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Design

「デザインの目的は―建築であれ、ヴィジュアルデザインであれ、プロダクトデザインであれ、いずれのデザインであっても、すべて環境形成である」マックス・ビル

 

見やすさ、伝わりやすさばかりではなく、designそのものの力、と言っても、designの力で問題を解決するだの、伝わりやすくするだのではなく、そのdesignの成り立ちから考えることもある。

Designはラテン語で区画して描く、印をつける。というのが語源であるが、designではない、文様は、もともと、そこから生成する力をあらわそうとした試みであり、その文様には、「呪」が込められている。その文様がもともと持つ力、古代人が見出した言い知れぬ力をこの世界に現した突破の方法なのではないか。

区画して描くということからすれば、情報をどう割振りするのかがdesignということになる。

何事も、調和がすべて。見える細かいところより、見えない細かいところを丁寧に作る。

細部が全体をコントロールする。

複雑なものをシンプルにするための

デザインの近代化。単に広告宣伝の手段ではなく、情報公開や知の情報伝達のための物。

designに関して言えば、normalが一番。飾りは少ない方がいいという事。

(自己)表現をしているに過ぎないものを作るのではなく、communicationになっているか。

装飾は、意味のあるしるしでなくてはならないとすれば、それには、民俗学図像学を学ばねばならなくなる。

Designでも、小説でも、何と何を対比したいのか。例えば、円グラフにしても。その伝えたいことから、スタイルが決まってくる。

複雑なものをシンブルにするためのdesinでありmotion graphicsである。

根本は、不自然さを感じさせないということ。

受け手が送り手の意図を理解した時にコミュニケーションが成り立つ。

デザインは、隠れているものを示す。または、示しえない物を示すこと。使いやすいデザインと言うのも、どこをどう使ったらいいのか、その見えない物を見えるようにするという事。

自分のアイデアやテキストでしかなかったものが、designによって、形となって現われた時に、自分の新しい可能性を見る。自分の可能性を見出す。可能性が可能性を生む。魅力というのは可能性なわけだから自分に新しい可能性ができれば、自分を魅力的に思えてくる。

 

テキストデータだけもらって、それをdesignによって、posterに仕立て上げて、それを見た時に大抵、指摘をする前に賛嘆の表情になる。つまり、楽しくなってくる。

浮世絵は色数を少なくしている。

白黒以外は、一色か二色でやってみる。このポスターに合うのは何色か、をまずはじめに考える。「この小説の基調色は何色か」みたいな。それなら、いろいろな色の組み合わせを考えなくて済むし、オリジナリティも出せるだろう。Motion graphicもそうしてみようか。

日本の伝統美をpopな柄、色に修正てしてみる。

人は、色の濃い物の方を手に取るだろう。

 

 

Graphic designにおいては、ドロップシャドウはあまり使わない。光の芸術においては入れた方が見やすいことが多い。

直線は「見えない直線」以外は使わないposterはどうか。

縦置き横置き

人物を描くのではないのに、縦置きで描かれた絵は、クローズアップに向いている。日本の絵の場合、絶妙なトリミングにより、虚空に焦点があっているようなものもある。

動画が横にひろがっているのは、もともとの映画からきているのだろうが、これはフィルムの構造からきているのだろうが、初期の写真が縦だったのに、なぜ横にしたのだう。

走馬灯は、横に流れてゆく。物語が進む。時間が過ぎてゆく状況のものにある映画も横にする必要があった。

写真は、そこに含まれた物語は、そこで固着していなくてはならないので縦である。

絵画の場合は、人物を描くのは、縦で、風景が横。寝そべっている女を描くのは、横ということが多いようである。

紙媒体は縦。これはなぜか。もともとのタピストリーなどの織物テクスチャの形にあわせたのか。日本の場合は、紙の形もあるだろが、室内の構造の状態もあるだろう。

掛軸は縦。絵巻物は横。時間軸、物語が流れていくものは、横になっているとということ。

ということは、物語や説明を排したければ、縦のものを作ればいい。ポスターでも動画でも。

横といえば、屏風であるが、屏風にしても、一枚一枚は、縦に長い。

写真でも縦のものの方が、横のものより、静止しているということになる。

1対√2で作られた紙ではなく、より細長い、掛軸のようなものの場合、下に絵、上に書があるが、書は軽いタッチのものでなくてはバランスが整わない。

日本と西欧における絵の縦と横の比率は日本の方が縦が多いようである。

個性

ヘタウマ、ヘタヘタ、ウマウマの順で評価されるらしい。個性があるかないかの順ともいえる。うまくなるほど、個性が消える。

しかし、個性が消えるほどの上達は、やはり個性と言える。

ヘタウマの絵がはやっているのなら、それを上手に生かすlay outを。

シンプルできれいなデザインが個性となるほど、きれいなものを作り続けたらいい。

ヘタウマが受けるのは、人々が、崇高なものに対して恐れをいだくから。

やさしい人は、やさしいデザイン、綺麗な人はきれいなデザインが向いている。ごまかしてばかりいたら、ごまかしのデザインや動画になる。小手先の技術でそういうものを作っていたら、ごまかす性格になるだろう。「金細工職人」になるなということ。

