CheatCut

noise&randomness

哲学関連覚書

ニーチェ全集第10巻』『ニーチェ全集第10巻』「第二論文〈負い目〉〈良心の疾しさ〉およびその類のことども」393.負い目の感情や、個人的責務の感情はすでにわれわれが考察した様に、その起源をば、およそ存在するかぎりの最古の最原始的な個人関係のうちに、すなわち売り手と買い手、債権者と債務者という関係のうちにもっている。この関係のうちではじめて個人が個人と相対し、ここではじめて個人が個人と比量し合った。この関係が多少なりとも認められない様な低度の文明というものは、まだ発見されてはいない。値段をつける。価値を見積もる。等価値を考え出す、交換する―これら一連のことは、ある意味ではそれが思考そのものであるといってよいほどにまで、人間の原初の思考を占有していた。ここで最古の種類の明敏が育て上げられたのである。同様ここに、人間の矜持や他の獣類にたいする人間の優越感の最初の芽生えがあった。と推定してよいだろう。(中略)人間の特質は価値を測る存在たることに、〈もともと評価する動物〉として価値を見積もり評定する存在たることにあったのだ。売買というものは、その心理的な付属物をも合わせて、いかなる社会的な組織形態や結合の始まりよりも一層に古いものである。というよりむしろ、交換・契約・負債・権利・義務・決済などの感情の芽生えは、まず個人権というもっとも初歩的な形態からして、やがてもっとも粗大で原始的な社会複合体へと移行したのである。この移行には同時に、権力と権力とを比較したり、権力で権力を推し量ったり、見積もったりする習慣の同じ様な推移がともなっていた。かくて人間の眼は、この遠近法に標準を合わせる様になった。そして、たどたどしいながらも有無をいわさず同一方向へ直進する古代人類の思考に特有の、あの無骨な首尾一貫性をもって、やがてほどなく人間は、「すべて事物はその価格をもつ。ありとあらゆるものが支払われうる」という大まかな一般命題に到着したのである。―これがすなわち正義の最古の、最も素朴な道徳規範であり、地上におけるあらゆる〈好意〉の、あらゆる〈公正〉の、あらゆる〈善意〉の、あらゆる〈客観性〉の始まりであった。この最初の段階における正義というのは、ほぼ同等の力をもつ者たちのあいだの、互いに折り合いをつけ、決済によって互いにふたたび〈協調〉し合おうとする善意であり、―そして、力の劣った者たちについては彼らを強制して彼ら同士のあいだで決済をつけさせようとする善意なのである。

 

394.共同体とその成員との関係もまた、債権者と債務者というあの重大な根本関係を本質としている。人はみな一つの共同体のなかで生活し、共同体の利便を享受している(おお、なんという利便だろう!われわれは今日、これを往々にして過小評価するが)。人は保護され、いたわられて、外部の人間すなわち〈平和なき者〉が曝されているある種の危害や敵意に心悩まされることもなしに、平和と信頼のうちに住んでいる。(中略)そうした危害や敵意を顧慮すればこそ人は自分自身を共同体に抵当に入れ、共同体にたいして義務を負ったのである。その名は恩赦。いうまでもなく、これはつねに最強者の特権であり、いっそう剴切な言いかたをすれば、彼の法の彼岸である。397.ルサンチマンの地盤の上に、正義の起源を求めようとする最近とくに目立ってきた試みにたいして、ここで反駁の一言を述べておきたい。(中略) ルサンチマンという植物は目下のところ、無政府主義者反ユダヤ主義者らとのあいだにもっとも美しく花開いており(中略)同じものからは必定同じものが生まれざるを得ないというからには、またそうした徒輩のなかから、これまでもしばしば見られたごとく、正義の名のもとに復讐を神聖化しようとする企てや、また復讐とともに反動的情念をもおしなべてことごとく追加的に崇め奉ろうとする企てがあらわれてくるのが見られるとしても、驚くにはあたらないであろう。(中略)この新しいニュアンスをもった科学的公正(憎悪、嫉妬、猜忌、邪推、宿怨、復讐にとって有利となる)が生まれてくるのはルサンチマンの精神そのものだからだ。(中略)概していって、きわめて廉直の人物にあってすらも、ほんの僅かの攻撃、悪意、阿諛などを加えられただけで、もう眼を血走らしてその眼から公正を失ってしまうのは確かなところである。能動的な人間は、反動的な人間よりもつねになお百歩も正義に近い。かかる能動的人間にとっては、反動的人間がやるような仕方で対象を欺瞞的に偏頗に評価する必要はない。(中略)いかなる時代においても攻勢的な人間はより強い、より勇敢なより高貴な人間としてより自由な眼とより自由な良心をも自分の味方につけてきたのだ。反対に、(中略)そもそも〈良心の疾しさ〉なるものを発明したかどで良心の呵責に悩んでいるものは誰か。―いうまでもなくそれはルサンチマンの人間だ!410.私は、良心の疾しさというものをば、およそ人間がその体験したあらゆる変化のなかでも最も根本的なあの変化の圧力のために罹らざるをえなかった重い病気だと考える。-もっとも根本的なあの変化とは、人間が所詮は社会と平和との制縛にからめこまれているのを悟ったときの、あの変化の事である。陸棲動物になるか、それとも死滅するかの選択を余儀なくされたときに水棲動物のうえに起らざるをえなかったと同じ事が、人間というこの野蛮、戦争、放浪、冒険にうまく適応していた半獣の上にも起った。彼らの本能のすべては一挙にしてその価値を失い、〈蝶番をはずされ〉てしまった。彼らはそれまでは水によって運ばれていたところをば今や足で歩き、〈自分で自分を運ば〉ねばならなくなった。恐ろしい重みが彼ら自身にのしかかってきた。きわめて簡単な仕事をするのにも彼らは自分をぎこちなく感じた。この新しい未知の世界に対して、彼らはもはや、その昔ながらの案内人を、無意識のうちにも確実に先導してくれるあの統制本能を、もたなくなっていた。―このふこうな半獣たち、彼らは、もっぱら思考、推理、計測、因果連結だけに依存し、その貧弱極まる彼らの〈意識〉だけに依存する様になったのだ! 思うに、これほど惨めな気持ち、これほど重苦しい不快感は、かつて地上にあったためしはないであろう。―もちろん、そうなったからとて、あの古い本能がその要求を提出することをばったり止めてしまったわけではない!ただそれら本能の欲求を叶えることが困難になり、ほとんどできなくなっただけなのだ。要するに、これらの本能は、新しい、いわば地下的な欲求満足を求めざるをえなくなったのだ。外に向かって発散されないすべての本能は、内向する。―これこそが、私の呼んだ人間の内面化というやつである。これによってはじめて、のちのち人間の〈魂〉と呼ばれるようになるものが、人間の内に生長してくるのである。全内面世界、はじめには二枚の表皮のあいだに張られたもののように薄っぺらだったこの世界は、人間本能の外への発散が阻まれるにつれて、いよいよ分化し膨れあがり、深さと広さと高さとを得るようになった。古い自由の本能に対して国家的組織がおのれを防護するために築いたあのおそるべき堡塁―なかんずく罰がこうした堡塁の一つだが―は、野蛮で放縦で浮浪的な人間のあの本能をすべてを追い退けて、これをば人間自身の方へと向かわせた。敵意、残忍、迫害や襲撃や変改や破壊の悦び―これらすべてが、こうした本能の所有者自身へと方向を転換すること、これこそが〈良心の疾しさ〉の起源なのだ。外部の敵や抵抗がなくなったことから、いやでも習俗の押し付けられるような狭苦しさと杓子定規の状態に押しこめられた人間は、心いらだって、己自身を引き裂き、責め立て、咬みかじり、かきむしり、いじめつけた。〈飼い馴らされ〉ようとしているところの、おのが檻の格子に身を打ちつけて傷だらけになるこの獣、われと自ら冒険や苛みや、不安で危険な野蛮状態をつくりださずにはいられなかったこの窮迫者、荒野への郷愁にやつれ果てたこの者、-この痴呆者、望郷にさいなまれ絶望した者こそが〈良心の疾しさ〉の発明者となったのである。しかもこれとともに、人類が今日なおそれから癒っていないあのもっとも重い不気味きわまる病気もはじまったのだ。すなわち、人間が人間たることに、自己自身たることに悩むという病気がだ。これは、人間が野獣的な過去から無理矢理引き離されたことの結果、それまで彼の力や、悦びや怖れの根基であった古い本能にたいし宣戦布告をした事の結果であった。(中略)他面において、獣心が自己自身に歯向かい自己の敵方に組したというこの事実とともに、地上にはある新しい、深い、未開の、謎めいた、矛盾に充ち未来に富んだものが生起し、ためにこの地上の光景は根底から変わってしまった。ということだ。本当を言えば、かくして始まり、今もってなお皆目その幕切れが見極められようもないこの芝居を鑑賞できるためには、神々のごとき観客がなくてはならなかったのだ。-それはどこかの妙ちきりんな天体を舞台にして不用意にうっかり演ぜられるには、あまりにも幽妙な、あまりにも摩訶不思議な、あまりにも逆説的な芝居なのだ!(下略)412.良心の疾しさの起源に関するこの仮説の前提に属するものは、第一に、あの変化は何ら漸次になされたものでも、任意になされたものでもなく、また、有機的成長によって新しい諸条件のなかへ入り込んだ結果でもなくして、むしろ一つの決裂、一つの飛躍、一つの強制、一つの不可避の宿命として現れたのであり、これに対しては、何ら闘いも行われずルサンチマンさえもなかった、ということがそれである。次に第二には、それまでは制縛もされず形態もととのわなかった住民を一つの定型のなかに嵌めこむ作業が、暴戻をもってはじめられた様に、同様またただ純然たる暴戻によってのみ終えられたということ、―それゆえ最古の〈国家〉は一個の恐るべき暴政、情け容赦なく圧しつぶす一個の機械装置として姿をあらわし、操業を続けた結果、ついに民衆や半獣というような原料は徹底的に捏ね上げられ、柔軟にされてしまっただけでなく、形をなすように陶冶されさえもしてしまった。ということがそれである。私は〈国家〉という言葉を使った。(中略)それはある金毛獣の一群、ある征服者=支配者種族の事を言うのであるが、彼らは戦闘本位に編成され、組織力をもっていて、数からすればおそらく圧倒的に優勢ながらもいまだに形を成さずにいまだに流浪的な住民の上に、容赦なくそのおそるべき爪牙を突き立てたのだ。まさにこのようにして地上に〈国家〉が始まったのだ。これで国家は〈契約〉をもつて始まったとなすあの夢想沙汰は片づけられた、と私は考える。(中略)彼らが姿を現すところ、そこにはある新しいものが、一個の生きた支配体系が成り立つ。もちろんこの支配体系のうちにあっては、もろもろの部分と機能はその限界を定められながらも関係づけられていて、およそ全体に対して〈意味〉をもたない様なものは何ひとつ席を占めることが許されない。彼ら、この生まれながらの組織者たちは、負い目の何たるか、責任の何たるか、顧慮の何たるかを知らない。彼らの内にはあのおそるべき芸術家エゴイズムが支配していて、これが青銅のごとき輝きを放ち、あたかも母がその子の内で正当化される如くに、自らがその〈作品〉の内ですでに永遠に正当化されているのを知っているのだ。〈良心の疾しさ〉が発生したのは、彼らのもとにおいてではないということ、こんなことはもともと言わずと知れたことだ。――が、しかしそれは、この醜悪な植物は彼らがいなったら生長することはなかったろう。この植物は、もしも、彼らのハンマーの猛打と、芸術家的暴虐とに圧倒されて莫大な量の自由がこの世界から、少なくとも見えるかぎりの領域から駆逐され、いわば潜在的なものとされなかったならば、生じなかったであろう。暴力によって潜在的なものとされたこの自由の本能――(中略)押し戻され、内攻し、心内に幽閉されて、ついには自己自身に対してだけ爆発し、ぶちまけられるだけに過ぎなくなったこの自由の本能。これこそが、これのみが、良心の疾しさの始まりなのだ。414.この現象の全体が、もともと醜悪で惨憺としているからとて、ゆめこれを軽視しないでもらいたい。根本のところを言えば、あの芸術家や組織者らの内で豪壮に活動して国家を創建するのとまさに同じあの能動的な力が、ここでは内面的に、ちんまりと、こせこせと、退行的に、ゲーテの言葉をかりれば〈胸奥の迷宮〉のなかで、みずから良心の疾しさを創りだし、否定的な理想を築いているのである。この力というのは、ほかならぬあの自由の本能、(私の言葉でいえば、権力への意志)の事だ。ただここでは、造形的かつ暴虐的な本能をもったこの力が働きかける素材は、ほかならぬ人間そのものであり、その獣的な古い自己の全体そのものであって、――あのすぐれて壮大かつ著明な現象においてのように他の人間、他の人間たちではない、という違いがあるだけだ。この密かな自己暴虐、この芸術家的残忍、重苦しい、受け身の素材たる自己自身に形を与え、これに一個の意志と批判と矛盾と侮蔑と否定を烙きつけるこの悦楽、自己分裂を好み、苦悩させることの悦びのゆえに自らを苦悩させる魂のこの無意味なおそるべき悦楽に充ちた作業、要するにこの能動的な〈良心の疾しさ〉の労苦の全体こそが、結局において、―(中略)さまざまの理想的また空想的な出来事の真の母胎として、おびただしい量の新しい怪異な美と肯定をも発現させた(中略)自己滅却とか自己否認とか自己犠牲とかいった矛盾した概念のうちに、どれだけ理想や美が汲みとられうるかというものであるか(中略)その悦楽は残忍の一種なのである。――道徳的価値としての〈非利己的なもの〉の由来、およびこの価値を発生せしめた地盤の標示については、(中略)良心の疾しさこそが、自虐への意志こそが、非利己的なものの価値を生み出す前提となったのだ。(下略)416.原始的な種族共同体―われわれは太古の事を言っているのだが、―の内部にあっては、いついかなるときにも現存の世代は先行の世代に対し、とりわけ種族を草創した最初の世代に対して、ある種の法的義務を負っていることを承認する。(が、これは決して単なる感情上の責務ではない。この感情上の責務なら、およそ人類のいとも永きにわたる存続のためには、いわれなく無下に否定されるべきものではないであろう)。そこでは、種族は徹頭徹尾ただ祖先の犠牲と功業とのおかげで存立するという確信が、したがってまたこれは犠牲と功業とによって祖先に返済されなければならぬという確信が、支配している。すなわちこれは一つの債務が承認されたことなのであり、しかも、この債務はそれらの祖先が威力ある霊として今なお生きつづけていて、その力により新しい利益と前渡金を種族に与えるという確信によって、絶えず増大してゆく。先祖は無償でそうするものであろうか?が、〈無償〉などというものは、あの素朴な〈心貧しい〉時代にはまったくなかったことだ。では、何をもって返済したらよいのか?いうまでもなく犠牲(ごく大体のところをいって、はじめは飲食物のそれ)、祝祭、祠堂、拝礼、なかんずく服従をもってである―それというのも、すべての慣習が祖先の手になるものとして、その法令でもあり命令でもあったからである―。だが、それで祖先への十分な返済がなされるだろうか?この疑念がなお残り、そして大きくなる。この疑念に迫られて、ときどきは、何もかもひっくるめての巨額の返済を〈債務者〉にたいする或る種の恐るべき代償の支払いを余儀なくされる(たとえば悪名高い初児犠牲、きまっていつも血、それも人間の血)。祖先とその威力とにたいする恐怖、祖先にたいする負債の意識は、この種の論理にしたがって、種族それ自体の権力が増大するにつれ、また種族自体がいよいよ勝利を博し、独立を増し尊敬され畏怖されること大となるにつれて、かならず必然的に増大する。けっしてその逆ではない!種族が衰弱へとむかう一歩一歩、すべての悲惨な不慮の災難、退化の一切の徴候、始まりつつある解体のあらゆる徴候、こうしたものはむしろつねにまた種族の創建者の霊にたいする恐怖を減少させ、創建者の英明や先慮やその威力の臨在などについての思念をますます弱める。こうした素朴な論理のゆきつくはてを考えると、どうなるか。そのときには、もっとも強力な種族の祖先は、その想像された恐怖そのものの増大によってついに恐るべき巨大なものにまで成長し、神的な不気味さと不可思議さの暗闇のなかに押しやられざるをえなくなる。-かくしてついに祖先のすがたは必然的に一個の神に変えられてしまう。おそらくはここにこそ神々の起源が、つまりそれの恐怖からの起源が存するのだ!(下略)418.神なるものにたいして負債があるという意識は、歴史の教えるところでは〈共同体〉の血縁的組織形態が衰亡した後においてもけっしてなくなることはなかった。人類は、「〈よい〉と〈わるい〉」の概念を世襲貴族から(位階の秩序を設けようとする貴族心理の根本傾向とともに)受け継いだと同じく、また種族神や部族神をも遺産として受け継ぎ、かてて加えて未済の負債の重荷とその償却を願う熱望とをも継承したのである。(この間の移り行きに一役を買うのは、あの広汎にわたる農奴などの植民であるが、彼らは強制によるか屈従によるか擬態(ミミクリー)によるかして、彼らの支配者たちの神事に順応してしまった。かくて、彼らのもとからしてこの遺産がさらに四方八方に溢れ出していった。)こういう神にたいする債務感情は、幾千年にわたって止むことなく増大した。しかもそれは地上における神観念と神感情が発達し高揚するに即応して増大したのである。