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CheatCut.hatena

noise&randomness

短い小説:幻花燈ーまぼろしのはなのともしびー

good to the taste

蒸篭の縁にからしを塗り添えて肉まんを食べていたら 同じ様に蒸篭に入って肉まんの向うに控えていたあんまんが「たまにはおれにもからしを塗ってくれ」と云う

肉まんをつまむ手を休めて あんまんに眼をやった

「くれ、くれ」

「あんこにからしを塗って食う者があるか」

「たまにはいいだろうよ」

「おまえはいいだろうが、おれの都合がよくない」

「ちょっと蒸篭の縁に塗ってくれよ。肉まんにやってやれて、なんでおれにはやってくれないんだよ」

「手間の事を言っているんじゃない 味がわからなくなる」

「味」

あんまんは一言洩らしてなんとも言わなくなった

金魚をあしらった茶碗で鉄観音茶を飲んでいると あんまんかしゃべりだした

「味の事まで気が廻らなかった いつも食べられているばかりだったからな そんなにうまくないのか」

「わからなくなるんだよ」

「何がわからなくなるんだ」

「あんまんの味がだ」

「あんまん おれの味か そりゃ困るだろうな」

「おれはあんまんを食おうとしているんだ からしはいらん」

「どうもあんまんってのは飾り気がないな」

「あんまんだからな」

考え込んでいる風だったので 片端から食べてしまった 心持 あんこが多かった。

 

North and south winds

春一番が吹いた日曜日 月が上っても風が落ちないから 人々は不思議に思いつつも眠りについた

あくる月曜日 やはり大風の吹く朝 皆それぞれの家からぞろぞろ出てきたら 北風に変わっていたから不思議に思った

測候所の観測によれば 大手町では日付の変わる午前零時きっかりに 北風に変わったと言うことである

どうしたことで南風が俄然として北風になったのか 道行く人々は不思議に思っていたが どうやら 春一番があまりに強かったから オホーツク海から樺太から筑波山まで加わって、吹き返したのだろうとの事で一致した

 

Pants and slippers

バーの帰りに裏路地を歩いていたら クリーム色のズボンと白いスリッパが先に立って歩いていた

黒いシャツの髪の毛の長いやつが歩いているんだろうと思ったら やっぱりズボンとスリッパだった

まよなかの散歩をしている風だったが 足らないのはシャツだけかと思って

「もし、シャツが足らないのではありませんか」と声をかけたら

クリーム色のズボンが肩膝をかろく曲げ スリッパは右足だけつま先立ちになった

挨拶を受けて 街路灯の下でシャツをはおらせてやる 

シャツの腕が伸びて会釈をした そうして右へ左へと酔ったけしきで 街路灯の向こうの薄闇に去って行く 

クリーム色のズボンに黒のシャツは重かった様である

 

a grain of rice

箸の先にコメ粒がついたままなのに気がつかず 箸を置いたら 米粒が漆の半月盆の上にのった 

食事を済ませて見れば 米粒が盆の上で立っていた

「倒れないよ」と米粒が言った

「膝はつかないもんね」とも言った

「こういう場合も縁起が好いのかね」と訊いてみたら

「好いに決まっている」と答えたから 箸でつまんで蛇口で洗って食ってしまった

 

Condensed a soba sauce.

素麺を啜っていたら つゆが切れたので つゆの素を蕎麦猪口に注いだ 素麺をつけて口に持って行ったら

「ちょっとちょっと」とつゆの素が揺れだした

構わず噛み始めたら

「からくないの」と訊いてきた

「水を入れるのがめんどうだ」

「めんどうくさがってはいけない。水を加えないとおいしくないよ」

茶で薄めようとしたら

「ちょっとちょっと」とまた揺れだした

「茶はないでしよ。茶は。お茶で薄められるなんて思わなかった」

「わかったよ」とミネラルウオーターをいい加減に入れてかき混ぜた

「そりゃ二倍にしちゃってるよ。三倍にしてよ」

「今度な」

なんとも言わなくなったからそのまま食べた

「さて片付けようかね」と思いつつ つゆの素に手をかけたままでいたら

『大丈夫かね つゆの素に頼っていないかね』『頼られるとは思っていなかった』『今までは冷蔵庫で横になっていたのに』と次々言っている

片づけたら戸棚から声がした

「今度は三倍に薄めてね」

 

a red halo

夕暮れに南の空を見ていたら 月が白く浮かんでいた 夜になってから二階の戸を閉めに行ったら 月が見えなかった

「もう沈んでしまったかな」

そう思って眼を下ろしたら 一本杉の上にまっかな物があった

あれは月なのかな 不思議に思って見ていた 今は大聖堂の塔の陰に消えかかっている

「もう帰りだからね 急がないと 明日はまた九時に紅くなるから」

そう言ったきり 教会の向うに隠れてしまった

 

 

座敷から座敷へ行くうちに皆の着物が黒い事に気がついた 

天井からぶら下がった電球が畳上に茶箪笥の影を落としている。

太い柱にぶら下がる時計の振り子の影が右に左に揺れて 畳の上を行ったり来たりしている

座敷を先にまた座敷があった 

畳の上に硝子の瓶に入った水仙花が水に沈んでいる

隣座敷で時計が鳴り始めた

眼を上げた 水洗化の入った硝子瓶は座敷一杯にあった これを葬る事にこの時初めて気がついた