三年か四年くらい前に『野生の思考』点に行ってきました。
哲学関連覚書
『ニーチェ全集第10巻』『ニーチェ全集第10巻』「第二論文〈負い目〉〈良心の疾しさ〉およびその類のことども」393.負い目の感情や、個人的責務の感情はすでにわれわれが考察した様に、その起源をば、およそ存在するかぎりの最古の最原始的な個人関係のうちに、すなわち売り手と買い手、債権者と債務者という関係のうちにもっている。この関係のうちではじめて個人が個人と相対し、ここではじめて個人が個人と比量し合った。この関係が多少なりとも認められない様な低度の文明というものは、まだ発見されてはいない。値段をつける。価値を見積もる。等価値を考え出す、交換する―これら一連のことは、ある意味ではそれが思考そのものであるといってよいほどにまで、人間の原初の思考を占有していた。ここで最古の種類の明敏が育て上げられたのである。同様ここに、人間の矜持や他の獣類にたいする人間の優越感の最初の芽生えがあった。と推定してよいだろう。(中略)人間の特質は価値を測る存在たることに、〈もともと評価する動物〉として価値を見積もり評定する存在たることにあったのだ。売買というものは、その心理的な付属物をも合わせて、いかなる社会的な組織形態や結合の始まりよりも一層に古いものである。というよりむしろ、交換・契約・負債・権利・義務・決済などの感情の芽生えは、まず個人権というもっとも初歩的な形態からして、やがてもっとも粗大で原始的な社会複合体へと移行したのである。この移行には同時に、権力と権力とを比較したり、権力で権力を推し量ったり、見積もったりする習慣の同じ様な推移がともなっていた。かくて人間の眼は、この遠近法に標準を合わせる様になった。そして、たどたどしいながらも有無をいわさず同一方向へ直進する古代人類の思考に特有の、あの無骨な首尾一貫性をもって、やがてほどなく人間は、「すべて事物はその価格をもつ。ありとあらゆるものが支払われうる」という大まかな一般命題に到着したのである。―これがすなわち正義の最古の、最も素朴な道徳規範であり、地上におけるあらゆる〈好意〉の、あらゆる〈公正〉の、あらゆる〈善意〉の、あらゆる〈客観性〉の始まりであった。この最初の段階における正義というのは、ほぼ同等の力をもつ者たちのあいだの、互いに折り合いをつけ、決済によって互いにふたたび〈協調〉し合おうとする善意であり、―そして、力の劣った者たちについては彼らを強制して彼ら同士のあいだで決済をつけさせようとする善意なのである。
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