(異教のあいだの闘争、勝利、和解、融合の全歴史が、すべての人類、綜合における一切の民族要素の最終的な位階決定に先行する全事象が、それら民族の神々の系譜の混乱に反映しているし、またその神々の争い・勝利・和解などの伝説に反映している。世界帝国へと向かう道は、つねにまた世界神へと向かう道である。独立的な圧服して行われる専制政治は、つねにまた何らかの一神教に道をひらくものである。)これまでに達せられた最高の神であるキリスト教の神の出現はそれゆえ、また、最高度の債務感情をこの地上にもたらしたのである。もしもわれわれが、次第にこれとは反対方向の運動を起こしていたとするならば、キリスト教への信仰が絶え間なく衰退してゆくにちがいないということから推して、もう今日ではとっくに人間の債務意識のいちじるしい衰退も起っていたであろう。(下略)419.負い目や義務の概念を道徳化し、これらを良心の疾しさのなかへ押し戻すという試みとともに、本当のところ実は、今しがた述べた発展方向を逆転させようとする試み、少なくともこの発展の動きを停止させようとする試みがおこなわれてきた。かくして、今や、悲観すべきことに、負債の完済のあの見込みはそれっきり、終極的に閉ざされざるをえなくなる。今や眼差しは、鉄のごとき不可能に突き当たって絶望的に跳ね返り、弾き返らざるをえなくなる。今やあの〈負い目〉や〈義務〉の概念は、後ろ向きにならざるをえなくなる。―いったい何者の方へ向かうのか? 疑いもなく、まずそれは〈債務者〉へと向かうのだ。かくして今や、彼の内に良心の疾しさがしっかりと根を下ろし、食い入り、はびこって、水虫のごとく、一面に広がり、深まりつつ生長する。これがためについには、負債の償いができなくなるとともに、罪の贖いもなしえないようになり、かくして贖罪の不可能〈永劫の罰〉という思想が胚胎するに至った―。だが最後には、それがさらに〈債権者〉にさえも向かうことになる。(中略)かくしてついにわれわれは、はしなくも、責め苛まれた人類がそれによって当座の慰安を見出すようになったあの逆説的な、おそるべき方策の前に、キリスト教のあの天才的な詭策の前に立つにいたった。その詭策とはこうだ。―神みずからが身をもっておのれ自身に弁済をなし給う、神こそは人間自身の返済しえなくなったものを人間に代わって、返済しうる唯一者であり給う。―債権者みずからが債務者のために犠牲となる。それも愛からして(信じられることだろうか?-)おのれの債務者への愛からして!―420.以上の事態とともに、またそうした事態のもとに、いったい何が起こったかは、すでにお察しの事であろう。すなわち、内面化されて自己自身の内へと追い込まれた動物人間の、馴致さるべく〈国家〉のなかに閉じ込められた動物人間の、あの自己呵責への意志、あの内攻した残忍さこそがそれである。この動物人間は、苦しめようとするこの意欲のより自然な捌け口がふさがれたために、自分自身を苦しめようとして良心の疾しさを案出した。―良心の疾しさにとりつかれたこの人間は、その自己呵責を凄絶な峻厳さの極みまで押しつめるために、宗教的前提をば我が物としたのである。神にたいする負い目(罪責)、この思想が人間にとっての責め具となる。彼は神のうちに、おのれの固有の脱却しがたい動物本能と対立するものと考えられうる究極の反対物を見る。彼は、この動物本能そのものをば、神にたいする負い目として(〈主〉・〈父〉・世界の始祖や始原にたいする敵対、反逆、謀叛として)解釈し変える。彼は〈神〉と〈あくま〉との矛盾のあいだ自らを張りわたす。彼は、自己自身および自己の存在の自然、天真、事実にたいして否というこの否定の一切をば、おのれ自らの外へと投げやり、あえてこれをば逆に肯定となし、存在する生ける現実者となし、神となし、神の聖性となし、神の審判となし神の処刑となし、彼岸となし、永遠となし、はてしなき責め苦となす。これこそは比類を絶した、精神的残忍における一種の意志錯乱である。すなわちそれは、おのれ自身を救われがたいまでに罪あるもの呪わるべきものと見ようとする人間の意志である。どんなに罰を受けても自分の罪を償うことはできないとする、と考えようとする人間の意志である。事物の奥底に罪と罰の問題を感染させてこれを汚毒することによって、この〈固定観念〉の迷宮から一思いに抜け出そうとする人間の意志である。一つの理想―〈聖なる神〉という理想を得て、これと対面することで自己の絶対的無価値をはっきり確認しようとする人間の意志である。おお、この錯乱した哀れむべき人間獣に心せられよ!彼らの(中略)責めと背理の暗闇のうちにいかに愛の叫びが、憧れに痴れた歓喜の叫びが愛における救済の叫びが鳴り響いていたかをなお聞き取ることができる者は、抑えがたい戦慄に顔をそむける。(下略)422.神々の観念はそれ自体としては、かならずしも、一瞬われわれが思い浮かべざるをえなかったようなかかる頽廃的な想像に導くものではないということ。この数千年来ヨーロッパがその至芸のほどを発揮してきたような、人間のかかる自己否定のために神々を案出し、これを利用するよりも、もっと高貴なやり方の神々の案出利用があるということ。こうしたことはギリシアの神々に一瞥を投ずることによって推知されうることである。ギリシアの神々は、高貴にして、自主独立な人間のすがたの反映であって、これに照らして人間の内なる野獣は自らの神化を感じたのであり、けっしてそれによって自己自身を引き裂きもしなかった。このギリシア人たちは、〈良心の疾しさ〉なるものを寄せつけず、その魂の自由をいつまでも楽しむことができるためにとてこそ、永きにわたって彼らの神を利用したのだ。(中略)幾世紀ものあいだ、高貴なギリシア人は自分の仲間の悪行を見るたびに、そう自問した。ついに彼は頭を振りながら、われと自らに言った。「おそらく神に誑かされたに違いない」と。こういう遁辞はギリシア人に典型なものであった。このように当時は、禍悪においてさえも人間をある程度まで弁護するのに神々が役立ったのである。(中略)当時は神々が、罰を下すことを引き受けないで、むしろそれよりも高貴なこと、つまり罪を引き受けることをしたのだ。424.この地上ではすべての理想の樹立がいかに高いものについたかを、とくと自らに問うてみたことがあるか?そのためには、どれほどの現実が誹謗され、誤認され、どれほど虚偽が聖化され、どれほど良心が惑乱され、どれほどその都度〈神〉が犠牲に供されねばならなかった事か?一つの聖殿が建立されうるためには、一つの聖殿が毀たれねばならない。これが定めである。(中略)われわれ近代人、このわれわれは幾千年にもおよぶ良心の生体解剖と、自己=動物虐待との相続人なのだ。この点でこそ、われわれはもっとも長い稽古をつんだのであり、おそらくその点にわれわれの芸術家気質があり、いずれにせよそこにわれわれの洗練、われわれの趣味の奢りがある。人間はあまりにも久しくおのれの自然の性向を〈悪い目つき〉で見てきたがために、ついにこの自然の性向は彼の内で〈良心の疾しさ〉と姉妹になってしまった。もともとはこれと逆の試みが可能であろう。―だが、それをやるだけの強さをもつ者がいるだろうか?逆の試みとは、すなわち、不自然な諸性向を、彼岸的なもの、反官能的なもの、反本能的なもの、反自然的なもの、反動物的なものへのあの一切の熱望を、要すれば、総じて生に敵対する理想・世界を誹謗する従来の諸思想を、良心の疾しさと姉妹の契りに入らせるという試みの事だ。(中略)おそらくわれわれが対面しなければならないのはほかならぬあの善良な人間どもとくる。それにまた当然ながら、あの安逸な協調的な、虚栄的な、夢想的な、疲労した人間どもとくる…。おのれ自身を遇するに峻厳と高慢をもってすべきを幾分なりと気づかせること以上に、深く人を傷つけるものがほかにあろうか。それほど心底から人を背き去らせるものがほかにあろうか?反対にまた―われわれが世の人々みなと同様に振る舞い、世の人々みなと同じく〈なりゆきまかせ〉に消光するとなるや、世人一同はなんとわれわれを歓迎し、好意を示してくれることか!…あの目標に達するためには、現下のこの時代に存在しそうに思われる精神とは別種の精神が必要なのだ!それはすなわち、戦争と勝利とによって強壮にされ、征服や、冒険や、危険や苦痛がなくてはならぬ必要物とさえもなっている精神である。それにはまた、きびしい高地の大気や、冬の漂白や、あらゆる意味での氷と山岳に慣れていることが必要なのだ。また一種の崇高な悪意さえも必要であり、さらには、大いなる健康の一契機である至大の自負にみちた認識の端倪すべからざる奔放さが必要なのだ。簡潔に、はなはだ手厳しく言えば、まさにこの大いなる健康こそが必要なのだ!(中略)いつかは、この腐朽した自己懐疑的な現代よりもさらにもっと強壮な時代になれば、あの者が、大いなる愛と侮蔑とを抱いたあの救済する人間が、おのれの衝迫力によって、一切の塵外超脱の境からくりかえし、追い出されるあの創造的精神が、きっとやって来るであろう。この者の孤独は、現実からの逃走であるかのごとくに、民衆から誤解さればする―、だがこれは、じつは現実への彼の沈潜、投入、掘り下げにほかならず、かくすることによって彼がいつかそこから出てふたたび世人の眼前に姿をあらわすとき、この現実の救済を、すなわち、これまでの理想によってかけられた呪詛からの現実をもたらすにいたるのである。(下略)「第三論文 禁欲主義的理想は何を意味するか?」432.すべての芸術家と同じく悲劇作者もまた、自己および自己の芸術を眼下に見下ろすことができるときにこそ、―自己自身を嘲笑することができるときにこそはじめて、おのが偉大さの絶頂に達する(下略)447.「所有する者は所有される」453.自己自身にたいする残忍と、工夫をこらした難行苦行をもって、それを遂行した。―これこそは、これら権力に飢えた隠遁者や思想革新者らの主要手段であったが、彼らとしてはおのれ自らの革新を信ずることができるためには、まず自己自身の内の神々や因習を克服しなければならなかったのだ。ここで私が思い起こすのは、あのヴィシヴァミトラ王の有名な物語である。この王は、幾銭年にわたる自虐的苦行のすえに、大いなる権力感情と自信を獲得し、かくて一つの新しい天界の建立を企てるにいたった。これこそは、この地上におけるもっとも古くて新しい哲学者物語の不気味な象徴である。―かつて〈新しい天界〉を建立した者はいずれもみな、それがための権力をまずおのれ自身の地の底のうちに見出した。(中略)すなわち、哲学者精神は、それが何ほどかであれ、存在しうるためには、なによりもまずつねに観想的人間という前もって確立されている型でもつておのれを仮装し身を変え、僧侶や魔術師や、予言者として、一般に宗教的人間として立たなければならなかった。禁欲主義的理想は長いあいだ哲学者にとって、その出現のための形相として、その実存の前提として役立ってきた。(下略)461.人間における恵まれた幸運としての精神的・肉体的強壮という稀有の場合は一層高く尊重さるべきであり、またそれだけ出来の良い者たちは最悪の空気、病者の空気から一層厳しく保護されなければならない。(中略)病者こそは健康者にとって、最大の危険なのだ。強者にとっての禍いは、最強者からくるのではなく、最弱者からくる。これが知られているだろうか?…(中略)人間の大なる危険は病者であって、悪人でもなければ〈猛獣〉でもない。元からの破綻者、打ちのめされた者、打ち砕かれた者、―これらもっとも弱き者たちこそはもっともはなはだしく人間の生の土台を掘り崩してこれを危殆に陥らしめ、生や人間やわれわれ自身にたいするわれわれの信頼に危険きわまる毒を注入し、これを疑問にさらすものである。どこへ行ったら、深い悲愁を感じせしめるあの陰鬱な眼つきから生まれついての不具者のあの後ろめたい眼つき、彼の独りごちする呟きの中身が窺われるようなあの後ろめたい眼つきから、―嘆息そのものであるようなあの眼つきから、逃れられるだろうか! その眼つきはこう嘆息する、「私が何なりと別な人間であったらよかったになあ!だがもう希望はない。私はどこまでも私だ。どうしたら私はこの私自身から逃れられるだろうか?とにかく―私は自分が厭になった!」…自己侮蔑のこうした土壌に、それこそ本物の沼沢地に、あらゆる雑草、あらゆる毒草が生い茂る。それもみな、いとも小さく、いとも忍びやかに、いとも卑しげに、いとも甘ったるいさまをしてだ。そこには復讐心や遺恨の虫がうようよしている。そこでは空気が密計や内証ごとの悪臭でむんむんしている。そこでは、悪辣きわまる陰謀の網が―出来の良い者・勝ち誇れる者にたいする陰謀の網がたえず張られている。そこでは勝ち誇れる者の風姿が憎悪される。しかもこの憎悪を憎悪として認めまいとして、何たる欺瞞を弄することぞ!大言壮語や大仰な身振りの何たる浪費、〈もっともらしい〉誹謗の何たる手管があることぞ!これら出来損ないどもときたら、その唇から何という高尚な懸河の弁を吐き出すことか!彼らの眼は何と多くの甘ったるい、ねばついた、恭謙な諦念を潤んでいることか!彼らはいったい何を望んでいるのか?せめてなりと正義、愛、知恵、優越をひけらかすこと、―これこそが、これら〈最下等者〉どものこれら〈病者〉どもの野心なのだ!こういう野心はどんなに人を巧妙にすることか!とくに彼らが美徳の刻印、美徳の音色、美徳の黄金和音を模するその贋金づくりの巧技に驚嘆するがよい。疑いもなく彼らは、この弱者や不治の病者どもは、今や美徳がすっかり自分のものであるかのような顔をしている。「われわれだけが善人だ。義人だ。われわれだけが〈善意の人間〉だ」と彼らは称する。彼らは非難の権化、われわれにたいする消す国となって、われわれのあいだを徘徊する。―まるでそれは、健康・出来の良さ・強さ・矜持・権力感情がそれ自体すでに不徳義なものであって、いつかは、罰を受けなければならないもの、といわんばかりのありさまだ。おお、どんなにか彼らは心底から罰を蒙らせようと狙っていることか、どんなにか彼らは刑吏たろうと渇望していることか。彼らのうちには、裁判官に変装した復讐鬼がうようよいて、たえず〈正義〉という言葉を毒のある唾液のように口に含み、いつも口先をとがらせながら、満足そうな心持で上機嫌に街をゆくすべての人に唾を吐きかけようと狙っている。(中略)何らかの形で優越をひけらかそうとする病者らの意志、健康者を暴圧するにいたるべき間道を求める彼らの本能、―まさにもっとも虚弱な者どものこの権力への意志、それがみいだされないところなどあるだろうか!(中略)すべての家族、すべての団体、すべての共同体の背後を覗いてみるがよい。そこにはいたるところ病者の健康者に対する闘争がある。―それも声なき闘争であって、たいていは毒心の粉末や、ちくりとした厭がらせや、陰険な忍耐者のダンマリ芝居を武器にして、がまた時には身振りだけは〈高貴な憤激〉ぶりをみせたくてたまらぬあの病者的パリサイ主義を武器としておこなわれているのである。この病犬どもの嗄れ声の怒鳴りたて、こうした〈高貴な〉パリサイ人どもの咬みつかんばかりの嘘八百と激怒、それこそは科学の聖域のなかにまで聞こえてくることがあるらしい(中略)。これら生理的な破綻者にして虫食いども、彼らはすべてルサンチマンの人間であり、地下的な復讐によって全地が震えている様な人間であって、彼らは幸福な人間に対する爆発においても、また復讐の仮装舞踏会をやらかすことにおいても、復讐の口実を作ることにおいても、倦むことを知らず、飽くことを知らない。一体、いつになったら彼らは、彼らの復讐の最後の至妙の、崇高きわまる凱歌を奏するにいたるだろうか? 疑いもなくそれは、彼ら自身の悲惨を、およそ悲惨という悲惨のすべてを、幸福な人間たちの良心のなかへ押し入れることに彼らが成功したその時である。そうなったあかつきには幸福な人間たちは、やがては自分らの幸福に恥じ入る様になり、そしておそらく互いに語り合うであろう。「幸福であるのは恥ずべきことだ!あまりにも悲惨なことが多すぎるというのに!」…だが幸福な人間、出来の良い人間、心身ともに強健な人間たちがこのように自分らの幸福への権利を疑いはじめることにもまして大きな宿命的な謬見はおそらくないであろう。こんな〈逆立ちした世界〉などは消えてなくなれ!こんな恥ずべき感情の軟弱化などは叩き出してしまえ!病者が健康者を病気にさせる―これが例の軟弱化というものだろう―ことがないということ、これこそがこの地上での最高の見地であるべきなのだ。―、がこのためには何はおいてもまず、健康者が病者から隔離されていて、病者の姿を見ることさえもないようにされていること、また健康者が病者と自分とを取り違えることがないということが必要なのである。それとも、看病人が医者であることが健康者の任務だとでもいうのだろうか?…が、これ以上にひどく健康者の任務を見損ない否認したものはまたとないであろう。―高級な者は低級な者の道具にまでおのれを貶下すべきではない!距離のパトスがこれら両者の任務を永久に引き離しているべきなのだ!健康者の生存の権利、すなわち調子の狂った破鐘にたいして完璧な響きの鐘が有する特権は、まこと千倍も大きいのだ。ひとり彼らだけが未来を保証する者であり、彼らだけが人類の未来にたいする責任を負っている者である。彼らがなしうること、彼らがなすべきことは、病者ごときの金輪際なしえぬこと、なすべからざることである。がしかし、ひとり彼らだけがなすべきことを彼らがなしえんがためとて、彼らが病者の医師、慰め手、〈救い主〉の役を演ずることなど許されていいものだろうか?