イデア

すべてで遊ぶ。遊ぶ隙はないか。

すべて日常から持ってくる。自分の生活空間において考える。

恣意に走ることなく、強烈さから逃れる。

今の自分の仕事を伝統の流れの上の文脈として考える。

本は静かに読むものだと思う。そこで、ブックデザインもそのような線で構成される。

クライアントには、クライアントが好みそうなものと、本気で作ったものと、二種類提出して、それでたいてい、クライアントが好みそうなものを採用される。そうして、使われなかったものを集めて展示するとおもしろい。いわば「落選展」。ナポレオン三世ですわ。

陰翳の発見。

勝手に、読者を想定して作る。

変化してゆく、移ろいゆく、揺れ動くデザイン。

散らかっているデザイン。

真面目なもの、立派なもの、上手なもの、整っているもの、上品なユーモアは、巷にあふれている。それは、大人になるまで、周りになかったものだ。経験がないものを作ろうと思っても難しいに決まっている。「いかに崩すか」「いかにふざけるか」

Infographicのほとんどは、メッセージを正確に伝えているのだろうか。シンプルなグラフが最も伝わりやすい。

シンプルさはすべてのエレガンスの鍵。- ココ・シャネル -

Redesignというのがあるが、trampをdesignし直したらいいんじゃないか。Simpleに。

写真で見る限り、パリは格好良く、東京は、きれい。ガラスでもセメントでも、わびさびが宿る。

ネタ

家紋をさらに抽象化。色を単色のトーンでつけて、背景に置く。

大きな数字に文字を重ねる。少しはみ出して。

リキテンシュタインのように拡大する。

イラストは、デフォルメしてみる。大きいところは大きく、細いところは細く。マニエリスムのようにゆがめて。デフォ、デフォ。創造とは、果断な能力を使うこと。

シンボルマークに「TM」といれるより、いっそ「TRADE MARKE」と入れればいい。

江戸時代の菓子見本帳。和菓子の意匠が載っている。

篆書をシンボルマークに。

地図記号を並べたパターン柄

小紋をでかく引き伸ばす。

「や、{など、記号を用いた装飾をしてみたら。

パッケージデザイン

パッケージデザインの最大の要点は、ゴミを少なく。再生できるからって、過剰包装をしていいわけがない。100パーセント分別して出す者がどれほどいるのか。無印良品が、世界的に受けたのはなぜか。また、各種のパッケージに無印良品を混ぜた時に、すぐに無印良品だけが分かるのはなぜか。

同じく、graphic designにおいて最重要なのは、環境を汚さないこと。

世界は「私とあなた」だけではないということ。送る方と貰う方、双方がうれしいだけではないということをデザイナーが後方の視点でコントロールしなくてはならない。

書体

古い書体を使って作られた看板は、旧くなっても違和感がない。新しい書体でつくるられたものは、旧くなると、なにか一つの文明が滅びたような、陳腐さを感じさせる。工事前の大手町の古い書体を見て。

ゴシックで書かなくてはならない文字はあり離ないと思うが、明朝体で書かなければならない文字はある。例えば極北光。

「生きてゆけますように」この字間他の文と比べて間隔を開けると効果的。強力な呪なので。

その他

祖父江慎さんのやっていることは、decrationではない。Designを通して、実験している。本という「物」の可能性を。だからrealityがある。また、あれこそが、知識と技法と研究と遊びを加えたartなのだろう。

Designは、重要だけど、伝わるための方法であり、新しい世界を見せる方が重要。

琳派の大胆な構成。非人情。情緒の排除。高等遊民の本気。文字も存続してきた物語も、人間の現象もデザインとして構成し直す。物語性がない。素材の扱いにおいて、無頓着。どうやったら、面白いデザインになり、面白いものが作れるのか、それを当たり前のように考えていた。琳派高等遊民が食っていくにはどのようにしたらいいのかを示している。

たとえば、デザインでは、一流デザイナーにかなわない。映像技術では、活躍している映像制作者の方がレベルが高い。designのつたなさを動きで、動画技術の拙さをdesignで補う。これが超二流のやり方。そういうやり方もある。。

applicationの操作方法を教えるのではなく、posterなり、WEBサイトなりの作り方を教えるようにしないと。当然、デザイン論や、色彩論、情報の整理の仕方なども含まれる。

日常に、美しさを。面白みを。

書体と段組みがすでにdesign。

制作の制の第一義は、程よく整える。

本やwebで読んだことは、創ってみたり、まとめて見ることで初めて体験になる。

Ctrl+Z 

「一つ戻る」ショートカットである。Office製品でも、Adobe製品でも使える。入力ミスをした時に用いるものだか、Illustratorなどのレイアウトソフトを使っているとき、「入力ミス」で使うことはほとんどない。何かを作って、配置して、眺めてみて、「違う」と思った時にCtrlキーを押しながら、Zキーをたたく。こういう場合は、「一つ戻る」のではなく、幾度も戻るので、やり直したい時点に戻るまで、幾度もたたくことになる。一つのポスターが完成した。本当に? 何かが違う。もうすことできないか。できる気がする。できるはずだ。そういう時は、現状を微調整しつづるのではなく、何段階か戻ってやり直す。それができるか、できないか。ふたたび、完成したものは、一段階上のものになっている。少しでも望むものにたどり着くために戻ってみる。