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民俗学漫談第32回*貨幣の形態の変化

ふと気づいたら、映画でも漫画でもゲームでも翻案(実写化を含む)や二次創作的なものが多い気がしました。
テクノロジーが進んで、今現在のデジタル技術で作り直したくなるのかもしれませんし、今現在にふさわしてものとして作り直したくなるかもしれません。
それで、実際にヒットするのですが、何かが違う気がしていました。

まあ、デジダルが多いのならば、あえて、フィルムで撮影した方が個性的なものができるかと思われますが。
ツールは思考を変えますし、かえって、デジタルの方が「もどかしさ」みたいなものを感じる場合がありますし。

 

文学も音楽も映像もおそらく何か別物になったか、全く新しいものが作りにくくなったのでしょうか。
デジタルツールは、無限に見えて実は思考を限定的にしてしまうのと、インターネットの『システム』みたいなもの(常にある種のネットワークの中に自分がいる感覚)が人の思考を変えてしまっている気はします。
ある一つの物に集中することが脳のレベルで難しくなっていて、それは同時にマルチタスクができるようになっているという事でもあるかもしれません。
以前に100のものが作れたとして、現在は70くらいの物までしか作れなくなっている半面、昔が100のものを作る時間で70の物を2つも3つも作れるようになっている気はします。

 

などと、漠然と考えていたら、先日、高山宏先生の『近代文化史入門』を読んでいて、これではないかと思った箇所がありました。

「金に異変あるとき、言葉にも何かがおこる」P.115

もしかしたら、貨幣の形態の変化が今の作品に影響を及ぼしているのではないか。

続いて、このような文章が続きます。

これが当てはまる時期は七つも八つもある。
井原西鶴の貞享・元禄時代、平賀源内の宝暦・明和時代、ポーのジャクソン民主主義時代などなど。なぜだかおわかりだろうか。答えは簡単。
一六六〇年代に立ちあげられた表象の構造が原因である。言葉とお金を同じ「契約」の構造として出発させたのだ。
同ページ。

まず、貨幣経済ができ、金貨をはじめとして貨幣そのものに価値がある貨幣ができますね。
続いて、紙幣が登場し、その紙幣は兌換紙幣な訳です。

さらに、不換紙幣がてでてきます。
貨幣が「契約」でしかなくなってしまいました。

現在、クレジットカードをはじめとした電子マネーが普及していますね。

電子マネーの普及は、その物自体を実体のない記号と化してしまった。
それなら言葉も変わる。
芸術も変わる。

ということなのではないのでしょうか。

現金を使うということが重要だったんですよ。

電子マネーでの買い物は、ただの取引なんですよ。

鬱屈したものの出口をメデイアが用意しているから 大学生もそれに乗るだけ お金が発生するが、そこでのお金はリアルマネーではない。

テーマパーク マンガ ゲーム 飲食店

エネルギーの出口が同じ人間は、思想も性質も同じになる。

支給品ですよ、電子マネーでの買い物なんて。

現ナマで支払うから、無駄使いの感覚か生じるわけなんですよ。
買い物って、どのみち、無駄遣いの要素が入ると思うんですよね。
厳密な等価交換なんてないわけですから。
ドブトエフスキーがどこかで、
貨幣は、鋳造された自由である
というようなことを書いていた気がします。
お金って、経財上、便利なものと言うより、使うことで、
『使ったぞ!』、『俺はやったぞ!』と思う物でしょう。
『跳び越えたぞ!』みたいな感覚、必要なんですよ。

紙幣は、実祭の価値の代わりのものなんだから、物(ブツ)といてのお札を使って、蕩尽をするわけですよ。
電子マネーじゃ、減ったのは、情報だけなんですよ。
10万円くらいの札束を一度に使うときのどきどき 後ろめたさ、ヤケクソ気分を感じることで何かを乗り越えるわけですね。
お札はお札(ふだ)な訳ですから、自分から離すことで、軽くカタルシスが起きているわけです。

日常をリセットする方法は、ありますが、伝統的には蕩尽があります。

デジタルは、コピーが可能なわけですから、「減る」感覚が薄まってゆくのは当たり前です。
バカな遊びや買い物をしてカードはないわけですよ。

少し前までお金は綺麗なものではないという感覚もありましたが、それもう薄れてきている気がします。

何より、自分で稼いだお金を大切にするという感覚は現金を使いからこそ生じるんですよね。

電子マネーじゃありがたみが薄れて、「必要なもの」ばかり買おうとし、その実、その「必要なもの」がメディアに乗せられたものになっていくと思いますよ。

 

恐怖が欠けている。アイーの海の暗い面が欠落し明るい面だけが生の全貌として合一化の対象になっているからだ。

高山宏『アリス狩り』P.252

 

自分のいらない物を人にあげるよりもお金を出して買った物を上げた方が、蕩尽になります。

すでに持っている物を使わないからと言う理由で誰かにあげたところで、それは「所有の移動」にしかなりません。

そこに生命力(エロス)の迸りはないわけです。

人に贈物をする時こそ、大切なお金をチャンスです。

現代の合理的な理性がしたがらない蕩尽のいい機会なのです。

どこかへ出かけた時にお土産を買って来るのは、その一つの例ですね。

あれは「お世話になっているから」と言う理由で納めてしまいがちですが、実は蕩尽をしているのです。

蕩尽できるかどうかですよ。

相手を思っているかどうかが分かるのは。

それこそお金も時間も。

電子マネーって、ポイントや履歴も含めて、自分が得するスタンスじゃないですか。

投資もそうですけど。

そうじゃないんですよ、お金って言うものは。

呪であり、祓いでもあるわけです。

お金を使うことにより、積もってゆくケガレを祓い、その都度世界をリセットするわけなんですよ。