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noise&randomness

人に優しく

後悔をしたくないから、今度こそと慎重に情況を鑑みて決めたら、また後悔のためとなる。

 

 

得していない。
得るはずの物も得られなかった。

 

この世のものを手にしないためにこの世にいるのだろうか。

余計な重荷はそろそろ下した方がいい。


そうすれば後悔など消えるだろう。
この世の物とは、富と名声、それとそれらで手に入るもの、同時に『古きアダム』、虚栄心や自我を満たすものである。

過ぎ去ったことは仕方ない。

 

失ったものは戻らない。
代わりなんてないから。

わざわざ重荷を背負うことはない。


自分が得なかったことに安堵したらいい。
他の人が重荷を背負ってくれたことに感謝をしたらいい。

懸命にしたつもりで、何もかも半端にしかできなかったことさえ、この世のものを得ないがためだったのだろう。


得られるべき資産、経験するはずだった喜び、得られたはずの安定や楽しく自分の能力を発揮し、尊敬される仕事、そういうものを手放してしまった。

後悔と言うのは、凡そ、そのあたりに起因するものであろう。

この世のものを得ないということなら後悔の必要はない。

 

この世のものに触れて、傷を負いながら、その上でこの世のものを得ないということ。

過去に戻りたい。

そういうことすらすべて賢しらなのである。


そもそも後悔と言っても、元をただせば、より大きな公開に通ずるだろう。

すべては今更なのである。

 

自分の環境、能力では精いっぱいやった。

 

この世界は理不尽と思えることはたいていの人が感じているだろう。
この世にいるから楽観的な部分もあって、欲望もあって悔しさとか悲しさとか薄れているものの、おそらく現状より、遙かに充実し、社会に貢献できたであろう人間を叩きのめして、孤独で甲斐のない暮らししかできない人間にしてしまったのに、それで何事もなかったかのように世界は動いている。

それを考えたら、いちいちの後悔など霞むほどの恐ろしいことだと思う。

後悔以前に、その恐ろしさを感ずる。

慰めや癒しに走ってしまうのは、むしろその恐ろしさに気づかないようにせんがためと言うことはないだろうか。
『現実逃避』とは言うものの、その目的は義務的な仕事とか勉強からではなくて、何かを本気で手にしたらはたかれて奪われるという恐ろしい現実に気づいていた、その現実からの逃避なのではないか。

アニメやゲーム、ネット、または娯楽に走る。
その恐ろしい現実のことを必死で押さえ続けているとしたら。
勉強どころではない。

短い期間ならさほどの影響はないのかもしれない。
しかし、脳の形成期、特に人間関係に関する部位が発達する中学、高校あたりで、数年にわたっていじめ続けられれば、人はどうなるのか。

本来、情況がまともであればエリートにさえなれたであろう人間を、何も社会に貢献できないような人生になるように仕向けることが、この世界でどれだけ隠されたまま行われているのだろう。

日常的な損した得したなんて些事に過ぎないほどのことにさえ思える。
一人の人間の存在を踏みにじり、人生を見失うように仕向けるわけである。

何かを掴み取ったら、その手をはたかれて、せっかく手にしたものを落とし、他人に奪われる。

後悔など吹き飛ぶ。

 

『この世のものを得ない』とか恰も主体的な自らの意志であるかのように言ってるけど、そうなるようになるまで、叩かれ続け、放ったらかしにされ続けただけではなかったか。

 

いかほど技術が進み、便利で快適な生活ができるようになったら、人は、余計に背負った欲望のしがらみを下すようになるのだろう。

それとも、その方法では決してその次元にまで至らないのであろうか。

 

やることがなくなると『楽しいことがしたいなあ』くらいで執着もなくなる。
やはり、眼の前に差し出された人参のごとく、やることがあったり、世俗の陳列棚を見ることによって、欲望が引き起こされているのだろう。

自由な姿を取り戻す

自分なりに意欲的に動いたつもりでも、何かが引っ掛かって、思うように進まない。

何がいけないのか。
何かを抱えているのか。

 

何か、自分にふさわしくないものを欲しがっている。

後悔は、要らぬ何かを求めてやまないがために生ずる。

求めなければ、それを手にする手段も必要でなくなり、後悔もまた消える。


以前は可能であった身軽な動きがなぜできなくなっているのか。

様々な理由をつけて。

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偶然

今日は面接がある。
書類選考が通り、面接までいくのは、11か月ぶりである。
天気予報は雨のち晴れとなっている。
今年に入ってから雨が降ったのは三日だけである。
今日の雨も二週間ぶりである。
降水確率は午前が90パーセントで午後が70パーセント、四時にはすっかり止む予報となっている。

明日からはずっと晴れの予報である。
面接は11時からである。
朝は降っていない。

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やりきる

人生において自分が求めていたことをやりきる。
書きたいものをすべて書ききる。
描きたいものをすべて描ききる。
作りたいものを作りきる。
創造的な仕事に挑戦する。
欲しかったものを手にする。
徹底した恋愛をしてみる。
人間関係を限界までこなす。
仕事で活躍する。
場の中心人物となる。
すべてやってみて、それらから離れた時、何をしたいだろうか。
限界まで挑戦し、皆、一度は手にした。
今はほとんど残っていないものたち。

過去に戻れたら、どうしようか。
もう普通の学歴で、地味な仕事について、プライベートはささやかな喜びで十分であり、静かに安定して平和に暮らしたいと思う。
もし戻れたらそういう人生を送ってみたい。
それは、人生、何もかもやりきったあかしである。
もう、何もしなくていいし、何も手にしようとしなくていい。
もう自分のことは片付いたんだ。
自分のことに費やした人生は、もうやりきったんだよ。
これからは、ただ仕事をしていればいい。
おいしいものを食べ、たくさん寝て、休みの日は休んでいればいい。
うまくはやれなかったかもしれないけれど、良くやった。
やることはやりきった。

できる仕事をやるだけ。

もう難しいことを背伸びしてまでやる必要はない。

自分であれこれ考えて、決めつけなくていいんだよ。

 

人生、年月が経つにつれ可能性も減っていく。

どこかで自分の可能性に片をつける。

もう役立てる範囲や人は限られているのだろう。
それなら、残されたもの、与えられたものはそれしかないと悔いのないように懸命にやるだけだろう。


平和に暮らしたい。

広い世界で比較する

ネットで物を買うときには必ず比較対象が出てくる。

そこで得た情報を覚えてしまって、また別のサイトでもまたマーケットでも比較する。

物を買うときに比較し選ぶことが当たり前になる。

その比較の対象が膨大な数になっている。

スポーツをはじめとして、知識の量でも競い合わせて、優劣をつけないと納得しない。

本来楽しむ対象の漫画や映画でさえ、数値に置き換えて優劣をつけるまでなにか落ち着かない。

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『次』こそは

何かに躓いて、『次こそは』と思う。

ところが、同じシチュエーションが再び与えられることはまずない。

そうして、似たような間違いを繰り返す。

あとになって顧みれば、どうして、また同じようなことを繰り返してしまったのだろうと思う。

ところが、その状況の最中では、いわばゲームの『状態異常』のように、熱を上げているわけであり、それが同じようなことの繰り返しには見えず、かえって、今度こそ手に入れたいと突き進む。

それが過去の穴埋めのこういであることを知らず。

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