…さればこそ、よい空気が必要なのだ。よい空気がだ!とにもかくにも、文化の一切の癲狂院や病院の近辺から遠ざかることが必要なのだ!さればこそ良い仲間がわれわれの仲間が必要なのだ!さてまた、やむをえないとならば、孤独に住することだ!が、いずれにせよ、内攻する頽廃と密かな病者の虫食いからくる悪臭から身を遠のけることが必要なのだ!…それもつまりは、わが友らよ、ほかならぬこのわれわれのために取っておかれたのかもしれない二つの極悪の疫病から、せめてしばしなりともわれら自身の身を守らんがためなのだ、―あの人間にたいする大いなる同情から!…466.病者を看護し、病者の健康を回復してやることは、およそまったく健康者の任務ではありえないという事情のほどが、とことんまで深く了得されたならば、―まさにここのところを人が深く理会し、深く了得することを私は切望するが―、それとともに(中略)自分自身も病気である医者や看護人が是非なくてはならぬという一事も了得されているのだ。ここでいまやわれわれは、禁欲主義的僧侶というものの意味を両手(もろて)でがっしりと掴み取ったのである。われわれの見るところでは、禁欲主義的僧侶なるものはやめる畜群の予定された救済者、牧者、弁護人にほかならないのだ。こう見えてはじめてわれわれは彼の巨大な歴史的使命を理解することができる。苦悩者らにたいする支配、それが彼の王国なのであり、この支配を彼に命ずるのは彼の本能であって、この支配のうちに彼のこのうえなく独特な功技、彼の至芸、彼流儀の幸福が見られるのだ。病者や廃残者らを理解しうるためには、―そして彼らと心を通じ合えるようになるためには、彼はおのれ自らが病んでいなければならず、彼らと根っから縁類になっていなければならない。がまた彼は強くもなければならず、他人にたいするより以上に自己自身にたいする支配者でなければならず、とりわけその権力への意志において不退転でなければならない。そうしてこそ彼は病者たちの信頼と畏怖を勝ち得ることができるし、そうしてこそ、彼は彼らのため拠りどころ、防壁、支柱、圧制、暴君、神となることができる。(中略)ときによっては、自分の身をかりて、一つの新しい猛獣の型をつくり出すようにすること、すくなくともそう見せかけることが必要になる。―その猛獣とは、北極熊と、敏捷で冷然と機をうかがう豹と、すくなからぬ狐の要素とが結ばれ合って、魅力的でもあれば、畏怖すべきでもある統一体をなしているように見える、一つの新しいおそるべき獣なのだ。もしその必要に迫られたとなれば、彼は、霊妙不可思議な威力の布告者・代言者となつて、おそらく熊のごとく荘重に、威厳をもって、思慮深く、冷静に、入念に瞞着の策をこらしながら、他種の猛獣どものまっただなかにさえも踏み込んでゆくであろう。そのとき彼は、この大地にできるかぎり苦悩と、分裂と、自己矛盾の種をまいてやろうと決心しており、また、いつなりとも苦悩者たちを支配しうるという自分の手腕のほどに深い確信をいだいているのだ。彼が香油や香膏をたずさえているのは疑いのないところだ。が彼としては、自分が医者となるためには、まずもって相手に傷をつけなくてはならない。で彼は、傷からくる痛みを鎮めながら、同時に傷口に毒をそそぐ、―(中略)彼の息がかかるところでは、すべての健康者がかならず病気となり、すべての病者がかならず手なずけられる。この奇妙な牧者、彼は本当に彼の病める畜群を実によく守護してやる。―彼は、彼ら畜群を彼ら自身からも守護してやる。つまり、畜群それ自身のうちに燻っている劣悪さ、悪巧み、悪意、その他およそ一切の患者や病者に固有な毒素から守ってやる。ルサンチマンというあの危険な爆薬が絶えず蓄積されている畜群内部の無政府状態と、その内部でつねに起こりかける自己解体にたいして、彼は機敏に峻烈にまた隠密裡に闘うのである。この爆薬によって畜群や牧者が爆破されないように、その取扱いをうまくやること、これこそが彼の十八番の芸当なのであり、彼の至上の効用性もそこにある。(中略)僧侶とはルサンチマンの方向転換者である。(中略)けだし、すべての苦悩者は本能的におのれの苦悩の原因を探し求める。もっと正確にいえば、その苦悩をひきおこした行為者を、もつとはっきり言えば、苦悩にたいする感受性をもった罪の行為者を探し求める。―要するに、彼が自分の情動を行為によってか想像のなかで何らか口実を設けて爆発させうるような、或る生き者を探すのである。なぜなら、情動を爆発させることは、苦悩者が苦悩を鎮める試み、つまり麻痺させる試みとしてはもっと有効なものであり、それはいかなる種族の憂苦にたいしても思わず知らず欲求される麻酔剤だからである。私の推測するところでは、ただ、ここにのみ、すなわち、情動による苦痛の麻酔を求める渇望のうちにのみ、ルサンチマンや復讐や、その類いのものの真の生理的原因が見いだされるのである。―一般にこの原因は、防御的反発衝動に求められるが、(中略)そういう反発衝動は、反動という単純な防護措置、何らかの不意の障害や、危険にぶつかった場合の〈反対運動〉であって、(中略)これ以上の危害を蒙るのを阻止しようとする場合であり、他の一つは、ひそかに心を苛める堪えがたい苦痛を何らかのより強烈な情感によって、麻痺させ、せめて一瞬なりともそれを意識から消し去ろうとする場合である。―このためには、一つの情動が、一つのできるだけ激烈な情動が必要なのであり、またこれを掻き立てるためには手当たり次第の口実が必要となる。「私が不快なのは誰かのせいにちがいない」―こういうふうに推論するのが、およそ病弱者のすべてにつきもののやりまえである。しかも、こういうことをすればするほど彼らの眼には、自分らの不快の真の原因、すなわちその生理的原因は、いよいよ捉えられなくなる。(中略)苦悩者はおしなべてみな、苦痛を与える情念にたいし、口実を設けることにかけて驚くばかり熱心であり、発明の才に富んでいる。彼らは自分らの猜疑をさえも享楽するし、見かけだけの事柄を根掘り葉掘りやらかすのを楽しむ。彼らは自分らの過去や現在の五臓六腑をほじくり返して、いかがわしい怪しげな物語を探しだしては、そこで思うさま悩ましいばかりの疑心に身をまかせ、悪意の独特な毒に酔い痴れる。―彼らは、もっとも古い傷口を切りひらき、とっくの昔に治っていた傷痕から血を流す。彼らは、友人や妻や、子やその他いたって親密な人たちを悪者に仕立ててしまう。(中略)ところが彼の牧者である禁欲主義的僧侶は、彼に向かって言う。「その通りだ。私の羊よ!それは誰かのせいにちがいないのだ。が、この誰がというのは、じつはお前自身なのだ。それはただお前だけのせいなのだ。…」これはまったく思い切った言い分であり、まったく間違ってもいる。が、これによって少なくとも一つの事は成し遂げられている。すなわち、さきほど述べた如く、これによって、ルサンチマンの方向の転換がなされているのだ。470.彼が〈負い目〉などという逆説的で、背理的な概念の一時的な猛威を何のために役立てねばならなかったかは、もうすでにお分かりの事だろう。すなわちそれは、病者どもを或る程度まで無害なものとすること、不治の者どもを自滅させること、病症の比較的軽い者どもを或る程度まで無害なものとすること、不治の者どもを自滅させること。病床の比較的軽い者どもを厳しく自己自身へと帰向するようにさせて、彼らのルサンチマンをば、逆方向へと転換させること(「必要なのはただ一事のみ」)、かくして一切の苦悩者の悪しき本能を自己訓練、自己監視、自己克服のために利用しつくすことであった。いうまでもなく、この種の〈療法〉、すなわち、情念療法にあっては、生理的な意味での真の病者医療といったことは全く問題となりえない。(中略)人間における〈罪業〉というのは、何らかの事実なのでは、決してなく、むしろ生理的不調という一つの事実の解釈に過ぎず、―しかもこの生理的不調が、われわれにたいしてはもはやいささかも拘束力をもたない道徳的・宗教的な遠近法の下に観られたものにすぎない、ということだ。―それゆえ、何者かが、自分を〈責めがある〉とか感じたからと言って、彼がそう感じたのは正しいという証明にはならない。それは、何者かが自分を健康だと感じたからと言って、それだけでは、彼が健康であるということにはならないのと同断である。(中略)〈魂の苦しみ〉それ自体というものは、私にはおよそ事実とは思われない。むしろそれは、これまで厳密な定式に表現することができなかった諸事実の一解釈(因果論的解釈)でしかない。と思われる。したがって、まだまったく不確定であって科学的に突き止められないでいる或るもの、と思われる。―これを要するに、じつは、痩せこけた疑問符に代わって、肥え太った言葉が登場しただけの事だ。誰にしろ〈魂の苦しみ〉を始末できないというのならば、大ざっぱに言って、それはその者の〈魂〉のせいではない。むしろ、彼の腹のせいだ。と言ったほうが当たっているだろう。強壮にして出来のよい人間は、こわい食べ物を呑み込まねばならないときですらもその食物を消化する様に、その様にまた彼は自己の体験(さまざまの行為や非行も含めて)をも消化する。もし彼が体験を〈始末できない〉としたら、この種の消化不良も、あの食物の消化不良と同じく生理的なものであり、―しかも実際のところ、往々にして、それは、この食物の消化不良の一結果に過ぎないこともある。(下略)472.彼の療治し得るものは苦悩そのもの、苦悩者の不快だけであって、それの原因でもなければ、本物の病気でもない。(中略)ヨーロッパの〈世界苦〉、19世紀の〈ペシミズム〉は、本当のところは、途轍もなく急激な階級混交の結果なのである。あるいは、或る種族が自らの適応力をもってしてはうまくやっていけない様な風土に入り込んだこと、によるのかもしれない。(インドにおけるインド人の場合)。(下略)478.喜びが医療として処方されるもっとも通例の形式はひとを喜ばせる(たとえば慈善、施与、慰安、援助、励まし、賞揚、顕彰などをする)という喜びである。禁欲主義的僧侶は〈隣人愛〉を処方することによって、じつはきわめて慎重な匙加減をもってではあるが、もっとも生肯定的な最強の衝動、―すなわち、権力への意志を処方するのである。すべての慈善、恵与、絵所、顕彰などの行為に必然的にともなう〈極小の優越感〉の幸福こそは、生理的障害の所有者たちが常用する結構至極な慰藉手段なのである。(中略)下層社会では小さな喜び、相互的慈恵というあの沈鬱対治の主薬が意識的に培養されていた。(中略)強者らは必然的に互いに分離しようと努めるのに、弱者らは必然的に寄り合おうと努める。(中略)強者らにして、結合することがあるとすれば、それは彼らの権力への意志の攻撃的な総合行動と総合満足を見込んでのことに過ぎないもので、個々の良心の大きな抵抗なしにはすまされない。これに反して、弱者らが、連合するのは、ほかならぬこの連合そのものに愉悦を覚えるからなのだ。(下略)484. 禁欲主義的僧侶は、人間の内なる犬の全群れを遠慮会釈なく自分のために使役し、ときにはこの犬、ときにはあの犬をけしかけながら、いつも同じ一つの目的を、つまり人間を慢性の悲愁から呼び覚まし、せめて一時なりともその暗鬱な苦痛や愚図つく悲惨を追い払おうという目的を遂げようとしてきた。しかもそれがまたつねに宗教的な解釈と〈弁明〉のもとになされたのだ。(下略)511.人間は何も欲しないよりは、いっそむしろ虚無を欲する。『ニーチェ全集第三巻』「哲学者の書」昭和四十年五月二十五日渡辺二郎訳、理想社「運命と歴史」(ゲルマニア朗読 千八百六十二年)12.われわれの全過去の素晴らしい遺産であり、われわれの未来の予告者である、歴史と自然科学、これらのみが、確実なる基底であって、その上に、われわれは思弁の塔を築き得るのである。われわれは、少年時代の印象とか、両親や、教育の影響などによって、心の奥底は甚だしく規定されているので、深く根ざしてしまったかの諸々の偏見は、理性的な理由や単なる意志によっては、そう簡単には切除され得ないのである。習慣の威力、より高きものへの要求、すべての現存のものとの決裂、社会のあらゆる形式の解消、二千年にわたって人類はあるいは幻像にかどわかされていたのではないかという疑惑、自己の僭越さと、無謀さの感情、これらすべてのものが、解決し得ない争いを行って、挙句の果てには、苦しい経験や悲しい結果が、われわれの心情を再び、古き少年時代の信仰へと連れ戻して行ってしまうのである。しかしながら、このような疑惑が胸裡に刻み残した痕跡を観察することは、如何なる人にも、各自自身の魂の発展史に寄与することになるに違いない。(中略)風習が或る一時代、或る一民族、或る一精神方向の一産物として成立している様に、道徳も、一つの普遍的な人類発展の結果なのである。それは、われわれの世界のためあらゆる真理の総和である。無限の世界のなかでは、それは、単にわれわれの世界のなかでの一つの精神方向の産物を意味するにすぎないということも、可能であろうし、また、個々の世界の心理の結果から、再び一つの普遍的な心理が展開して来るということも可能であろう! しかしわれわれは、人類そのものが、普遍的なもののなかの、生成してゆくもののなかの、単に、一つの段階、一つの時期に過ぎぬのではないかどうか、人類が神の恣意的な一つの現象ではないのかどうかをほとんど知っていないのである。(中略)われわれが知っているのは、ただ、同一の源泉、すなわち、人間性に基づいて、いろいろな外的印象の下で、さまざまな理念が形成されて行っているということ、それらの理念が生命と形態を獲得し、万人の共有財産、良心、義務感情となっているということ、永遠の生産衝動がそれらを素材としてまた、新たなものへと加工して行っているということ、それらが、生活を形成し、歴史を支配しているということ、それらが互いに争い合って互いのものを受け取り、この混合から新たな諸形態が現れ出て来るということ、それだけである。(中略)あらゆるものは、途方もなく、巨大な、無限に広がりゆく円環のなかを互いに輪をなしてそのまわりに拡がりながら、動いているのである。人間は最も内側にある円環の一つなのである。もしも人間が外側にある円環の振動を測定しようと欲するなら、彼は自分自身や、そのすぐ外側にある円環を捨象して、もっともより包含的な円環へと向かっていかねばならない。この直ぐ外側にある円環が、民族や社会や人類の歴史である。あらゆる振動の共通の中心、つまり無限に小さい円環を求めようとすることが、自然科学の課題なのである。人間は、それ自身においてもまた同時に意識的にも、かの中心を求めるものであるから、今やわれわれは、歴史と自然科学がわれわれにとって如何に比類ない有意義性をもたざるを得ないかを、認識するのである。(中略)普遍史の最高の把握は、人間には不可能である。しかし、偉大な歴史家は、偉大な哲学者と同様に予言者になるのである。(中略)われわれの気質とは、われわれの境遇や出来事の印象がその上に刻印されてきた、われわれの心情以外の何物でもない。実に多数の人間の魂を圧倒的に平凡なものにまで低下させ、より高き理念へと飛翔することを、かくも困難にさせているものは、一体何であろうか? 宿命的な頭蓋、及び、脊椎構造、両親の身分や、性質、境遇の平凡さ、周囲の卑俗さ、それどころか、故郷の単調ささえも、その原因である。われわれは深く影響を蒙ってしまっているのであって、われわれのうちには抵抗する力もなく、影響を蒙っていることを知ることさえないのである。外部のさまざまな印象を無意識的に受容することによって、自己の自立性を放棄してしまい、習慣の威力によって、魂の諸々の能力を押し潰してしまい、意志に反して混乱の種を魂のなかに植え付けてしまったということは、実に苦々しい思いである。これからすべての事を、われわれは、もっとより大きな規模で、民族の歴史の中にも再び見いだす。同一の出来事に見舞われた場合でも、多くの民族は、実に種々さまざまな仕方で、影響を受け取るのである。それ故、人類全体に、国家、または社会の何か或る一つの特殊の形式を、いわばステロ版でもって押し付けようとすることは、偏狭な事である。すべての社会主義的、共産主義的観念は、この誤謬をしている。というのも、人間は決して、二度と同じものではないからである。(中略)自由なる意志は、桎梏なきもの、恣意的なるものとして現れる。それは、無限に自由なるもの、彷徨しゆくもの、つまり、精神、である。これに反して、精神とは、一つの必然性である。(中略)悪なしの善と同様に、全く考えられ得ぬものである。何故なら、両者の対立が、初めて、固有なる性質を作り出すからである。(下略)・「意志の自由と運命」(ゲルマニア作文 一八六二年復活祭)21.意志の自由は、それ自身においては、思想の自由にほかならならず、思想の自由と同様に、これまた限界のあるものである。(中略)運命は、人間に対して、各人各自の人格性を鏡として、現れて来るものであるから、個人的な意志の自由と、個人的な運命とは、互いに相譲らぬ二つの敵対者なのである。われわれの見るところでは、運命の存在を信じている民族は、力と意志の強さにおいて秀でているが、これに反して、間違って仕方で理解されたキリスト教の信条に従って、「神が万事を良く作り給もうた」のだから、物事を成り行きのままに任せてしまっている女や男たちは、周囲の状況に、だらしなく左右されるものである。