仕事をしてみせる

あるものや人を参考にするのではなく、あるものともの、ある人と人を比較参考する。

体力も含めて余裕があるうちにあえてたくさんの仕事をこなす。片づけなくてはならない仕事があるなかで、それでもやってしまうことが自分のやりたい事なんだろう。

はっきり宣言する。自分のやりたいことを。

限界を超えた仕事ぶりをすると、今度は、それが標準となる。これがレベルが上がるということ。

結局、「人と話を合わせるための情報収集」だの「自分の株を上げるための知識」だの「弱い自分を隠すための趣味嗜好」だのをしているから遠回りになる。可能な限りは、好きな音楽、インテリア、服装、読書をしているのが、個性的な仕事をする上での近道になる。憂さ晴らしを捨てる代わりに手に入るものもあるだろう。

自分をよくするために日常の出来事を「口実」にする。ストレスにするのではなく。「自分を変えるための」「仕事をするための」「楽しくするための」。乗っていくというか、増幅させるというか。

ひっきりなしに仕事の依頼が来るのは、何ができるのか、皆が分かってくるから。

Designは、苦労の跡を見せないというのがポイント。これは人にも当てはまる。愚痴をこぼしている人間に依頼をしようと思うのか。

人は、蕩尽をせねば済まないのだから、どうせなら仕事で存分に蕩尽すればいい。ゲームやネットや衝動買いや娯楽、さらには、不倫や放蕩や無頼で蕩尽するのと心理的根は同じだが、結果が違う。

労働だけならネアンデルタール人でもやっていた。ホモ・ファーベル(労働の人間)とホモ・ルーデンス(遊ぶ人間)を分かつのは、手探りで自分の力で、その瞬間まで存在していなかったものを創り出せる者かどうかということ。

「ふだんの行いをよくする」というのは、準備しておくということ。

同じようにやる、言われたことだけをやる、とかえって疲れてしまいます。先輩や同僚の仕事ぶりを参考にしながらも、自分なりのやり方で仕事をする、自分なりのやり方を見出してみよう。

歓びや楽しさにつながるにはどのように動けばいいのだろう。偏差値70の人たちに対抗するのでも背を向けるのでもなく、ともに仕事をし、インスピレーションを得るには、どういう気持ちや態度で行動をしていけばいいのだろう。

相手が何を求めているのかを知ろうとすることで、自分が何を求めているのか、気づくこともある。

人間関係や、仕事場の雰囲気作りも、また仕事。それを苦労していると見せないのが、一流の仕事だよね。デザインや小説と変わらない。

みずから仕事を作り出せる能力があればいいのだが、そうそうあるわけでもない。仕事を持ってきてくれる人を作っておかなくては。

活躍している人を見ていると、知識や技能で仕事をしているのではなく、人柄で仕事をしているよね。この人と仕事がしたいと思わせる何か、放っておけない何かを持っているから、仕事がくるのだし、仕事を好きでやっていれば、しぜん、能力も上がってくる。遠くの場所や時間を見ているのではなく、自分の環境を見ているのだと思う。自分が存在している場を大切にしているから、その場のものをよく見て、活用するすべを知っているのだろう。遠くを見るにつれ、身の回りに実際に存在しているものをよく観察しなくなるのは、文明の発展の度合いと同じ。発展するにつれ、処理する情報が増えるから、丁寧さがなくなってしまう。その辺に生えている草に意味を与える度合いで、その人が自分の環境を大切にしているかがわかる。身の回りの物に無頓着になる度合いは、その人の能力に比例するわけである。今、何を見ているのか。自分は、どういう場にあるのか。

アグレッシブなさぼり方。勝手に好きな仕事を始める。もちろん組織に必要なことだけど。

足りない物をお互いにアイデアを出して、どうにかして補いあうということをしてきた。そのために雑談をする、飲みに行く。そこから企画が生まれていく。あらかじめ自分たちがふだん本気で仕事をどうにかしておこうと思っているから、世間話などしている暇はない。

お金で解決しようとしているのなら、経営者以外は、「業務委託」にした方が「効率的」だろうに。

足らないから努力をする。自分一人では到達し得ないものがあるから、仲間がいる。

「ともに意気投合して成し遂げる」この感覚でしょう。必要なのは。コンピューターには、決してできないのは。

私は、仕事を作業にしない。

仕事の機会を与えられるって、贈物以外の何ものでもない。

仕事は、予算との闘い。予算との闘いがない仕事は、仕事ではなく、浪費です。

自分というものは、個人的なものではなく、社会的なものである。

今の仕事が自分を作る。

「二度と会えなくなる」ということが実際にあることが分かると変わります。

サッカーで言うところのボランチができるか。

人と比べて「自分は何もできない」と思ったこともあったけど、その時、たいていの人びとは、活躍している人も含めて、どうも自分のために働き、自分のために喜びを与えているらしいから、私は、人のために仕事をし、報酬も、プライベートも人の喜びのために、蕩尽してしまおう、それならやっている人が少ないだろう、と思い立った。そうしたら、仕事ができるようになった。

