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Youtubeと人工知能

Youtubeを支えている技術に人工知能による検索システムがあると聞く。

そのおかげで、ほぼ無数と言ってよいもののなかから見たい動画を見るのである。

 

人工知能と言えば話題になるのが、今の仕事を人の代わりにやるようになるということで、その例として、窓口係や事務職などがあげられるが、少なくとも自分が見る限り事務職についてはまだ先のようである。

 

 

自分が小説などを書いていて、せめて人並みに稼ぎたいからエンターテイメントのようなものが書けないだろうかと思うときがある。

 

しかし、同時に自分が書くよりも、人工知能が書いた方が一般に受けるものを描いてしまうのではないかと思うこともある。

 

エンターテイメント作品は、パターン化されたストーリーがある。

世界に伝わる民話や伝承などを比べると、それに共通点があり、それを利用したもので有名なのはスターウォーズであったり、またドラクエだったりする。

 

神話の法則 

1日常の世界

2冒険へのいざない

3冒険の拒絶

4賢者との出会い

5第一関門突破

6敵・仲間との出会い

7最も危険な場所への接触

8最大の試練

9報酬

10帰路(目的地)

11復活(再生)

12帰還(目的地)

 

映画はだいたい測ったように約一時間のところで転がくる、 シナリオの世界ではこれをミッドポイントと呼ぶそうである。

 

小説家などは人工知能に取って代わられぬ職業として挙げられるが、膨大なデータから最適なもの編集して示すのは人工知能の得意するところであろうから、いつしか小説家を超える日が来るのかもしれない。

 

斬新なものは人間ではないと作れなさそうだけれども、一般に広く受けるようなエンターテイメントなら可能かもしれない。

それでも、人工知能が人間と言葉の弱さに魅力を感じるようになる日までは安泰かもしれない。

 

今迄は、フィクションはストーリーで作られていた。
物語を作ることによって、いかに本物らしく見せるか。
しかし、AIが登場してくると、ストーリーではなく、言葉そのものでいかにフィクションを創り上げるかがポイントになってくる。
ストーリーではなく、言葉で世界観を創り上げているのがフィクションの新しい可能性を示していて興味深い。

 

 

エッセイなども、人間のような味わい深いものを描ける日がいつの日か来るのであろうが、雑誌のエッセイに載っているものが、人工知能が書きましたでは、どこか随筆としてはしまりがない気もする。

 

その点では、詩人も小説家も生きざまを含めての作品なのだろうと思う。

 

しかし、もう何年も前から『女子高生AI』がSNSなどで利用可能なものとしているわけだから、エッセイなどもそのうち書いてしまうかもしれない。

 

何年か前にその求人を見たことがあるが、ああいうものも、その頃は人間が言葉を考え出していたようで、その編集者的な人間を募集していた記憶がある。

 

雑誌の挿絵もAIで構わないという時代も来そうである。

今の『いらすとや』の繁栄がそれを暗示してはいまいか。

 

どうも、クリエイティブなものはほとんど作れそうな気さえする。

現代アートくらいだろうか、人工知能が苦手そうなものは。

 

人工知能はほとんどのものができそうである。

カウンセリングなど、どこか人間の安心感を利用するような職業くらいしか残らない気さえしてくる。

それさえ、いずれアンドロイドが取って代わる日が来るのであろうか。

 

失敗が許されないものほど、むしろ人間がやりそうな気もする。

政策決定とか。

そもそも、自分に不利と思えるようなAIの決定に人間が従うのだろうか。

権力者の決定だから従うのであって。

 

俳優や芸人などは、どうだろうか。

アニメがこれだけ盛んになってしまえば、それもCGとAIで賄えるのかもしれない。

ただ、やはり、お笑いに関しては、人間の方が受けると思われる。

ロボットがボケたり、ツッこんだりしても、しらけるはずである。

 

AI時代に生き残るにはユーモアとかお笑いがいいのかもしれない。

 

初音ミクがコンサートしている時点で、歌手でさえ、人間じゃなくてもいいのかということになっている。

 

新しいものをプロデュースする能力とか、高額商品の営業とか、そういうものは人間がするのだと思う。

優越感に浸りたいものは、人間がし続ける気がする。

お笑いとか、営業とか、道化とか。

他人の悲劇も遠く画面越しに見れば喜劇というわけである。

 

ロボットやプログラム相手に浸る優越感も虚しいばかりであろう。

 

人工知能は、計算であるから、数ある選択肢の中から最適解を出すのが得意なのだろう。

 

ユーモア小説の間とか、お笑いの間とかは難しいと思う。

 

人それぞれ、趣味嗜好や感覚が違うから。

 

そう思ったが、人間自ら学校でも仕事場でも生活でも同じようなものを用いて、同じようなものを同じように買っていれば、それさえ単一化されてしまい、それなら人工知能でも受けるものが作れてしまいそうである。

 

ただ、思考というものと根本的に違うことをしているようだから、こういった随想的なものは苦手な気もするが、そもそもそのような時代に、人間の書いた随筆をゆっくり読むような人間がどれだけいるのであろうか。

 

Youtubeも意外と環境映像なども人気らしいが、やはり笑えるものが受けたりするようである。

子供向けのようなものを大人も多く見ては楽しんでいる。

 

基本は、自分が好きなことを人に紹介する。

ただそれだけのことであるらしい。

 

ライブ配信と称して、画面の向こうで、何かをしたり、語ったりすることに対して、コメントを入力するような形式があるが、ああいうものもある種の優越感というか、承認欲求を満たしていると聞く。

 

かつて、今もあるのかもしれないが、『ときめきメモリアル』というゲームが流行ったことがある。

ゲームの中で少女との恋愛感情を深めてゆくものであるが、それが受けたのは、リアルでは得られない、今でいう承認欲求を満たせてくれるものであったのだろう。

 

ということは、Youtubeライブ配信などでもいかに、見て、コメントをしている人の望みを拾えるかが人気を左右するのではないかと思う。

 

ああいうもの、寂しさを感じずにはすまない現代人の心の癒しとなって、その場が成り立っているようである。

 

オンラインサロンなどもどこか、宗教の形式を構造としても取っているようであるが、やはり、皆、お喋りしたいし、何かに参加、それが有名で稼いでいる人ならなおさら近づいて自分も影響されたいのであろう。

 

願を叶えてくれそうだ、慰めを与えてくれそうだという点では変わらないのかもしれない。

 

人間の傾向として、自分だけがトップに立ち、あとはフラットであるような状態を好む事が挙げられようが、この傾向がいつからか強まっているのであろうか。
10年ほど前からであろうか。
SNSスマホは、その傾向を増長させているのであろうか。

 

しかし、やはりこれほど技術が進歩すれば、提供する人間はどこかでブレヒトの言う異化効果を示して、その異様さ、本質を示した方が良い気もするが、それは批評や現代アートの仕事なのだろう。

 

いつしか、人工知能が進化して、人間の意志の弱ささえ補ってくれて、自分の人生をどこかへやってしまうような人々を救えるような時代が来るのかもしれない。

 

人工知能が人間を支配するというSFは、実際、人間の行動を束縛する云々などではなく、人間の思考をコンピュータのように、1かゼロ、あれかこれかでしか考えられないような人間にしてしまうところからきているのかもしれない。

 

Youtubeを見る限り、猥褻な、残酷な、食意地の張った、何十年も昔の露地のような様相を呈しているが、これが現代の世界の求めるところの噴出だとしたら、それをデータとして収集して学習する人工知能もまた同様の物として出来上がるのであろうか。