一般に「神の意志への服従」とか、「恭謙」とかいうものは、断乎として運命に立ち向かうことを卑怯にも、恐れていることを覆い隠す口実にほかならぬ場合が、しばしばあるのである。22. 運命とは一つの抽象的な概念に過ぎず、素材なき一つの力である。(中略)運命とは、さまざまな出来事の連鎖にほかならぬ。(中略)一般に人間に降りかかるさまざまな出来事は、意識的にもしくは無意識的に、人間自身によって引き起こされたのであって、その当人に釣り合ったものでなければならない。(中略)しかして、人間の活動は、生誕とともに漸く始まるのではなく、実はすでに、胎児のなかで始まっており、そして恐らくは、―この点については誰も決定できないが、―すでに両親や先祖において始まっているのである。23.魂の活動は、持続しているのであって、われわれが精神的な眼で以て観察していない場合でも、同じ様に弱まらずにあるのである。これと同様に、われわれは、しばしば明るい太陽の輝きのなかで眼を閉じたなら、われわれには太陽は輝いていないのだ、と考える。しかし、われわれの上におよんでいる太陽のさまざまな働き、つまり、太陽光線の生命活動を促進する作用や、その温和な温かさなどは、われわれが感官で以てそれをもはや知覚していないときでも、止んではいないのである。24.意志の自由と言うことのなかには、個体にとって、個別化、全体からの分離、絶対的無制限性、の原理が横たわっている。これに対して、運命は、人間を全体的発展との有機的結合のなかへと再びおき入れ、そして人間を支配しようとすることによって、人間を自由なる抵抗力の展開へと強制するのである。運命なき絶対的な意志の自由というものは、人間を神にしてしまうだろうし、宿命論的な原理は、人間を自動機械にしてしまうだろう。―・「哲学者に関する著作のための準備草案」(1872-73年)1875年一、1872年秋および冬から「最後の哲学者」「哲学者。芸術と認識との競争に関する諸考察」189.本当の高みに達すると、すべてのものは寄り集まり、合一する。―哲学者の思想も、芸術家の作品も、善なる行為も。191.模写的な歴史的記述には反対である! それは野蛮化する要素をそのうちに持っている。 それは、ただもっぱら、偉大にして無類の人々についてのみ、模範についてのみ、語らねばならない。(中略) 悲劇時代のすべてのギリシア人たちは、歴史家のひとかけらさえも持ち合わせてはいないのである。・哲学者は、例外者の様に、民族から、全くかけ離れたところに立っているのではない。意志は、哲学者においてもまた、何ほどかのことを意欲しているのである。その意図は、芸術の場合と、同様である。―すなわち、意志それ自身の光明化と、救済である。意志は、純粋さと純化に向かって努力するのである。一段、一段と。193.時代の歴史の雑踏を超えたところに、哲学者と芸術家の領域は生きている。時代の車輪のなかにおける制動機としての、哲学者。大いなる危険の時代というものがある。そうした時代に、哲学者は、現れ出るのである。―時代の車輪がますます速く回転する様になるそのときに、―彼らおよび芸術は、消滅し行く神話の代わりに登場するのである。しかし、彼らは、遥か未来の方へと、投げ出されている。何故なら、同時代者の注意が彼らの方向に向けられるのは、全く徐々に、だからである。自己の危険を意識するに到った民族は、天才を算出するのである。195.今日では、如何なる人間も、良書というのがどんな相貌をしているのかを、知らない。彼らは、構成ということを了解していないのである。その上、新聞が、ますます、感情を荒廃させて行っている。 崇高なものを、確乎として保持することができるということ!・模写的な歴史記述や、自然科学に抵抗するためには、途方もない芸術的な力が必要である。哲学者は、(中略)必須のものを認識すべきであり、しかして芸術家は、それを創造すべきである。(下略)198.私の課題、すなわち、あらゆる真なる文化の、内面的連関と必然性とを、把握するということ。或る文化の防衛手段と、救済手段、文化と民族精神との関係。すべての偉大なる芸術世界の必然的帰結が、文化である。しかし、敵対し合うさまざまな逆流のために、或る芸術作品がこの様な終結に到り着くことが不可能な場合が往々にしてある。199.学問にとっては、偉大とか、矮小とかということは、存在しない。―しかし、哲学にとっては、存在するのだ!上の命題を以て、学問の価値は測られるのである。 崇高なるものを確乎として保持するということ! 英雄的な力を呼吸している様な書物が、現代においては、如何に極度に欠如していることであろう! プルタコスさえも、もはや読まれないのである。202.芸術が何を成し得るかを、ギリシア人たちがわれわれに示して見せている。(下略)203.今は絶滅されてしまった処々の哲学や神学が、しかしなお相変わらず、依然と学問のなかに働き続けている。根もとの方が死滅してしまった場合でも、ここでは小枝の方には、なお暫時の生命があるのである。(中略)数学的自然科学において、実際に決定され得ることなら、ほんの極小の事も、形而上学的な諸理念よりも、高次のものとして、通用しているのである。ここでは、確実性の度合いというものが、価値を決めるのであって、人間にとっての不可欠性の度合いが、そうなのではない。これは、信仰と知識との古くからの闘争にほかならない。204.今や哲学は辛うじて、あらゆる認識の相対性を強調し得るに過ぎない。そして擬人的なものを、並びにまた、到るところで支配的となっている錯覚の力を、強調し得るに過ぎない。したがって、哲学は、もはや解放された認識衝動を阻止することができないのである。認識衝動は、ますます確実性の度合いによって物事を判断する様になり、しかもますます瑣末な対象を追求するようにするようになって行っている。一日が過ぎ去れば、何人も満足するのに、歴史家は、この日が過ぎ去った後でも、この日を忘却しない様にと、掘り返し、採掘し、結び合わせる。のである。瑣末なことも、認識され得るものであるが故に、永遠的であるべきだというわけである。 われわれにとっては、ただ、美的な規準のみが妥当するのみである。偉大なものは、歴史的記述に対して権利をもっているがしかし、模写的な歴史記述に対してではなく、生産的な、刺激的な歴史記述に対してである。生産的な、刺激的な歴史記述に対してである。われわれは、墓場を攪乱しようとはしない。だが、永遠に生けるものは、これをわがものとしようではないか。 現代の好みのテーマ、それはすなわち、最も瑣末的なものの偉大なる効果ということである。歴史的な掘り返しというものは、例えば全体としては、何か雄大な点をもっている。それは徐々にアルプスを磨り潰してしまう様な、みすぼらしい植物に似ている。小さな道具しかもっていないが、それを恐るべきほどたくさんもっているような、一つの大きな衝動、そういうものを、われわれは目撃しているのである。205.偉大なるものは、ただ偉大なるものに対してのみ、作用するのである。(中略)偉大なるものが一民族のなかで、隠者や、流謫者の形をとって現われて来ないということこそ、文化なるものの課題なのである。 それ故に、われわれは、われわれの感ずることを語ろう。すなわち、私の眼に明るく輝いて見えるもののかすかなる反照が、谷間にまで射し込んで行くようになるまで待つというようなことは、われわれの立場ではない。ということである。つまり、結局のところ、最も瑣末なるものの偉大なる効果というものは、偉大なる諸々のものの余波にほかならぬのである。(下略)206.歴史的記述的なものと自然科学とは、中世に反逆するために必要であった。つまりそれらは、信仰に反逆する知識、であった。今やわれわれは知識に対して、芸術を差し向ける。つまり、生への還帰! である。認識衝動の制御!道徳的、美的な本能の強化!207.善意をもつということや同情するということは、幸いにして、宗教の繁栄や衰退とは関係がない。これに反して、善なる行動をなすということは、宗教的な命法によって、ひどく規定されたものである。義務にかなった善なる行動の極めて広汎な部分が、何らの倫理的価値をもたず、むしろ強制されたものなのである。(中略)もしも風習が、強力な風習が、創造され得たならば、いいであろうに!そうすれば、またひとは、人倫性も、もつことになるわけである。しかし、風習は、個々の強力な人格者たちの率先によって、形成されるものである。多数の所有者階級のなかに目覚めつつある善意というものを、私は当てにはしていないが、しかしそれを、一つの風習に、旧習に対する一つの義務に、もって行くということは、できるかもしれないであろう。(下略)208.文化の目標は、或る民族の可能な限りの最大の幸福という様なものではなく、また、その民族のもっているあらゆる天賦の障害なき発展という様なことでもない。しからずして、この発展の正しい均衡のなかに、文化は己れを示すのである。文化の目標は、地上の幸福を超え出た方向を指し示している。偉大なる諸々の作品の算出ということが、文化の目標なのである。


僕は黙って自分の席を整頓し始めた。僕は子供の時から物を散らかして置くということが大嫌である。学校にはいってからは、学科用のものと外のものとを選より分けてきちんとして置く。この頃になっては、僕のノオトブックの数は大変なもので、丁度外の人の倍はある。その訳は一学科毎に二冊あって、しかもそれを皆教場に持って出て、重要な事と、只参考になると思う事とを、聴きながら選り分けて、開いて畳かさねてある二冊へ、ペンで書く。その代り、外の生徒のように、寄宿舎に帰ってから清書をすることはない。寄宿舎では、その日の講義のうちにあった術語だけを、希臘拉甸ギリシャラテンの語原を調べて、赤インキでペエジの縁に注して置く。教場の外での為事は殆どそれ切である。人が術語が覚えにくくて困るというと、僕は可笑しくてたまらない。何故語原を調べずに、器械的に覚えようとするのだと云いたくなる。僕はノオトブックと参考書とを同じ順序にシェルフに立てた。黒と赤とのインキを瓶のひっくり反えらない用心に、菓子箱のあいたのに、並べて入れたのに、ペンを添えて、机の向うの方に置いた。大きい吸取紙を広げて、机の前の方に置いた。その左に厚い表紙の附いている手帖を二冊累かさねて置いた。一冊は日記で、寝る前に日日の記事をきちんと締め切るのである。一冊は学科に関係のない事件の備忘録で、表題には生利なまぎきにも紺珠かんじゅという二字がペンで篆書に書いてある。それから机の下に忍ばせたのは、貞丈ていじょう雑記が十冊ばかりであった。その頃の貸本屋の持っていた最も高尚なものは、こんな風な随筆類で、僕のように馬琴京伝の小説を卒業すると、随筆読になるより外ないのである。こんな物の中から何かしら見出みいだしては、例の紺珠に書き留めるのである。  古賀はにやりにやり笑って僕のする事を見ていたが、貞丈雑記を机の下に忍ばせるのを見て、こう云った。 「それは何の本だ」 「貞丈雑記だ」 「何が書いてある」 「この辺には装束の事が書いてある」 「そんな物を読んで何にする」 「何にもするのではない」 「それではつまらんじゃないか」 「そんなら、僕なんぞがこんな学校に這入って学問をするのもつまらんじゃないか。官員になる為めとか、教師になる為めとかいうわけでもあるまい」 「君は卒業しても、官員や教師にはならんのかい」 「そりゃあ、なるかも知れない。しかしそれになる為めに学問をするのではない」 「それでは物を知る為めに学問をする、つまり学問をする為めに学問をするというのだな」 「うむ。まあ、そうだ」 「ふむ。君は面白い小僧だ」  僕は憤然とした。人と始て話をして、おしまいに面白い小僧だは、結末が余り振ってい過ぎる。:「ヰタ・セクスアリス」修行は金を使ってする業わざで、金を取る道は修行ではない。:「渋江抽斎」われは獨り閑室に坐するとき、首かうべを囘めぐらして彼の我師と稱するものを憶ふに、一種の奇異なる感の我を襲ひ來るに會ひぬ。世界は譬へば美しき少女をとめの如し。その心その姿その粧よそほひは、わが目を注ぎ心を傾くるところなり。さるを靴工は、彼の穿はける靴を見よ、その身上第一の飾はこれぞと云ひ、縫匠ほうしやうは、否、彼の着たる衣を見よ、その裁ちざまの好きことよ、その色あひを吟味し、その縫際ぬひめに心留むるにあらでは、少女の姿を論ずべからずと云ひ、理髮師は、否々、彼の美しき髮のいかに綰わがねられたるかを見ずやと云ひ、語學の師はその會話の妙をたゝへ、舞の師はその擧止のけだかさを讚む。彼の我師と稱するものは、この工匠等に異ならず。されどわれ若し憚はゞかることなくして、人々よ、我も一々の美を見ざるにあらねど、我を動かすものは彼に在らずしてその全體の美に在り、(略)天地の間に生物せいぶつ多しと雖、その最も殘忍なるものは蓋けだし人なるべし。われ若し富人ならば、われ若し人の廡下ぶかに寄るものならずば、人々の旗色は忽ちにして變ずべきならん。(略) 曾て又一少年の審美學の書ふみに耽ふけるものありしが、其人は我にいかに思惟し、いかに吟詠し、いかに批評すべきを教へ、一朝わがその授くる所の規矩に遵したがはざるを見るに及びては、忽たちまち又わが我執がしふを責めたり。こはわが我執あるにはあらで、人々の我執あるにはあらざるか。そを翻ひるがへりてわれ我執ありといふは、わが人の恩蔭を被りたる貧家の孤みなしごたるを以てにあらずや。わが潔白なる心、敬愛の情は、一言の奬勵、一顧の恩惠を以て雨露となしゝに、人々は却りて毒水を灌そゝぎてこれを槁枯かうこせしめしなり。  今の我は最早昔の如き無邪氣の人ならず。さるを人々は猶無邪氣なるアントニオと呼べり。今の我は斷えず書ふみを讀み、自然と人間とを觀察し、又自ら我心を顧みて己の長短利病を審つまびらかにせんとせり。世途は艱難ならん。されどその我を毒すること今の生涯に孰與いづれぞ。今や公子はわれに自由を與へ給ふ。こは仙方なり、靈藥なり。われは只だその仙方靈藥の劇毒の如く我創痍を刺し、我に苦痛を與ふるを感ずるのみ。去らんかな、羅馬を去らんかな。いでや、記念かたみの花の匂へる南國を出でゝ、アペンニノの山を踰こえ、雪深き北地に入らん。アルピイおろしの寒威は、恰も好し、我が沸わきかへる血を鎭むるならん。いでや浮島のヱネチアに往かん、わたつみの配つまてふヱネチアに往かん。神よ、我をして復た羅馬に歸らしむること勿なかれ、我記念の墳墓を訪とぶらはしむること勿れ。さらば羅馬、さらば故郷ふるさと。即興詩人

新書漢文大系2『老子』跂(つまだ)つ者は立たず、跨(また)ぐ者は行かず。自ら見(あら)わす者は明らかならず、自ら是(よし)とする者は彰らかならず。自ら伐(ほこ)る者は功無く、自ら矜(ほこ)る者は長とせられず。その道に於(お)けるや、余食贅行(よしぜいこう)と曰(い)う。物或(つね)に是を悪(にく)む、故に有道者は処(お)らず。二十四章大象(たいしょう)を執(と)りて、天下に往(ゆ)けば、往きて害あらず、安平太(あんぺいたい)なり。楽(がく)と餌(じ)とは、過客(かかく)も止(とど)まる。道の言(げん)に出(い)だすは、淡乎(たんこ)としてそれ味わい無し。これを視るも見るに足らず。これを聴くも聞くに足らず。これを用いて既(つく)すべからず。第三十五章
之を将(まさ)にこれを歙(ちぢ)めんと欲すれば、必ず固(しばら)く之を張る。将に之を弱めんと欲せば、必ず固く之を強くす。将にこれを廃せんと欲せば、必ず固く之を興(おこ)す。将にこれを奪わんと欲せば、必ず固くこれを与ふ。是を微明と謂ふ。柔弱は剛強に勝つ。魚は淵より脱すべからず、国の利器は以て人に示すべからず。(36章)
その安きは持し易(やす)く、その未(いま)だ兆(きざ)さざるは謀(はか)り易し。その脆(もろ)きは泮(と)かし易く、その微(び)なるは散じ易し。これを未だ有らざるに為(おさ)め、之を未だ乱れざるに治む。合抱(ごうほう)の木も毫末(ごうまつ)より生じ、九層の台(うてな)も累土(るいど)より起こり、千里の行も足下(そっか)より始まる。為むる者はこれを敗り、執(と)る者はこれを失う。ここを以(も)って聖人は、無為也。故に敗るること無し。執ること無し、故に失うこと無し。民の事(こと)に従うや、常に幾(ほと)んど成るに於(お)いてこれを敗る。終りを慎しむこと始めの如くなれば、則(すなわ)ち事を敗ること無し。是を以って聖人は、欲せざるを欲し、得難(えがた)きの貨を貴ばず。学ばざるを学びて、衆人の過ぐる所に復(かえ)る。以って万物の自然を輔(たす)けて、而(しか)して敢えて為さず。第六十四章
論語』巧言令色、鮮(すくな)いかな仁。と。(巧言令色鮮矣仁。)(「論語」学而篇・陽貨篇)
子曰わく、君子、重からざれば則ち威あらず、学べば則ち固ならず、忠信を主とし、己に如(し)からざる者を友とすること無かれ、過てば則ち改むるに憚ること勿(な)かれ。と。学而第一(第一巻)の八
子曰わく、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(した)がう。七十にして心の欲する所に従えども矩(のり)を踰(こ)えず。と。為政第二の四
子曰わく、其の以てする所を視、 其の由る所を観、 其の安んずる所を察すれば、 人焉んぞ廋(かく)さんや、人焉んぞ廋さんや。(為政)
子曰はく、「故きを温めて新しきを知れば、以て師たるべし。」と。
子曰はく、君子は器ならず、と。
子曰はく、君子は修して比せず。小人は比して修せず。と。子曰はく、学びて思はざれば則ち罔(くら)し。思ひて学ばざれば則ち殆(あやう)し。と。