「何をしているの」という興味ではなく、「あなたに対して何ができるか」を考える。

自分の思い付きを大切に。依頼されたことに対して、期待以上のものを出す。というのは、今している仕事に対する思い付きを大事にしているから。

まず着手すべきは、仕事の数を減らすこと。

何かを創り出すのではなく、すでに世界に存在しているものとものを関連付ける営み。

オリジナリティや個性ということは考えていない。

世界を超える方法。同時に世界と出会う方法。

人をのせるのがうまい人がいる。一つの方法は、始め基準を厳しくしておいて、緩めてやる。という手法。

ピタゴラスイッチの球が転がる装置は、上手くできているのは当たり前。うまくできるまでやめないから。

立派になれない自分の次善策

願いをかなえた時の、「わあ」という歓びの笑顔のためにやっている。

昔、教員が「本を出して、5000部も売れたら万々歳の世界」と言っていたが、自分の研究のため、つまりは、自分の知的好奇心から発したものを成果がでいるにもかかわらず、さらに売ろうという魂胆が20世紀的である。実際、その時は20世紀であった。

打ち合わせや、取材や、打ち上げも含めた仕事をしてみたい。

自分からやりたがる姿を示す必要はない。ただ、引き受けた仕事は、期待以上のものを見せる。それだけ。

根性を出せばいいってものではない物を根性で作るには、センスがいる。

会話をしてから。

偉そうなことを言うと、その状態に酔う。また、偉そうなことを言える場を持つと、逃げ場になるだけ。

頭の良し悪しは、状況をわかっているかどうか、にかかっている。勉強できる環境でないのに、偏差値を上げるのが目標であったり、我慢が多い環境を選んでしまう状況であるのに、疲れないようにしたり、長生きをしようとしたりするのは、状況が分かっていないということ。偏差値が上がらないのに、勉強し続けるのも同じこと。同じことの繰り返しなのは、自分が同じことを繰り返しているから。

知識を増すための読書は勉強であり、努力である。デザインのための読書は資料集めであり、仕事である。

ポスト的には出世していないが、人脈的には出世しているという。

デザインの基礎を踏まえた上で、それを忘れて、遊び始めるという。

苦痛は、頭を悪くさせる。勉強や読書でさえ。

自分が、そして現場がいかに楽しいかだけ

経験を思い出にしないために。

現状というものは、実力の結果を表している。そもそも、何を望みの第一位にしているのか。その望みに対する実力の結果が現状である。自分がやりたいことが思ったようになっていないから、自分は実力がないのだろう。と思いがちだが、はたして、それはその願いを第一位にしているのか。より望むものがあって、それが願いを叶えることの妨げになっているのではないのか。

下らないもので喜ぶ自分を拒否する。見苦しい物や狂ったものやギャグではなく、美しいもの、整っているもの、可愛いもの、気持ちがいいもの、悦ばしいもの、楽しいもの、きれいなものへ目を向ける。きれいなものを喜ばしいと思う気持ちを大切にする。

順応性を養うよりも、愛の力。

「人並み」「自分だってやれる」ということの放棄。

反省をするということは、別に人に気遣えとか、おとなしくしているとか、節約する、とか、そういう主婦的な倫理ではなく、怒りっぽい自分とか、めんどうくさがりの自分とか、そういう部分を踏まえて、では、そういう自分がどういう風にして食っていくのか、仕事をするためにどういう環境にしたら好いのか。そう言う事を本気で考えろということではないのか。

正解が一つしかない物は苦手。と言うより、出題者が一つの正解しかないと思っているだけだが。正解がある。正解を求めるということは、正解以外のものを見ないようにしているということにもなる。

「自分はどうあるべきか」それを知っていて、行動できる人が自信がある人ということになるんだろう。

綺麗な言葉を使っているだけで、祝福装置として機能します。

有利不利の問題ではなくて、嘘か本当か。

物語によって自分のアウトプットの枠を規定してしまうと、その方法に頼りがちになる。

自分がおもしろい人間、批判能力がある人間、コミュニケーション能力がある人間という思い込みをするのは構わぬが、それを証明しようとすると、ゆがみが生ずる。

今やっているプロジェクトは、一面、手抜プロジェクト。

憂鬱を紛らわせる方法はいくらでもある。ドーパミンが出るようなことをすればいいだけ。しかし治す方法は一つしかない。それは、自分の実力を示すことだ。それ以外に方法はない。