子曰く、其の鬼に非ずして之を祭るは諂うなり。義を見て為さざるは勇無きなり、と。為政[24]
子曰わく、不仁者(ふじんしゃ)は以(もっ)て久しく約(やく)に処(お)るべからず。以て長く楽しきに処るべからず。仁者は仁に安んじ、知者は仁を利す。と。里仁第四の二
子曰わく、君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る。と。里仁第四の十六
子曰わく、篤(あつ)く信じて学を好み、死を守りて道を善くす。危邦(きほう)には入らず、乱邦(らんぽう)には居(お)らず。天下(てんか)道(みち)あれば則(すなわ)ち見(あらわ)れ、道なければ則ち隠る。邦(くに)に道あるに、貧しくして且(か)つ賎(いや)しきは恥なり。邦に道なきに、富て且つ貴きは恥なり。と。泰伯第八の十三
子、四を絶つ。意毋(な)く、必毋く、固毋く、我毋し。子罕第九の四
子、川の上(ほとり)に在りて曰く、逝(い)く者は斯(か)くの如(ごと)きか。昼夜を舎(や)めず。と。子罕第九の十七
子曰わく、譬(たと)へば山を為(つく)るが如(ごと)し。未だ一簣(いっき)を成さざるも、止(や)むは吾(わ)が止むなり。譬えば地を平らかにする如し。一簣を覆(ふく)すと雖(いえど)も、進むは吾が往(ゆ)くなり。子罕第九の十九
子曰わく、苗にして秀(ひい)でざる者あり。秀でて実らざる者あり。子罕第九の二十二
知者は惑わず。仁者は憂えず。勇者は懼(おそ)れず。憲問第十四の三十
146.子曰く、己に克ちて礼を復(ふ)むを仁(忍、他には忍ばず、自己には忍ぶ)と為す。一日己に克ちて礼を復めば天下仁に帰す。仁を為すは己に由りて、人に由らんや。と。礼に非ざれば視ること勿れ、礼に非ざれば聴くこと勿れ、礼に非ざれば言うこと勿れ、礼に非ざれば動くこと勿れ。と。
司馬牛(しばぎゅう)、憂(う)れえて曰わく、人皆兄弟あり、我独(ひと)り亡(な)し。商(しょう)これを聞く、死生(しせい)命(めい)あり、富貴(ふうき)天に在り。君子は敬して失(しつ)なく、人と恭々(うやうや)しくして礼有らば、四海の内、皆兄弟たり。と。君子何ぞ兄弟なきを患(うれ)えんや。と。顔淵第十二の五
子曰く、君子は人の美を成して、人の悪を成さず。小人(しょうじん)は是(これ)に反す。と。顔淵第十二の十六
子曰わく、君子は和して同ぜず。小人は同じて和せず。子路第十三の二十三君子は泰にして嬌ならず。小人は嬌にして泰ならず
子曰わく、古(いにしえ)の学者は己の為にし、今の学者は人の為にす。憲問第十四の二十五君子は上達し、小人は下達す。
或(あ)るひとの曰わく、徳を以(もっ)て怨(うら)みに報ゆる。何如(いかん)、と。子曰く、何を以てか徳に報いん。直(ちょく、公平無私の正しさ)を以て怨みに報い、徳を以て徳に報いん、と。憲問第十四の三十六
衛の霊公(れいこう)、陳(じん)を孔子に問ふ。孔子対(こた)えて曰はく、俎豆(そとう)の事は則(すなわ)ち嘗(かつ)てこれを聞けり。軍旅(ぐんりょ)の事は未(いま)だこれを学ばざる也。と。明日(めいじつ)遂(つい)に行(さ)る。 小人窮すれば斯(こ)こに濫(みだ)る。衛霊公第十五衛霊公第十五
子曰はく、過(あやま)ちて改めざる、是(これ)を過ちと謂(い)ふ、と。衛霊公第十五の三十
子曰わく、君子は道を謀(はか)りて食を謀らず。耕すや、餒(う)え其の中(うち)に在り。学ぶや、禄(ろく)その中に在り。君子は道を憂(うれ)えて貧しきを憂えず。衛霊公第十五の三十二
子曰はく、教え有りて類無し。衛霊公第十五の三十九
孔子曰はく、益者(えきしゃ)三友あり。損者(そんしゃ)三友あり。直(なお)きを友とし、諒(まこと)を友とし、多聞(たぶん)を友とするは、益也。便辟(べんへき)を友とし、善柔(ぜんじゅう)を友とし、便佞(べんねい)を友とするは損なり。季子第十六の四
孔子曰わく、君子に三戒(さんかい)あり。少(わか)き時は血気未だ定まらず、之を戒(いまし)むる色に在(あ)り。其の壮なるに及びてや、血気方(まさ)に剛(ごう)なり、之を戒むること闘(とう)に在り。其の老ゆるに及びてや血気既(すで)に衰(おとろ)う、これを戒むること得(う、貪欲の事)に在り。と。季子第十六の七
孔子曰はく、生まれながらにしてこれを知る者は上也。学びて之れを知るものは次也。困(くるし)みて之れを学ぶは又其の次也。困みて学ばざる、民斯れを下(げ)と為す。と。季子第十六の九
子曰わく、道に聴きて塗(みち)に説くは、徳を之れ棄つるなり。と。陽貨第十七の十四
荀子「小人の学は耳より入り手口より出ず。口耳の間才(わず)かに四寸のみ。何ぞ以て七尺(しちせき)の躯を美とするに足らんや。」
子貢(しこう)曰はく、君子の過(あやま)ちや、日月(じつげつ)の蝕(しょく)するが如(ごと)し。過(あやま)つや人皆之れを見る、更(あらた)むるや人皆な之れを仰ぐ。子張第十九の二十一
孔子曰はく、命(天命)を知らざれば、以て君子たること無き也。礼を知らざれば、以て立つこと無き也。言(人の発言の真意を見抜くこと)を知らざれば、以て人を知ること無きなり。尭曰第二十の五

今のお勢の眼には宇宙は鮮あざやいで見え、万物は美しく見え、人は皆我一人われいちにんを愛して我一人のために働いているように見えよう※[#白ゴマ点、211-9]若もし顔を皺しかめて溜息ためいきを吐つく者が有れば、この世はこれほど住みよいに、何故人はそう住み憂うく思うか、殆ほとんどその意こころを解し得まい※[#白ゴマ点、211-10]また人の老やすく、色の衰え易いことを忘れて、今の若さ、美しさは永劫えいごう続くように心得て未来の事などは全く思うまい、よし思ッたところで、華かな、耀かがやいた未来の外は夢にも想像に浮ぶまい。昇に狎なれ親んでから、お勢は故もとの吾を亡なくした、が、それには自分も心附くまい※[#白ゴマ点、211-13]お勢は昇を愛しているようで、実は愛してはいず、只昇に限らず、総て男子に、取分けて、若い、美しい男子に慕われるのが何なにとなく快いので有ろうが、それにもまた自分は心附いていまい。これを要するに、お勢の病やまいは外ほかから来たばかりではなく、内からも発したので、文三に感染かぶれて少し畏縮いじけた血気が今外界の刺激を受けて一時に暴あれだし、理性の口をも閉じ、認識の眼を眩くらませて、おそろしい力を以もって、さまざまの醜態に奮見するので有ろう。若しそうなれば、今がお勢の一生中で尤もっとも大切な時※[#白ゴマ点、212-2]能よく今の境界を渡り課おおせれば、この一時ひとときにさまざまの経験を得て、己の人と為なりをも知り、所謂いわゆる放心を求め得て始て心でこの世を渡るようになろうが、若し躓つまずけばもうそれまで、倒たおれたままで、再び起上る事も出来まい。物のうちの人となるもこの一時ひととき、人の中うちの物となるもまたこの一時※[#白ゴマ点、212-5]今が浮沈の潮界しおざかい、尤も大切な時で有るに、お勢はこの危い境を放心うっかりして渡ッていて何時いつ眼が覚めようとも見えん。:「浮雲
どの位人の思はくを構はずにゐる事が出来るか験して見たのだと思つた(略)人の思はくを顧みぬやうになればなる程、神の存在を感ずる事が出来て来るのである。パアテル・セルギウスVATER SERGIUSレオ・トルストイ Lev Nikolaevich Tolstoi森林太郎

樋口一葉大つごもり83.何れ奉公の祕傳は裏表と言ふて聞かされて、
たけくらべ116.お前の祭の姿(なり)は大層よく似合つて浦山しかつた、私も男だと彼んな風がして見たい、誰れのよりも宜く見えたと賞められて、何だ己れなんぞ、お前こそ美くしいや、廓内(なか)の大卷さんよりも奇麗だと皆がいふよ、お前が姉であつたら己れは何樣(どんな)に肩身が廣かろう、何處へゆくにも追從ついて行つて大威張りに威張るがな、
『明治の文学第17巻 樋口一葉筑摩書房やみ夜70.一にもお蘭さま、二にもお蘭さまと我が物のやうに差出たる振舞、さりとは物知らずの奴かな、御産湯の昔より抱き参らせたる老爺さへ、心におもふ事の半分(なかば)は残して御意に従ふは浮世の礼なるを、(略)あのやうな物知らずは真向(まつかう)からあびせつけずは何事も分るまじ(略)『につ記』309.たとへばくろがねのまろがせ(鉄の塊)を烟の内につつみたらん様なるがよきぞかし(略)

虞美人草 漱石全集第四巻 一九九四年三月 夏目金之助 岩波書店
3.反(そり)を打った中折れの茶の廂(ひさし)の下から、深き眉(まゆ)を動かしながら、見上げる頭の上には、微茫(かすか)なる春の空の、底までも藍(あい)を漂わして、吹けば揺(うご)くかと怪しまるるほど柔らかき中に屹然(きつぜん)として、どうする気かと云(い)わぬばかりに叡山(えいざん)が聳(そび)えている。
4. 春はものの句になりやすき京の町を、七条から一条まで横に貫(つら)ぬいて、煙(けぶ)る柳の間から、温(ぬく)き水打つ白き布(ぬの)を、高野川(たかのがわ)の磧(かわら)に数え尽くして、長々と北にうねる路(みち)を、おおかたは二里余りも来たら、山は自(おのず)から左右に逼(せま)って、脚下に奔(はし)る潺湲(せんかん)の響も、折れるほどに曲るほどに、あるは、こなた、あるは、かなたと鳴る。山に入りて春は更(ふ)けたるを、山を極(きわ)めたらば春はまだ残る雪に寒かろうと、見上げる峰の裾(すそ)を縫(ぬ)うて、暗き陰に走る一条(ひとすじ)の路に、爪上(つまあが)りなる向うから大原女(おはらめ)が来る。牛が来る。京の春は牛の尿(いばり)の尽きざるほどに、長くかつ静かである。「おおい」と後れた男は立ち留(どま)りながら、先(さ)きなる友を呼んだ。おおいと云う声が白く光る路を、春風に送られながら、のそり閑(かん)と行き尽して、萱(かや)ばかりなる突き当りの山にぶつかった時、一丁先きに動いていた四角な影ははたと留った。瘠せた男は、長い手を肩より高く伸(の)して、返れ返れと二度ほど揺(ゆす)って見せる。桜の杖(つえ)が暖かき日を受けて、またぴかりと肩の先に光ったと思う間(ま)もなく、彼は帰って来た。
8. 渓川(たにがわ)に危うく渡せる一本橋を前後して横切った二人の影は、草山の草繁き中を、辛(かろ)うじて一縷(いちる)の細き力に頂(いただ)きへ抜ける小径(こみち)のなかに隠れた。草は固(もと)より去年の霜(しも)を持ち越したまま立枯(たちがれ)の姿であるが、薄く溶けた雲を透(とお)して真上から射し込む日影に蒸(む)し返されて、両頬(りょうきょう)のほてるばかりに暖かい。9. 振り廻した杖の先の尽くる、遥(はる)か向うには、白銀(しろかね)の一筋に眼を射る高野川を閃(ひら)めかして、左右は燃え崩(くず)るるまでに濃く咲いた菜の花をべっとりと擦(なす)り着けた背景には薄紫(うすむらさき)の遠山(えんざん)を縹緲(ひょうびょう)のあなたに描(えが)き出してある。
11. 百折(ももお)れ千折(ちお)れ、五間とは直(すぐ)に続かぬ坂道を、呑気(のんき)な顔の女が、ごめんやすと下りて来る。身の丈(たけ)に余る粗朶(そだ)の大束を、緑(みど)り洩(も)る濃き髪の上に圧(おさ)え付けて、手も懸(か)けずに戴(いただ)きながら、宗近君の横を擦(す)り抜ける。生(お)い茂(しげ)る立ち枯れの萱(かや)をごそつかせた後(うし)ろ姿の眼(め)につくは、目暗縞(めくらじま)の黒きが中を斜(はす)に抜けた赤襷(あかだすき)である。一里を隔(へだ)てても、そこと指(さ)す指(ゆび)の先に、引っ着いて見えるほどの藁葺(わらぶき)は、この女の家でもあろう。天武天皇の落ちたまえる昔のままに、棚引(たなび)く霞(かすみ)は長(とこ)しえに八瀬(やせ)の山里を封じて長閑(のどか)である。
13. 甲野さんは黒い頭を、黄ばんだ草の間に押し込んで、帽子も傘(かさ)も坂道に転がしたまま、仰向(あおむ)けに空を眺(なが)めている。蒼白(あおじろ)く面高(おもだか)に削(けず)り成(な)せる彼の顔と、無辺際(むへんざい)に浮き出す薄き雲の然(ゆうぜん)と消えて入る大いなる天上界(てんじょうかい)の間には、一塵の眼を遮(さえ)ぎるものもない。(略)大空に向う彼の眼中には、地を離れ、俗を離れ、古今の世を離れて万里の天があるのみである。
17.傘(かさ)を力に、岨路(そばみち)を登り詰めると、急に折れた胸突坂(むなつきざか)が、下から来る人を天に誘(いざな)う風情(ふぜい)で帽に逼(せま)って立っている。甲野さんは真廂(まびさし)を煽(あお)って坂の下から真一文字に坂の尽きる頂(いただ)きを見上げた。坂の尽きた頂きから、淡きうちに限りなき春の色を漲(みな)ぎらしたる果(はて)もなき空を見上げた。甲野さんはこの時「ただ万里の天を見る」と第二の句を、同じく小声に歌った。 草山を登り詰めて、雑木(ぞうき)の間を四五段上(のぼ)ると、急に肩から暗くなって、踏む靴の底が、湿(しめ)っぽく思われる。路は山の背(せ)を、西から東へ渡して、たちまちのうちに草を失するとすぐ森に移ったのである。近江(おうみ)の空を深く色どるこの森の、動かねば、その上(かみ)の幹と、その上の枝が、幾重(いくえ)幾里に連(つら)なりて、昔(むか)しながらの翠(みど)りを年ごとに黒く畳むと見える。二百の谷々を埋(うず)め、三百の神輿(みこし)を埋め、三千の悪僧を埋めて、なお余りある葉裏に、三藐三菩提(さまくさぼだい)の仏達を埋め尽くして、森々(しんしん)と半空に聳(そび)ゆるは、伝教大師(でんぎょうだいし)以来の杉である。甲野さんはただ一人この杉の下を通る。 右よりし左よりして、行く人を両手に遮(さえ)ぎる杉の根は、土を穿(うが)ち石を裂いて深く地磐に食い入るのみか、余る力に、跳(は)ね返して暗き道を、二寸の高さに段々と横切っている。登らんとする岩(いわお)の梯子(ていし)に、自然の枕木を敷いて、踏み心地よき幾級の階(かい)を、山霊(さんれい)の賜(たまもの)と甲野さんは息を切らして上(のぼ)って行く。 行く路の杉に逼(せま)って、暗きより洩(も)るるがごとく這(は)い出ずる日影蔓(ひかげかずら)の、足に纏(まつ)わるほどに繁きを越せば、引かれたる蔓(つる)の長きを伝わって、手も届かぬに、朽(く)ちかかる歯朶(しだ)の、風なき昼をふらふらと揺(うご)く。
18.朽草(くちくさ)の土となるまで積み古(ふ)るしたる上を、踏めば深靴を隠すほどに踏み答えもなきに、甲野さんはようやくの思で、蝙蝠傘(かわほりがさ)を力に、天狗(てんぐ)の座(ざ)まで、登って行く。
19.桜の杖(つえ)で、杉の間を指す。天を封ずる老幹の亭々と行儀よく並ぶ隙間(すきま)に、的(てきれき)と近江(おうみ)の湖(うみ)が光った。「成程」と甲野さんは眸(ひとみ)を凝(こ)らす。 鏡を延べたとばかりでは飽(あ)き足らぬ。琵琶(びわ)の銘ある鏡の明かなるを忌(い)んで、叡山の天狗共が、宵(よい)に偸(ぬす)んだ神酒(みき)の酔(えい)に乗じて、曇れる気息(いき)を一面に吹き掛けたように――光るものの底に沈んだ上には、野と山にはびこる陽炎(かげろう)を巨人の絵の具皿にあつめて、ただ一刷(ひとはけ)に抹(なす)り付けた、瀲(れんえん)たる春色が、十里のほかに糢糊(もこ)と棚引(たなび)いている。
21.「そんな慥かなものが世の中にあるものか、だから雅号が必要なんだ」「人間万事夢のごとしか。やれやれ」「ただ死と云う事だけが真(まこと)だよ」「いやだぜ」「死に突き当らなくっちゃ、人間の浮気(うわき)はなかなかやまないものだ」「やまなくって好いから、突き当るのは真(ま)っ平(ぴら)御免(ごめん)だ」「御免だって今に来る。来た時にああそうかと思い当るんだね」「誰が」「小刀細工(こがたなざいく)の好(すき)な人間がさ」 山を下りて近江(おうみ)の野に入れば宗近君の世界である。高い、暗い、日のあたらぬ所から、うららかな春の世を、寄り付けぬ遠くに眺(なが)めているのが甲野さんの世界である。
27. 「ぢゃ、斯んな色ですか」と女は青き畳の上に半ば敷ける、長き袖(そで)を、さっと捌(さば)いて、小野さんの鼻の先に翻(ひるが)えす。小野さんの眉間(みけん)の奥で、急にクレオパトラの臭(におい)がぷんとした。「え?」と小野さんは俄然(がぜん)として我に帰る。空を掠(かす)める子規(ほととぎす)の、駟(し)も及ばぬに、降る雨の底を突き通して過ぎたるごとく、ちらと動ける異(あや)しき色は、疾(と)く収まって、美くしい手は膝頭(ひざがしら)に乗っている。脈打(みゃくう)つとさえ思えぬほどに静かに乗っている。 ぷんとしたクレオパトラの臭は、しだいに鼻の奥から逃げて行く。二千年の昔から不意に呼び出された影の、恋々(れんれん)と遠のく後(あと)を追うて、小野さんの心は杳窕(ようちょう)の境に誘(いざな)われて、二千年のかなたに引き寄せらるる。
32. 具象(ぐしょう)の籠(かご)の中に飼(か)われて、個体の粟(あわ)を喙(ついば)んでは嬉しげに羽搏(はばたき)するものは女である。籠の中の小天地で女と鳴く音(ね)を競うものは必ず斃(たお)れる。小野さんは詩人である。詩人だから、この籠の中に半分首を突き込んでいる。
33.  時ならぬ春の稲妻(いなずま)は、女を出でて男の胸をするりと透(とお)した。色は紫である。 呼んだ男と呼ばれた女は、面と向って対座している。六畳の座敷は緑(みど)り濃き植込に隔(へだ)てられて、往来に鳴る車の響さえ幽(かす)かである。寂寞(せきばく)たる浮世のうちに、ただ二人のみ、生きている。茶縁(ちゃべり)の畳を境に、二尺を隔(へだ)てて互に顔を見合した時、社会は彼らの傍(かたえ)を遠く立ち退(の)いた。救世軍はこの時太鼓を敲(たた)いて市中を練り歩(あ)るいている。…赤子(あかご)が生れかかっている。…藤尾の兄(あに)さんと宗近君は叡山(えいざん)に登っている。 花の香(か)さえ重きに過ぐる深き巷(ちまた)に、呼び交(か)わしたる男と女の姿が、死の底に滅(め)り込む春の影の上に、明らかに躍(おど)りあがる。宇宙は二人の宇宙である。脈々三千条の血管を越す、若き血潮の、寄せ来(きた)る心臓の扉(とびら)は、恋と開き恋と閉じて、動かざる男女(なんにょ)を、躍然と大空裏(たいくうり)に描(えが)き出している。二人の運命はこの危うき刹那(せつな)に定(さだ)まる。東か西か、微塵(みじん)だに体(たい)を動かせばそれぎりである。呼ぶはただごとではない、呼ばれるのもただごとではない。「御帰りいっ」と云う声が玄関に響くと、砂利(じゃり)を軋(きし)る車輪がはたと行き留まった。襖(ふすま)を開ける音がする。小走りに廊下を伝う足音がする。張り詰めた二人の姿勢は崩(くず)れた。「母が帰って来たのです」と女は坐(すわ)ったまま、何気なく云う。「ああ、そうですか」と男も何気なく答える。…何気なく、もてなしている二人は、互に何気のあった事を黙許しながら、何気なく安心している。天下は太平である。何人(なんびと)も後指(うしろゆび)を指(さ)す事は出来ぬ。…天下は飽く迄も太平である。(略) 「だいぶ御邪魔をしました」と立ち懸(か)ける前に居住(いずまい)をちょっと繕(つく)ろい直す。洋袴(ズボン)の襞(ひだ)の崩れるのを気にして、常は出来るだけ楽に坐る男である。いざと云えば、突(つ)っかい棒(ぼう)に、尻を挙げるための、膝頭(ひざがしら)に揃(そろ)えた両手は、雪のようなカフスに甲(こう)まで蔽(おお)われて、くすんだ鼠縞(ねずみじま)の袖の下から、七宝(しっぽう)の夫婦釦(めおとボタン)が、きらりと顔を出している。「まあ御緩(ごゆっ)くりなさい。母が帰っても別に用事はないんですから」と女は帰った人を迎える気色(けしき)もない。男はもとより尻を上げるのは厭(いや)である。「しかし」と云いながら、隠袋(かくし)の中を捜(さ)ぐって、太い巻煙草(まきたばこ)を一本取り出した。煙草の煙は大抵のものを紛(まぎ)らす。いわんやこれは金の吸口の着いた埃及産(エジプトさん)である。輪に吹き、山に吹き、雲に吹く濃き色のうちには、立ち掛けた腰を据(す)え直して、クレオパトラと自分の間隔を少しでも詰(つづ)める便(たより)が出来んとも限らぬ。 薄い煙りの、黒い口髭(くちひげ)を越して、ゆたかに流れ出した時、クレオパトラは果然、「まあ、御坐り遊ばせ」と叮嚀(ていねい)な命令を下した。 男は無言のまま再び膝(ひざ)を崩(くず)す。御互に春の日は永い。
38.「失礼ですがちょっと御免蒙(ごめんこうむ)ります。――なにまだ伺いたい事があるから待っていて下さい」 藤尾は立った。男は六畳の座敷に取り残される。平床(ひらどこ)に据えた古薩摩(こさつま)の香炉(こうろ)に、いつ焼(た)き残したる煙の迹(あと)か、こぼれた灰の、灰のままに崩(くず)れもせず、藤尾の部屋は昨日(きのう)も今日も静かである。敷き棄てた八反(はったん)の座布団(ざぶとん)に、主(ぬし)を待つ間(ま)の温気(ぬくもり)は、軽く払う春風に、ひっそり閑(かん)と吹かれている。 小野さんは黙然(もくねん)と香炉(こうろ)を見て、また黙然と布団を見た。崩(くず)し格子(ごうし)の、畳から浮く角に、何やら光るものが奥に挟(はさ)まっている。小野さんは少し首を横にして輝やくものを物色して考えた。どうも時計らしい。今迄は頓(とん)と気がつかなかった。藤尾の立つ時に、絹障(きぬざわり)のしなやかに、布団(ふとん)が擦(ず)れて、隠したものが出掛ったのかも知れぬ。しかし布団の下に時計を隠す必要はあるまい。小野さんは再び布団の下を覗(のぞ)いて見た。松葉形(まつばがた)に繋(つな)ぎ合せた鎖の折れ曲って、表に向いている方が、細く光線を射返す奥に、盛り上がる七子(ななこ)の縁(ふち)が幽(かす)かに浮いている。たしかに時計に違ない。小野さんは首を傾けた。 金は色の純にして濃きものである。富貴(ふうき)を愛するものは必ずこの色を好む。栄誉を冀(こいねが)うものは必ずこの色を撰(えら)む。盛名を致すものは必ずこの色を飾る。磁石(じしゃく)の鉄を吸うごとく、この色はすべての黒き頭を吸う。この色の前に平身せざるものは、弾力なき護謨(ゴム)である。一個の人として世間に通用せぬ。小野さんはいい色だと思った。 折柄(おりから)向う座敷の方角から、絹のざわつく音が、曲(ま)がり椽(えん)を伝わって近づいて来る。小野さんは覗(のぞ)き込んだ眼を急に外(そ)らして、素知らぬ顔で、容斎(ようさい)の軸(じく)を真正面に眺めていると、二人の影が敷居口にあらわれた。
39.鶯(うぐいす)も鳴かぬ代りに、目に立つほどの塵もなく掃除の行き届いた庭に、長過ぎるほどの松が、わが物顔に一本控えている。何となく同一体のように思われる。
40. 弁舌は滾々(こんこん)としてみごとである。小野さんは一字の間投詞を挟(さしはさ)む遑(いと)まなく、口車(くちぐるま)に乗って馳(か)けて行く。行く先は固(もと)より判然せぬ。藤尾は黙って最前小野さんから借りた書物を開いて続(つづき)を読んでいる。
41.  女の眼は漸くに頁を離れた。波を打つ廂髪(ひさしがみ)の、白い額に接(つづ)く下から、骨張らぬ細い鼻を承(う)けて、紅(くれない)を寸(すん)に織る唇が――唇をそと滑(すべ)って、頬(ほお)の末としっくり落ち合う(あご)が――を棄(す)ててなよやかに退(ひ)いて行く咽喉(のど)が――しだいと現実世界に競(せ)り出して来る。「なに?」と藤尾は答えた。昼と夜の間に立つ人の、昼と夜の間の返事である。
43.「ここです」と藤尾は、軽く諸膝(もろひざ)を斜(なな)めに立てて、青畳の上に、八反(はったん)の座布団(ざぶとん)をさらりと滑(す)べらせる。富貴(ふうき)の色は蜷局(とぐろ)を三重に巻いた鎖の中に、堆(うずたか)く七子(ななこ)の蓋(ふた)を盛り上げている。 右手を伸(の)べて、輝くものを戛然(かつぜん)と鳴らすよと思う間(ま)に、掌(たなごころ)より滑る鎖が、やおら畳に落ちんとして、一尺の長さに喰(く)い留(と)められると、余る力を横に抜いて、端(はじ)につけた柘榴石(ガーネット)の飾りと共に、長いものがふらりふらりと二三度揺れる。第一の波は紅(くれない)の珠(たま)に女の白き腕(かいな)を打つ。第二の波は観世(かんぜ)に動いて、軽く袖口(そでくち)にあたる。第三の波のまさに静まらんとするとき、女は衝(つ)と立ち上がった。 奇麗な色が、二色、三色入り乱れて、疾(と)く動く景色(けしき)を、茫然(ぼうぜん)と眺(なが)めていた小野さんの前へぴたりと坐った藤尾は「御母(おかあ)さん」と後(うしろ)を顧(かえり)みながら、「こうすると引き立ちますよ」と云って故(もと)の席に返る。小野さんの胴衣(チョッキ)の胸には松葉形に組んだ金の鎖が、釦(ボタン)の穴を左右に抜けて、黒ずんだメルトン地を背景に燦爛(さんらん)と耀(かが)やいている。「どうです」と藤尾が云う。「成程善(よ)く似合いますね」と御母(おっか)さんが云う。「全体どうしたんです」と小野さんは煙(けむ)に巻かれながら聞く。御母さんはホホホと笑う。「上げましょうか」と藤尾は流し目に聞いた。小野さんは黙っている。「じゃ、まあ、止(よ)しましょう」と藤尾は再び立って小野さんの胸から金時計を外(はず)してしまった。
49. 「アレキサンダーなんか、そんなに豪(えら)いと思ってるのか」 会話はちょっと切れた。甲野さんは寝返りを打つ。宗近君は箕坐(あぐら)のまま旅行案内をひろげる。雨は斜(なな)めに降る。 古い京をいやが上に寂(さ)びよと降る糠雨(ぬかあめ)が、赤い腹を空に見せて衝(つ)いと行く乙鳥(つばくら)の背(せ)に応(こた)えるほど繁くなったとき、下京(しもきょう)も上京(かみきょう)もしめやかに濡(ぬ)れて、三十六峰(さんじゅうろっぽう)の翠(みど)りの底に、音は友禅(ゆうぜん)の紅(べに)を溶いて、菜の花に注(そそ)ぐ流のみである。「御前(おまえ)川上、わしゃ川下で……」と芹(せり)を洗う門口(かどぐち)に、眉(まゆ)をかくす手拭(てぬぐい)の重きを脱げば、「大文字(だいもんじ)」が見える。「松虫(まつむし)」も「鈴虫(すずむし)」も幾代(いくよ)の春を苔蒸(こけむ)して、鶯(うぐいす)の鳴くべき藪(やぶ)に、墓ばかりは残っている。鬼の出る羅生門(らしょうもん)に、鬼が来ずなってから、門もいつの代にか取り毀(こぼ)たれた。綱(つな)が(も)ぎとった腕の行末(ゆくえ)は誰にも分からぬ。ただ昔しながらの春雨(はるさめ)が降る。寺町では寺に降り、三条では橋に降り、祇園(ぎおん)では桜に降り、金閣寺では松に降る。宿の二階では甲野さんと宗近君に降っている。 甲野さんは寝ながら日記を記(つ)けだした。
50.  旅行案内を放(ほう)り出して宗近君はずしんと畳を威嚇(おどか)して椽側(えんがわ)へ出る。椽側には御誂向(おあつらえむき)に一脚の籐(と)の椅子(いす)が、人待ち顔に、しめっぽく据(す)えてある。連(れんぎょう)の疎(まばら)なる花の間から隣(とな)り家(や)の座敷が見える。障子(しょうじ)は立て切ってある。中(うち)では琴の音(ね)がする。甲野さんは別行に十字書いたが、気に入らぬと見えて、すぐさま棒を引いた。あとは普通の文章になる。「宇宙は謎(なぞ)である。謎を解くは人々の勝手である。勝手に解いて、勝手に落ちつくものは幸福である。(略) 。……すべての疑は身を捨てて始めて解決が出来る。ただどう身を捨てるかが問題である。死? 死とはあまりに無能である」 宗近君は籐(と)の椅子(いす)に横平(おうへい)な腰を据えてさっきから隣りの琴(こと)を聴いている。御室(おむろ)の御所(ごしょ)の春寒(はるさむ)に、銘(めい)をたまわる琵琶(びわ)の風流は知るはずがない。十三絃(じゅうさんげん)を南部の菖蒲形(しょうぶがた)に張って、象牙(ぞうげ)に置いた蒔絵(まきえ)の舌(した)を気高(けだか)しと思う数奇(すき)も有(も)たぬ。宗近君はただ漫然と聴(き)いているばかりである。 滴々(てきてき)と垣を蔽(おお)う連(れんぎょう)の黄(き)な向うは業平竹(なりひらだけ)の一叢(ひとむら)に、苔(こけ)の多い御影の突(つ)く這(ば)いを添えて、三坪に足らぬ小庭には、一面に叡山苔(えいざんごけ)を這(は)わしている。琴の音(ね)はこの庭から出る。 雨は一つである。冬は合羽(かっぱ)が凍(こお)る。秋は灯心が細る。夏は褌(ふどし)を洗う。春は――平打(ひらうち)の銀簪(ぎんかん)を畳の上に落したまま、貝合(かいあわ)せの貝の裏が朱と金と藍(あい)に光る傍(かたわら)に、ころりんと掻(か)き鳴らし、またころりんと掻き乱す。宗近君の聴いてるのはまさにこのころりんである。「眼に見るは形である」と甲野さんはまた別行に書き出した。「耳に聴(き)くは声である。形と声は物の本体ではない。物の本体を証得しないものには形も声も無意義である。何物かをこの奥に捕(とら)えたる時、形も声もことごとく新らしき形と声になる。これが象徴である。象徴とは本来空(ほんらいくう)の不可思議を眼に見、耳に聴くための方便である。……」 琴の手は次第に繁くなる。雨滴(あまだれ)の絶間(たえま)を縫(ぬ)うて、白い爪が幾度か駒(こま)の上を飛ぶと見えて、濃(こまや)かなる調べは、太き糸の音(ね)と細き音を綯(よ)り合せて、代る代るに乱れ打つように思われる。甲野さんが「無絃(むげん)の琴を聴(き)いて始めて序破急(じょはきゅう)の意義を悟る」と書き終った時、椅子(いす)に靠(もた)れて隣家(となり)ばかりを瞰下(みおろ)していた宗近君は「おい、甲野さん、理窟(りくつ)ばかり云わずと、ちとあの琴でも聴くがいい。なかなか旨(うま)いぜ」と椽側(えんがわ)から部屋の中へ声を掛けた。「うん、さっきから拝聴している」と甲野さんは日記をぱたりと伏せた。
83.  山門を入る事一歩にして、古き世の緑(みど)りが、急に左右から肩を襲う。自然石(じねんせき)の形状(かたち)乱れたるを幅一間に行儀よく並べて、錯落(さくらく)と平らかに敷き詰めたる径(こみち)に落つる足音は、甲野(こうの)さんと宗近(むねちか)君の足音だけである。 一条(いちじょう)の径の細く直(すぐ)なるを行き尽さざる此方(こなた)から、石に眼を添えて遥(はる)かなる向うを極(きわ)むる行き当りに、仰(あお)げば伽藍(がらん)がある。木賊葺(とくさぶき)の厚板が左右から内輪にうねって、大(だい)なる両の翼を、険(けわ)しき一本の背筋(せすじ)にあつめたる上に、今一つ小さき家根(やね)が小さき翼を伸(の)して乗っかっている。風抜(かざぬ)きか明り取りかと思われる。甲野さんも、宗近君もこの精舎(しょうじゃ)を、もっとも趣きある横側の角度から同時に見上げた。
85. 甲野さんは蓮池(れんち)に渡した石橋(せっきょう)の欄干(らんかん)に尻をかける。欄干の腰には大きな三階松(さんがいまつ)が三寸の厚さを透(す)かして水に臨んでいる。石には苔(こけ)の斑(ふ)が薄青く吹き出して、灰を交えた紫(むらさき)の質に深く食い込む下に、枯蓮(かれはす)の黄(き)な軸(じく)がすいすいと、去年の霜(しも)を弥生(やよい)の中に突き出している。 宗近君は燐寸(マッチ)を出して、煙草(たばこ)を出して、しゅっと云わせた燃え残りを池の水に棄てる。「夢窓国師はそんな悪戯(いたずら)はしなかった」と甲野さんは、(あご)の先に、両手で杖(つえ)の頭(かしら)を丁寧に抑えている。
86.  今迄は真面目の上に冗談(じょうだん)の雲がかかっていた。冗談の雲はこの時ようやく晴れて、下から真面目が浮き上がって来る。
87.  すべてを爪弾(つまはじ)きした甲野さんは杖の先で、とんと石橋(せっきょう)を敲(たた)いて、ぞっとしたように肩を縮める。宗近君はぬっと立ち上がる。「あれを見ろ。あの堂を見ろ。峩山(がざん)と云う坊主は一椀の托鉢(たくはつ)だけであの本堂を再建したと云うじゃないか。しかも死んだのは五十になるか、ならんうちだ。やろうと思わなければ、横に寝(ね)た箸(はし)を竪(たて)にする事も出来ん」「本堂より、あれを見ろ」と甲野さんは欄干に腰をかけたまま、反対の方角を指す。 世界を輪切りに立て切った、山門の扉を左右に颯(さっ)と開(ひら)いた中を、――赤いものが通る、青いものが通る。女が通る。小供が通る。嵯峨(さが)の春を傾けて、京の人は繽紛絡繹(ひんぷんらくえき)と嵐山(らんざん)に行く。「あれだ」と甲野さんが云う。二人はまた色の世界に出た。
88.  天竜寺(てんりゅうじ)の門前を左へ折れれば釈迦堂(しゃかどう)で右へ曲れば渡月橋(とげつきょう)である。京は所の名さえ美しい。二人は名物と銘打った何やらかやらをやたらに並べ立てた店を両側に見て、停車場(ステーション)の方へ旅衣(たびごろも)七日(なのか)余りの足を旅心地に移す。出逢うは皆京の人である。二条(にじょう)から半時(はんとき)ごとに花時を空(あだ)にするなと仕立てる汽車が、今着いたばかりの好男子好女子をことごとく嵐山の花に向って吐き送る。「美しいな」と宗近君はもう天下の大勢(たいせい)を忘れている。京ほどに女の綺羅(きら)を飾る所はない。天下の大勢も、京女(きょうおんな)の色には叶(かな)わぬ。
89.「人間の分子も、第一義が活動すると善いが、どうも普通は第十義ぐらいがむやみに活動するから厭(いや)になっちまう」(略)「血でもってふざけた了見(りょうけん)を洗った時に、第一義が躍然とあらわれる。人間はそれほど軽薄なものなんだよ」
91. 浮かれ人を花に送る京の汽車は嵯峨(さが)より二条(にじょう)に引き返す。引き返さぬは山を貫いて丹波(たんば)へ抜ける。二人は丹波行の切符を買って、亀岡(かめおか)に降りた。保津川(ほづがわ)の急湍(きゅうたん)はこの駅より下(くだ)る掟(おきて)である。下るべき水は眼の前にまだ緩(ゆる)く流れて碧油(へきゆう)の趣(おもむき)をなす。岸は開いて、里の子の摘(つ)む土筆(つくし)も生える。舟子(ふなこ)は舟を渚(なぎさ)に寄せて客を待つ。
92.  岸は二三度うねりを打って、音なき水を、停(とど)まる暇なきに、前へ前へと送る。重(かさ)なる水の蹙(しじま)って行く、頭(こうべ)の上には、山城(やましろ)を屏風(びょうぶ)と囲う春の山が聳(そび)えている。逼(せま)りたる水はやむなく山と山の間に入る。帽に照る日の、たちまちに影を失うかと思えば舟は早くも山峡(さんきょう)に入る。保津の瀬はこれからである。「いよいよ来たぜ」と宗近君は船頭の体(たい)を透(す)かして岩と岩の逼(せま)る間を半丁の向(むこう)に見る。水はごうと鳴る。「成程」と甲野さんが、舷(ふなばた)から首を出した時、船ははや瀬の中に滑(すべ)り込んだ。(略)傾(かた)むいて矢のごとく下る船は、どどどと刻(きざ)み足に、船底に据えた尻に響く。壊(こ)われるなと気がついた時は、もう走る瀬を抜けだしていた。