面白いと、楽しいは違うし、楽しいと思える事をしていて暗くなる場合もある。

信頼する人、好きな人と一緒なら、自信のない事でもやれるような気がしてくる。

仕事ってのは、やっぱりある程度のfiction性を含むよね。演技がどうしても入るわ。

相手のために、自分の時間を用いる。何かを作るとき、入念に準備をする。

出し惜しみするしないの話じゃなくて、自分の魅力を誰だも彼でも見せるべきことではない。

制約が人を解放することもある。

自信のない事でも、大切な人と組めばやれる気がする。

待ち合わせで、相手より先に来ていれば、自分の時間は余計にかかったかもしれないが、相手の時間を節約したという事である。

相手に対する説明や要望も、より簡潔にすることによって、相手の時間を奪わずに済む。そのためには、頭の中にあるものをそのまま垂れ流すのではなく、事前に自分でできる事はして、まとめたうえで説明してみる。

mediaが個人の殻を補強している。media上での集いは、現実ではないという意識が薄い。

現実の場で、個人に開かれた場を作らなければならない。

組織を超えた仕事をしてみたい。パレートの法則(いわゆる二八の法則)が揺るがぬ法則なら、別の組織の「二」同士で組んで仕事を始めてしまえばいい。

できるか否かではなく、やりたいのか否か。自分を欺くのではなく。もっと言えば、自分の内面にとって、やらずにはすまないか、否か。

突っ張ってしまうのも、恥ずかしがるのも、自分の価値、必要性をわかっていないから。

自分の能力ではできそうもないことがあるとするじゃん。しかし、それがどうした、と。やらない理由にはならないわ。やれない理由にもなっていない。言われたやり方や、一般的や手法で、できそうにないのなら、自分なりのやり方でやって見せるだけ。期待以上の結果を見せれば、何だっていいんだよ。やっていいって言われてるんだから。

目標をほしがる前に、目標とするものを受け入れられる状況を求めなくてはならない。

情熱だけで突破できる時も意外と多い。

境界をあいまいにする。相手が自分で限界だと思っている境界さえあいまいにしてしまう。だから、みんな意欲がわいてくる。

自分が好きじゃないなら、時間を他人のために使ってみる。過去の自分と決定的に決別した。

「何々を極めたい」って、たやすく言うじゃない。それって、いろいろな事をしたくないっていう事なんじゃないの。

整理整頓する前に、必要でない情報を手に入れない状態で踏ん張ってみる。

自分は元々何になりたかったのか、よりも、自分は、何のためにここにいるのか。

表情は、全身から出てくる。

人に追いつこうとするのでなく、自分の得意な事をやる。

自分と人とをつなげるという連続性。

今、自分がぎりぎりのところに立っているという感覚。それがなければ改革は難しい。

同じ仕事をするにしても、危険な方法を選ぶ。

一つの突破の仕方。仕事を徹底的にやって、その知識もみずから身に着け、その仕事内容よりも、自分を一段高くする。そうしてみて、その仕事に愛着がわくのか。

時間がある、余っている、暇だというより、私は時間を持っている。という言い回しにしたらどうか。

仕事を発展させていくのは、network。個人と個人のつながりだから、「一緒に仕事がしたい」と思わせるような人、人格にならなければならない。

やりたいことを仕事にする。それ以外にないと思う。やりたい事なら、努力ができるだろう。

何を目指しているのか、自分ではわからぬが、やりたいことがいっぱいでてくる。

物事をはじめるには、何と言っても精鋭メンバー。

人とたたかうのではなく、状況に対して受け身にならず、立ち向かうから成長するし、必要な機会に間に合う。

異なった文化に属する人々や、違う価値観の人びとと交流することは、自分の成長をうながすだろうが、それは一時の事。一緒に仕事をする人は近い人でなければうまくいかない。

会議に参加して、仕事に対する興味がわいてきたことは、一度もない。より一層、仕事に対する興味が薄れていくだけだった。やりたいことがあるなら、やってみる。それで組織を超えて、廊下や、机の脇や、ご飯を食べながら話していた時のほうがはるかに仕事になった。

自分がこれをやるために、どれだけ大変だったかは、飲み屋で言えばいい。

人の価値は、価値の見えない報酬を見る目があるかどうかだ。

20世紀的なものとは、考えさせないもの。正論や理由を言い連ねて、人に物を考えさせない手口。

いちいち仕事相手とユニットを組んで始めるという。

住んでいる場所もスキルの一つ。

以上、フィクションですよ。

続きます。

打ち合わせも必要なのですが、打ち合わせではなく、予め定められた会議を開く。

「組織をつくる」ということが、全ての組織に当てはまるわけではない。
組織をつくるのではなく仕事の流れを作る。会議すらしないのでは、仕事は流れないだろう。昔の編集会議のように、スペシャリストの集まりならば別。
組織は作っているうちに古くなる。つまり出来上がった時には状況に対応できなくなっていることが多い。
さらに、組織を作る事で満足してしまう。
今時、必要な人は自分たちで探してくるのであって、人事は、むしろ管理部門として機能している。それを人事が理解していないと、難しいだろう。