93.「あれだ」と宗近君が指(ゆびさ)す後(うし)ろを見ると、白い泡(あわ)が一町ばかり、逆(さ)か落しに噛(か)み合って、谷を洩(も)る微(かす)かな日影を万顆(ばんか)の珠(たま)と我勝(われがち)に奪い合っている。通る瀬はさまざまに廻(めぐ)る。廻るごとに新たなる山は当面に躍(おど)り出す。石山、松山、雑木山(ぞうきやま)と数うる遑(いとま)を行客(こうかく)に許さざる疾(と)き流れは、船を駆(か)ってまた奔湍(ほんたん)に躍り込む。 大きな丸い岩である。苔(こけ)を畳む煩(わずら)わしさを避けて、紫(むらさき)の裸身(はだかみ)に、撃(う)ちつけて散る水沫(しぶき)を、春寒く腰から浴びて、緑り崩(くず)るる真中に、舟こそ来れと待つ。舟は矢(や)も楯(たて)も物かは。一図(いちず)にこの大岩を目懸けて突きかかる。渦捲(うずま)いて去る水の、岩に裂かれたる向うは見えず。削(けず)られて坂と落つる川底の深さは幾段か、乗る人のこなたよりは不可思議の波の行末(ゆくえ)である。…――舟は只まともに進む。
95. 「少しは穏(おだや)かになったね」と甲野さんは左右の岸に眼を放つ。踏む角も見えぬ切っ立った山の遥(はる)かの上に、鉈(なた)の音が丁々(ちょうちょう)とする。黒い影は空高く動く。
96.「自然が人間を翻訳する前に、人間が自然を翻訳するから、御手本はやっぱり人間にあるのさ。(略)」 乱れ起る岩石を左右に(めぐ)る流は、抱(いだ)くがごとくそと割れて、半ば碧(みど)りを透明に含む光琳波(こうりんなみ)が、早蕨(さわらび)に似たる曲線を描(えが)いて巌角(いわかど)をゆるりと越す。河はようやく京に近くなった。「その鼻を廻ると嵐山(らんざん)どす」と長い棹(さお)を舷(こべり)のうちへ挿(さ)し込んだ船頭が云う。鳴る櫂(かい)に送られて、深い淵(ふち)を滑(すべ)るように抜け出すと、左右の岩が自(おのずか)ら開いて、舟は大悲閣(だいひかく)の下(もと)に着いた。 二人は松と桜と京人形の群(むら)がるなかに這(は)い上がる。幕と連(つら)なる袖(そで)の下を掻(か)い潜(く)ぐって、松の間を渡月橋に出た時、宗近君はまた甲野さんの袖をぐいと引いた。
100. 糸子の眼尻には答えるたびに笑の影が翳(さ)す。
101. 藤尾は内心にふんと思った。この眼は、この袖(そで)は、この詩とこの歌は、鍋(なべ)、炭取の類(たぐい)ではない。美くしい世に動く、美しい影である。102. 肝胆の中に引き入れる戦争か、肝胆の外に追っ払う戦争か。哲学者は二十世紀の会話を評して肝胆相曇らす戦争と云った。
108. 鬣(たてがみ)に比すべきものの波を起すばかりに見えたるなかに、玉虫貝の菫(すみれ)のみが星のごとく可憐(かれん)の光を放つ。
113.  糸子は黙って聴いている。小野さんも黙って聴いている。花曇りの空がだんだん擦(ず)り落ちて来る。重い雲がかさなり合って、弥生(やよい)をどんよりと抑えつける。昼はしだいに暗くなる。戸袋を五尺離れて、袖垣(そでがき)のはずれに幣辛夷(してこぶし)の花が怪しい色を併(なら)べて立っている。木立に透(す)かしてよく見ると、折々は二筋、三筋雨の糸が途切れ途切れに映(うつ)る。斜めにすうと見えたかと思うと、はや消える。空の中から降るとは受け取れぬ、地の上に落つるとはなおさら思えぬ。 居は気を移す。藤尾の想像は空と共に濃(こまや)かになる。「小米桜を二階の欄干(てすり)から御覧になった事があって」と云う。「まだ、ありません」「雨の降る日に。――おや少し降って来たようですね」と庭の方を見る。空はなおさら暗くなる。「それからね。――小米桜の後(うし)ろは建仁寺の垣根で、垣根の向うで琴の音(ね)がするんです」 琴はいよいよ出て来た。糸子は成程と思う。小野さんはこれはと思う。「二階の欄干から、見下すと隣家(となり)の庭がすっかり見えるんです。――ついでにその庭の作りも話しましょうか。ホホホホ」と藤尾は高く笑った。冷たい糸が辛夷の花をきらりと掠(かす)める。「ホホホホ御厭(おいや)なの――何だか暗くなって来た事。花曇りが化(ば)け出しそうね」 そこまで近寄って来た暗い雲は、そろそろ細い糸に変化する。すいと木立を横ぎった、あとから直(すぐ)すいと追懸(おいか)けて来る。見ているうちにすいすいと幾本もいっしょに通って行く。雨はようやく繁くなる。「おや本降(ほんぶり)になりそうだ事」「私(わたし)失礼するわ、降って来たから。御話し中で失礼だけれども。大変面白かったわ」 糸子は立ち上がる。話しは春雨と共に崩(くず)れた。
115.  古き寺、古き社(やしろ)、神の森、仏の丘を掩(おお)うて、いそぐ事を解(げ)せぬ京の日はようやく暮れた。倦怠(けた)るい夕べである。消えて行くすべてのものの上に、星ばかり取り残されて、それすらも判然(はき)とは映らぬ。瞬(またた)くも嬾(ものう)き空の中にどろんと溶けて行こうとする。過去はこの眠れる奥から動き出す。 一人(いちにん)の一生には百の世界がある。ある時は土の世界に入り、ある時は風の世界に動く。またある時は…一人の世界を方寸に纏(まと)めたる団子(だんし)と、他の清濁を混じたる団子と、層々相連(あいつらな)って千人に千個の実世界を活現する。個々の世界は個々の中心を因果(いんが)の交叉点に据えて分相応の円周を右に劃(かく)し左に劃す。…恋の中心より振り来(きた)る円周は(ほのお)の痕(あと)を空裏(くうり)に焼く。あるものは道義の糸を引いて動き、あるものは…の圜(かん)をほのめかして回(めぐ)る。縦横に、前後に、上下(しょうか)四方に、乱れ飛ぶ世界と世界が喰い違うとき秦越(しんえつ)の客ここに舟を同じゅうす。甲野(こうの)さんと宗近(むねちか)君は、三春行楽(さんしゅんこうらく)の興尽きて東に帰る。孤堂(こどう)先生と小夜子(さよこ)は、眠れる過去を振り起して東に行く。二個の別世界は八時発の夜汽車で端(はし)なくも喰い違った。 天より賜わる性格はこの時始めて第一義において躍動する。八時発の夜汽車で喰い違った世界はさほどに猛烈なものではない。しかしただ逢(お)うてただ別れる袖(そで)だけの縁(えにし)ならば、星深き春の夜を、名さえ寂(さ)びたる七条(しちじょう)に、さして喰い違うほどの必要もあるまい。小説は自然を彫琢(ちょうたく)する。自然その物は小説にはならぬ。 二個の世界は絶えざるがごとく、続かざるがごとく、夢のごとく幻(まぼろし)のごとく、二百里の長き車のうちに喰い違った。二百里の長き車は、牛を乗せようか、馬を乗せようか、いかなる人の運命をいかに東の方(かた)に搬(はこ)び去ろうか、さらに無頓着(むとんじゃく)である。世を畏(おそ)れぬ鉄輪(てつわ)をごとりと転(まわ)す。あとは驀地(ましぐら)に闇(やみ)を衝(つ)く。離れて合うを待ち佗(わ)び顔なるを、行(ゆ)いて帰るを快からぬを、旅に馴れて徂徠(そらい)を意とせざるを、一様に束(つか)ねて、ことごとく土偶(どぐう)のごとくに遇待(もてなそ)うとする。夜(よ)こそ見えね、熾(さか)んに黒煙(くろけむり)を吐きつつある。 眠る夜を、生けるものは、提灯(ちょうちん)の火に、皆七条に向って動いて来る。梶棒(かじぼう)が下りるとき黒い影が急に明かるくなって、待合に入る。黒い影は暗いなかから続々と現われて出る。場内は生きた黒い影で埋(うず)まってしまう。残る京都は定めて静かだろうと思われる。 京の活動を七条の一点にあつめて、あつめたる活動の千と二千の世界を、十把一束(じっぱひとからげ)に夜明までに、あかるい東京へ推(お)し出そうために、汽車はしきりに煙を吐きつつある。黒い影はなだれ始めた。――一団の塊まりはばらばらに解(ほご)れて点となる。点は右へと左へと動く。しばらくすると、無敵な音を立てて車輛(しゃりょう)の戸をはたはたと締めて行く。忽然(こつぜん)としてプラットフォームは、在(あ)る人を掃(は)いて捨てたようにがらんと広くなる。大きな時計ばかりが窓の中から眼につく。すると口笛(くちぶえ)が遥(はる)かの後(うし)ろで鳴った。車はごとりと動く。互の世界がいかなる関係に織り成さるるかを知らぬ気(げ)に、闇の中を鼻で行く、甲野さんは、宗近君は、孤堂先生は、可憐なる小夜子は、同じくこの車に乗っている。知らぬ車はごとりごとりと廻転する。知らぬ四人は、四様の世界を喰い違わせながら暗い夜の中に入る。
118. 「ハハハハ行くだろう」と宗近君は頭陀袋(ずだぶくろ)を棚(たな)へ上げた腰を卸(おろ)しながら笑う。相手は半分顔を背(そむ)けて硝子越(ガラスごし)に窓の外を透(すか)して見る。外はただ暗いばかりである。汽車は遠慮もなく暗いなかを突切って行く。轟(ごう)と云う音のみする。
120.  甲野さんは返事を見合せて口を緘(と)じた。会話はまた途切れる。汽車は例によって轟(ごう)と走る。二人の世界はしばらく闇(やみ)の中に揺られながら消えて行く。同時に、残る二人の世界が、細長い夜(よ)を糸のごとく照らして動く電灯の下(もと)にあらわれて来る。
121.  色白く、傾く月の影に生れて小夜(さよ)と云う。母なきを、つづまやかに暮らす親一人子一人の京の住居(すまい)に、盂蘭盆(うらぼん)の灯籠(とうろう)を掛けてより五遍になる。今年の秋は久し振で、亡き母の精霊(しょうりょう)を、東京の苧殻(おがら)で迎える事と、長袖の右左に開くなかから、白い手を尋常に重ねている。物の憐れは小さき人の肩にあつまる。乗(の)し掛(かか)る怒(いかり)は、撫(な)で下(おろ)す絹しなやかに情(なさけ)の裾(すそ)に滑(すべ)り込む。 紫に驕(おご)るものは招く、黄に深く情濃きものは追う。東西の春は二百里の鉄路に連(つら)なるを、願の糸の一筋に、恋こそ誠なれと、髪に掛けたる丈長(たけなが)を顫(ふる)わせながら、長き夜を縫うて走る。古き五年は夢である。ただ滴(した)たる絵筆の勢に、うやむやを貫いて赫(かっ)と染めつけられた昔の夢は、深く記憶の底に透(とお)って、当時(そのかみ)を裏返す折々にさえ鮮(あざや)かに煮染(にじ)んで見える。小夜子の夢は命よりも明かである。小夜子はこの明かなる夢を、春寒(はるさむ)の懐(ふところ)に暖めつつ、黒く動く一条の車に載(の)せて東に行く。車は夢を載せたままひたすらに、ただ東へと走る。夢を携えたる人は、落すまじと、ひしと燃ゆるものを抱(だ)きしめて行く。車は無二無三に走る。野には緑(みど)りを衝(つ)き、山には雲を衝き、星あるほどの夜には星を衝いて走る。夢を抱(いだ)く人は、抱きながら、走りながら、明かなる夢を暗闇(くらやみ)の遠きより切り放して、現実の前に抛(な)げ出さんとしつつある。車の走るごとに夢と現実の間は近づいてくる。小夜子の旅は明かなる夢と明かなる現実がはたと行き逢(お)うて区別なき境に至ってやむ。夜はまだ深い。
123. 夢は再び躍(おど)る。躍るなと抑えたるまま、夜を込めて揺られながらに、暗きうちを駛(か)ける。老人は髯から手を放す。やがて眼を眠(ねむ)る。人も犬も草も木も判然(はき)と映らぬ古き世界には、いつとなく黒い幕が下りる。小さき胸に躍りつつ、転(まわ)りつつ、抑えられつつ走る世界は、闇を照らして火のごとく明かである。小夜子はこの明かなる世界を抱(いだ)いて眠に就いた。
124.  長い車は包む夜を押し分けて、やらじと逆(さか)う風を打つ。追い懸くる冥府(よみ)の神を、力ある尾に敲(たた)いて、ようやくに抜け出でたる暁の国の青く煙(けぶ)る向うが一面に競(せ)り上がって来る。茫々(ぼうぼう)たる原野の自(おのず)から尽きず、しだいに天に逼(せま)って上へ上へと限りなきを怪しみながら、消え残る夢を排して、眼(まなこ)を半天に走らす時、日輪の世は明けた。 神の代(よ)を空に鳴く金鶏(きんけい)の、翼(つばさ)百里なるを一時に搏(はばたき)して、漲(みな)ぎる雲を下界に披(ひら)く大虚の真中(まんなか)に、朗(ほがらか)に浮き出す万古(ばんこ)の雪は、末広になだれて、八州の野(や)を圧する勢を、左右に展開しつつ、蒼茫(そうぼう)の裡(うち)に、腰から下を埋(うず)めている。白きは空を見よがしに貫ぬく。白きものの一段を尽くせば、紫(むらさき)の襞(ひだ)と藍(あい)の襞とを斜(なな)めに畳んで、白き地(じ)を不規則なる幾条(いくすじ)に裂いて行く。見上ぐる人は這(は)う雲の影を沿うて、蒼暗(あおぐら)き裾野(すその)から、藍、紫の深きを稲妻(いなずま)に縫いつつ、最上の純白に至って、豁然(かつぜん)として眼が醒(さ)める。白きものは明るき世界にすべての乗客を誘(いざな)う。「おい富士が見える」と宗近君が座を滑(すべ)り下りながら、窓をはたりと卸(おろ)す。広い裾野(すその)から朝風がすうと吹き込んでくる。
128.  日毎夜毎を入り乱れて、尽十方(じんじっぽう)に飛び交(か)わす小世界の、普(あま)ねく天涯(てんがい)を行き尽して、しかも尽くる期なしと思わるるなかに、絹糸の細きを厭(いと)わず植えつけし蚕(かいこ)の卵の並べるごとくに、四人の小宇宙は、心なき汽車のうちに行く夜半(よわ)を背中合せの知らぬ顔に並べられた。星の世は掃(は)き落されて、大空の皮を奇麗に剥(は)ぎ取った白日の、隠すなかれと立ち上(のぼ)る窓の中(うち)に、四人の小宇宙は偶(ぐう)を作って、ここぞと互に擦(す)れ違った。擦れ違って通り越した二個の小宇宙は今白い卓布(たくふ)を挟んでハムエクスを平げつつある。
131. 孤堂先生の車室を通り抜けた時、先生は顔の前に朝日新聞を一面に拡(ひろ)げて、小夜子は小さい口に、玉子焼をすくい込んでいた。四個の小世界はそれぞれに活動して、二たたび列車のなかに擦(す)れ違ったまま、互の運命を自家の未来に…、また怪しまざるがごとく、測るべからざる明日(あす)の世界を擁して新橋の停車場(ステーション)に着く。
 四個の小世界は、停車場(ステーション)に突き当って、しばらく、ばらばらとなる。
132.  一本の浅葱桜(あさぎざくら)が夕暮を庭に曇る。拭き込んだ椽(えん)は、立て切った障子の外に静かである。
針を海綿に蔵(かく)して、ぐっと握らしめたる後、柔らかき手に膏薬(こうやく)を貼(は)って創口(きずぐち)を快よく慰めよ。出来得べくんば唇(くちびる)を血の出る局所に接(つ)けて他意なきを示せ。――二十世紀に生れた人はこれだけの事を知らねばならぬ。 静かな椽に足音がする。今卸(おろ)したかと思われるほどの白足袋(しろたび)を張り切るばかりに細長い足に見せて、変り色の厚い(ふき)の椽に引き擦るを軽く蹴返(けかえ)しながら、障子(しょうじ)をすうと開ける。
133.  口多き時に真(まこと)少なし。鉄瓶の鳴るに任せて、いたずらに差し向う親と子に、椽は静かである。浅葱桜は夕暮を誘いつつある。春は逝(ゆ)きつつある。
135.「御茶でも入れようかね」「いいえ」と藤尾は疾(と)く抜け出した香(かおり)のなお余りあるを、急須と同じ色の茶碗のなかに畳み込む。黄な流れの底を敲(たた)くほどは、さほどとも思えぬが、縁(ふち)に近くようやく色を増して、濃き水は泡(あわ)を面(おもて)に片寄せて動かずなる。
136.  厩(うまや)と鳥屋(とや)といっしょにあった。牝鶏(めんどり)の馬を評する語に、――あれは鶏鳴(とき)をつくる事も、鶏卵(たまご)を生む事も知らぬとあったそうだ。尤もである。
137. 子を知るは親に若(し)かずと云う。それは違っている。御互に喰い違っておらぬ世界の事は親と雖ども唐(から)、天竺(てんじく)である。
139.  鎖の先に燃える柘榴石(ガーネット)は、蒔絵(まきえ)の蘆雁(ろがん)を高く置いた手文庫の底から、怪しき光りを放って藤尾を招く。藤尾はすうと立った。朧(おぼろ)とも化けぬ浅葱桜(あさぎざくら)が、暮近く消えて行くべき昼の命を、今少時(しばし)と護(まも)る椽(えん)に、抜け出した高い姿が、振り向きながら、瘠面(やさおもて)の影になった半面を、障子のうちに傾けて
141. 「アハハハハ若狭へ出ちゃ大変だ」と老人は大いに愉快そうである。糸子も丸顔に二重瞼(ふたえまぶた)の波を寄せた。
144.  観ずるものは見ず。昔しの人は想(そう)こそ無上(むじょう)なれと説いた。逝(ゆ)く水は日夜を捨てざるを、いたずらに真と書き、真と書いて、去る波の今書いた真を今載(の)せて杳然(ようぜん)と去るを思わぬが世の常である。堂に法華(ほっけ)と云い、石に仏足(ぶっそく)と云い、(とう)に相輪(そうりん)と云い、院に浄土と云うも、ただ名と年と歴史を記(き)して吾事(わがこと)畢(おわ)ると思う…。見るは名あるがためではない。観ずるは見るがためではない。太上(たいじょう)は形を離れて普遍の念に入る。――甲野さんが叡山(えいざん)に登って叡山を知らぬはこの故である。 大法鼓(だいほうこ)を鳴らし、大法螺(だいほうら)を吹き、大法幢(だいほうとう)を樹(た)てて王城の鬼門を護(まも)りし昔(むか)しは知らず、中堂に仏眠りて天蓋(てんがい)に蜘蛛(くも)の糸引く古伽藍(ふるがらん)を、今(いま)さらのように桓武(かんむ)天皇の御宇(ぎょう)から堀り起して、無用の詮議(せんぎ)に、千古の泥を洗い落すは、一日に四十八時間の夜昼ある閑人(ひまじん)の所作(しょさ)である。現在は刻(こく)をきざんで吾(われ)を待つ。有為(うい)の天下は眼前に落ち来(きた)る。双の腕(かいな)は風を截(き)って乾坤(けんこん)に鳴る。――これだから宗近君は叡山に登りながら何にも知らぬ。 ただ老人だけは太平である。天下の興廃は叡山一刹(いっさつ)の指揮によって、夜来(やらい)、日来(にちらい)に面目を新たにするものじゃと思い籠(こ)めたように、々(びび)として叡山を説く。説くは固(もと)より青年に対する親切から出る。
146. 「アハハハハ」と老人は大きな腹を競(せ)り出して笑った。洋灯(ランプ)の蓋(かさ)が喫驚(びっくり)するくらいな声である。
149.  真葛(まくず)が原(はら)に女郎花(おみなえし)が咲いた。すらすらと薄(すすき)を抜けて、悔(くい)ある高き身に、秋風を品(ひん)よく避(よ)けて通す心細さを、秋は時雨(しぐれ)て冬になる。茶に、黒に、ちりちりに降る霜(しも)に、冬は果てしなく続くなかに、細い命を朝夕(あさゆう)に頼み少なく繋(つ)なぐ。冬は五年の長きを厭(いと)わず。淋しき花は寒い夜を抜け出でて、紅緑に春の天下に紛(まぎ)れ込んだ。地に空に春風のわたるほどは物みな燃え立って富貴(ふうき)に色づくを、ひそかなる黄を、一本(ひともと)の細き末にいただいて、住むまじき世に肩身狭く憚(はば)かりの呼吸(いき)を吹くようである。 今迄は珠(たま)よりも鮮(あざ)やかなる夢を抱(いだ)いていた。真黒闇(まくらやみ)に据(す)えた金剛石にわが眼を授け、わが身を与え、わが心を託して、その他なる右も左りも気に懸(か)ける暇(いとま)もなかった。懐(ふところ)に抱く珠の光りを夜(よ)に抜いて、二百里の道を遥々(はるばる)と闇の袋より取り出した時、珠は現実の明海(あかるみ)に
152. 粧(よそおい)は鏡に向って凝(こ)らす、玻璃瓶裏(はりへいり)に薔薇(ばら)の香(か)を浮かして、軽く雲鬟(うんかん)を浸(ひた)し去る時、琥珀(こはく)の櫛は条々(じょうじょう)の翠(みどり)を解く。
153. どうせ家を持つならばと思った。袖垣(そでがき)に辛夷(こぶし)を添わせて、松苔(まつごけ)を葉蘭(はらん)の影に畳む上に、切り立ての手拭(てぬぐい)が春風に揺(ふ)らつくような所に住んで見たい。――藤尾はあの家を貰うとか聞いた。
156.  やさしく咽喉(のど)に滑(す)べり込む長い顎(あご)を奥へ引いて、上眼に小野さんの姿を眺(なが)めた小夜子は、変る眼鏡を見た。変る髭(ひげ)を見た。変る髪の風(ふう)と変る装(よそおい)とを見た。
花を看(み)る人は星月夜のごとく夥(おびただ)しい。
159. 降らんとして降り損(そこ)ねた空の奥から幽(かす)かな春の光りが、淡き雲に遮(さえ)ぎられながら一面に照り渡る。
169.真率なる快活なる宗近家の大和尚(だいおしょう)は、…。唐木(からき)の机に唐刻の法帖(ほうじょう)を乗せて、厚い坐布団の上に、信濃(しなの)の国に立つ煙、立つ煙と、大きな腹の中から鉢(はち)の木(き)を謡(うた)っている。170. それは芝居である。住むは都である。時は二十世紀である。来るのは真昼間(まっぴるま)である。鍋の底からは愛嬌(あいきょう)が湧(わ)いて出る。漾(ただよ)うは笑の波だと云う。攪(か)き淆(ま)ぜるのは親切の箸と名づける。鍋そのものからが品(ひん)よく出来上っている。謎の女はそろりそろりと攪き淆ぜる。手つきさえ能掛(のうがかり)である。大和尚(だいおしょう)の怖(こわ)がらぬのも無理はない。180. 日のあたる別世界には二人の兄妹(きょうだい)が活動する。六畳の中二階(ちゅうにかい)の、南を受けて明るきを足れりとせず、小気味よく開け放ちたる障子の外には、二尺の松が信楽(しがらき)の鉢(はち)に、蟠(わだか)まる根を盛りあげて、くの字の影を椽(えん)に伏せる。
吉田秀和訳『音楽と音楽家』一九五八年岩波書店82.未来まで伝えられるものは、ひとり精神を持っているもののみであるが、もしその奏する響が深くかつ強ければ、それだけその伝わり方はおそくかつ長いのである。

209.認識の価値ということが問題であるとすれば、他方、美しい妄想はそれが信じられさえすれば、認識と全く同等の価値をもっているとすれば、生というものは、諸々の錯覚をつまり真理と見なされた諸々の非真理を必要とするものであることを、ひとは知るであろう。生というものは、真理への信仰を必要とするのであるが、しかしそれならば錯覚でも十分なのである。すなわち、「真理」というものは、その効果によって証明されるのであり、論理的な証明によってではなく、力の証明によって証明されるのである。真なるものと効果あるものとは、同じものとして通用するのであり、ひとは、ここでも力に屈服するのである。―それでは、論理的な真理証明一般が、生起するのは、いかにしてであろうか?「真理」と「真理」とが闘争し合う場合に、真理証明は、反省の同盟を求めるのである。すべての現実的なる真理追求が世界のうちに現れ来たのは、一つの聖なる確信を求める闘争によってなのである。すなわち、闘争するという情熱によって、なのである。そうでなければ、人間は、論理的な始原に対する関心などもたないであろう。211.次の命題が確定されるべきである。すなわち、われわれはたださまざまな錯覚によって生きているにすぎないのである、と。―われわれの意識は、表面を撫でているのである。多くのものが、われわれの視向から匿されている。人間が自己を全面的に認識し、あわゆる瞬間に起重力や、力学の一切の法則を、自己の生活に必要な一切の建築術や化学の定式を、洞察してしまうかもしれないということも、勿論断じて恐れられてはならない。しかもたぶん、一切のものの図式というものが、認識されるということも、可能である。それだけならば、われわれの生にとっては、何事も変わらないであろう。しかも、それら一切は、絶対的に認識不可能な能力に対する単なる定式にすぎないのである。・われわれはともかく、われわれの治世の浅薄皮相さによって、絶えず錯覚のなかに生きているのである。つまり、われわれは、生きるために、如何なる瞬間においても、芸術を必要としているのである。われわれの眼は、諸々の形式に、われわれを確固と結びつける。しかし、徐々にわれわれにこうした眼を教え込んだものが、ほかならぬわれわれ自身であるとするならば、われわれは、われわれ自身のうちに、一つの芸術力が支配しているに気付くであろう。それ故に、われわれは、自然のなかに、絶対知に反対する諸機構をさえ見るのである。哲学者は自然の言葉を認識して、言う、「われわれは芸術を必要とする」と。また言う。「われわれは、知識のほんの一部分を必要とするにすぎないのである」と。213.哲学者というものの本性描写。―彼は詩作しつつ認識し、認識しつつ詩作するのである。214.恐らく人間は、何事も忘却し去ることができないのである。見る働きや、認識する働きなどの操作は、極めて錯綜していて、その操作を完全に払しょくし去るということは不可能なのである。すなわち、脳髄や、神経組織によって一度産み出されたすべての形式を、今後それは、しばしばその通りに繰り返すのである。同様な神経活動は、同様な形象を再び産み出して行く。233.世界が限りなく複雑なものであることを人間が見抜く様になるのは、全く徐々にである。最初人間は、世界を全く単純に考える。すなわち自分自身がそうであるのと同じ様に、表面的に考える。(中略) 人間は、自分自身を知るのと同様な度合いで、世界を知って行く。すなわち、世界の深みは、人間が自己および自己の複雑さについて驚愕する度合いに応じて、人間に対して露呈されて来るのである。ペルシア戦役以前の世紀及びペルシア戦役の間に生きていた思想家たち タレスアナクシマンドロスパルメニデス、アナクサゴラス、エンペドクレス、デモクリトス248.すべての知識は、分離、区画、制限によって生ずる。ある全体的なものの絶対的知識などというものは存在しない! 249.言葉の補充としての音楽。言葉では言い述べ難いような多くの魅力や蠱惑的な状態の全部を、音楽が再現してくれる。258.―人間を見よ。そうすれば諸君は、世界についてどう考えるべきであるかを、知るであろう。325 四 一八七五年の最後の準備案「学問と智慧との闘争」327.個人、それは、自己自身の上に立とうと欲するのだが、―そのとき、個人は究極の認識を、つまり哲学を必要とするのである。 自主独立ということも、ただ外見だけにすぎない。結局のところ、何人も、自分の先行者に結びついているのである。幻想に幻想がつけ加わる。一切のことをあまりにも真剣に考えるのは、滑稽である。(下略)343.人間はもっと思慮深く生きることを学ばねばならない。(下略)・「苦境に立つ哲学」をめぐる考察のための諸思想(一八七三年秋)360.古代人たちは、(中略)自己支配を失わないようにするために、節制しかつ多くのことを断念することを心得ていたのだった。道徳に関する彼らの言葉は、いつでも、これらの言葉通りに生活したような人々の、生ける実例から発してきているのである。(下略)365.智慧というもののもつ最も重要な要素は、それこそが、人間をして、瞬間による支配から離脱せしめるものだ、ということである。それ故に、智慧は、時代に適うものではないのである。智慧の意図することは、人間をあらゆる運命の打撃に対して直ちに確乎たる姿勢をとらせ、あらゆる時代に対して武装させること、これである。それは、国民的色彩などほとんどないものである。・すべて哲学は、私が要求しているもの、つまり、人間を集中させることを、成し能うものでなければならない。―しかし、現在、このようなことのできる哲学は、一つもない。(下略)368.人間の怠けぐせと気楽さとを、自分の味方にしてしまったからには、今や、キリスト教は、ほとんど、永劫不滅の見通しを、所有するに至ったようなものである。 (中略)哲学が一つの歴史的な学科となって以来は、哲学は自らに、無害性を、したがってまた永劫不滅性を、保証したのである。・「われら文献学者をめぐる考察のための諸思想 および諸草案(一八七四―七五)一、最初の諸思想(一八七四年秋)391.人間にあっては如何に理性の支配することが少なく、如何に偶然の支配することが多いかということは、いわゆる生涯の職業というものと、明らかにその職業に向いていないという事柄との間の、ほとんど規則的にみられる位の不均衡な事態が、これをよく示している。幸運なる場合というものは、幸運なる結婚と同じように、例外的事例なのである。それに幸運なる結婚というものもまた、理性によって惹き起こされるのではないのである。人間は選択する能力がまだないときに、職業を選ぶ。彼は、種々さまざまな職業のあることを知らず、自分自身のことさえもまだ分かってはいない。それでも選択してしまえば、この職業に携わりながら、自分の最も活動的な年月を過ごしてしまい、あらゆる熟考をそれに用い尽し、より経験豊かになる。こうして彼が洞察力の絶頂に達したとき、普通ならば、もう何か新しいことをやり始めるには、時期が遅すぎているのである。そしてこの地上では、智慧というものは、ほとんどいつも、なにか老衰した要素や筋肉の力に欠けているような性格を、それ自身の上に具有していたのである。 生涯の課題は、大抵の場合、初めの基礎の段階で間違っていたものを、再び改良し直したり、ほぼその位置を正したりする、という仕事になる。多くの人々は、人生の後半部分が、初めは不調和の状態から発生したところの一つの意図的行為を示していることを、やがて認識しているだろう。生きるということは困難なことである。しかし、人生の終わりには、やはりそれにも慣れてしまい、―そしてそのときには自分の生涯にも思い違いをすることができ、自分の愚かしさを讃えることもできるのである。すなわち、難破をしながらも、よく航海をした、と。そして「摂理」への讃歌さえも歌い始めることができるのである。400.虚栄心というものは、自分が個体でないにもかかわらず、自分を個体に見せようとする知らず知らずの傾向性である。すなわち、自分が独立的でないにもかかわらず、独立的であるかのように見せようとするものである。智慧というものは、これとは逆のものである。つまりそれは、独立的であるにもかかわらず、自分を独立的でないかのように見せるのである。405.自己自身のために生き、他人を斟酌して生きないということが、自由人の立場である。それ故に、ギリシア人たちは、職業を不体裁なものと考えたのであった。(下略)(五)未来の文献学者471.必然性への服従を、私は教えない―何故なら、ひとは、まず、必然的なものとして、知らねばならないはずだからである。多分、たくさんの必然性が存在するであろう。しかし一般的にいって、それは何と言っても怠惰なのである。483.人間を無駄に使って学問を促進させることは、世界中で一番有害な事柄である。萎縮した人間は、人類の退歩である。彼は、あらゆる時代のなかへと、自分の影を投入するのである。それは、心情を、個々の学問の自然的意図を、変質させる。学問そのものが、そのために遂には滅びるのである。学問は促進されてそこに立っている。しかしそれは、人生に影響を及ぼさないし、あるいは非道徳的に影響を及ぼす。493.人生についての最高の判断は、ただ、人生の最高のエネルギーからのみ生ずる。精神は、疲労から最も遠く離れていねばならない。
『世界の名著46 ニーチェ』昭和41年 中央公論社・「ツァトゥストラ」手塚富雄訳―万人に与える書、何人にもあたえぬ書・第一部・三様の変化(重荷に堪える義務精神から自律へ、さらには無垢な一切肯定のなかでの創造へ。これが超人誕生の経路である。)79.畏敬を宿している、強力で、重荷に堪える精神は、数多くの重いものに遭遇する。そしてこの強靭な精神は、重いもの、最も重いものを要求する。 何が重くて、担うのが大変か、それをこの重荷に堪える精神はたずねる。そして駱駝の様にひざまずいて、十分に重荷を積まれることを望む。(中略)最も重いのは、こういうことではないか。おのれの驕慢に痛みを与えるために、自分を低くすることではないか?自分の智慧をあざけるために、自分の愚かさを外に表すことではないか?(中略) すべてこれらの最も重いことを、重荷に堪える精神は、重荷を負って砂漠へ急ぐ駱駝の様に、おのれの身に担う。そうしてかれは、かれの砂漠へ急ぐ。 しかし、孤独の極みの砂漠のなかで、第二の変化が起こる。そのとき精神は獅子となる。精神は自由をわがものとしようとし、自分自身が選んだ砂漠の主になろうとする。 その砂漠でかれはかれを最後に支配した者を呼び出す。かれはその最後の支配者、かれの神の敵になろうとする。勝利を得ようと、かれはこの巨大な龍と角逐する。(中略)「汝なすべし」それがその巨大な龍の名である。しかし獅子の精神は言う、「われは欲す」と。(中略)新しい諸価値を創造すること、―それはまだ獅子にもできない。しかし、新しい創造を目ざして自由をわがものにすること―これは獅子の力でなければできないのだ。 自由をわがものとし、義務に対してさえ聖なる「否」をいうこと、わたしの兄弟たちよ、そのためには、獅子が必要なのだ。111.市場の蠅 のがれよ、わたしの友よ、君の孤独のなかへ。わたしは見る、君が世の有力者たちの引き起こす喧騒によって聴覚を奪われ、世の小人たちのもつ針に刺されて、責めさいなまれていることを。(略) およそ深い泉の体験は、徐徐に成熟する。何がおのれの深い底に落ちてきたかがわかるまでには、深い泉は長い間待たねばならぬ。 市場と名声を離れたところで、すべての偉大なものは生い立つ。市場と名声を離れたところに、昔から、新しい価値の創造者たちは住んでいた。 のがれよ、わたしの友よ、君の孤独のなかへ。のがれよ、強壮な風の吹くところへ。 かれらにむかって、もはや腕はあげるな。かれらの数は限りがない。蠅たたきになることは君の運命でない。 壮麗な建物が、雨のしずくと雑草とで滅びた例は少なくないのだ。しかし、毒あるかれらの不正のすべてに堪えることが、君の宿命、君の悲運とならないように気を付けるがいい。 かれらはまた賞賛のうなり声をあげて、君の周囲にむらがることがある。おしつけがましくつきまとうのが、かれらの賞賛である。かれらは、君の皮膚と地に近寄ろうとするのだ。 時にはかれらはやさしい愛嬌のある顔を君に見せることがある。しかし、それはいつも臆病者の怜悧さなのだ。(略) かれらは君がどんな人間かと、かれらの狭い魂であれこれと推しはかる。―かれらにとって君は常に不思議な存在になるのだ。 かれらは君を、君のあらゆる徳をとがめて、罰する。彼らが真に許すのは―ただ君の失敗だけである。 君は柔和で、正しい心を持っているから、「かれらの存在が小さいことは罪過ではない」という。しかし、かれらの狭い魂はいう。「大きい存在はすべて罪過である」と。 君がかれらに柔和であっても、かれらは君から軽蔑されていると感ずる。そして君の恩恵に、ひそかな加害をもつて報いるのだ。 君の無言の誇りは、常にかれらの趣味に反する。君が、多弁になって自分を見せびらかせようとするほど謙遜になることがあると、かれらはこおどりして喜ぶ。 われわれがある人間においてある点を認識することは、その人間のそのある点に点火するということである。だから、小さい人間どもに近づくときは気をつけよ。 君に向かうと、かれらは自分を小さく感ずる。そして、かれらの低劣は、君の目に見えない復讐となって燃え上がる。(略)君は君の隣人にとって、良心の呵責なのだ。かれらは君の隣人としての値打ちがないから、それゆえかれらは君を憎み、君から血を吸いたがるのだ。 君の隣人たちは、常に毒ある蠅であるだろう。君の偉大さ―それが、かれらをいよいよ有毒にし、いよいよ蠅にせずにはおかぬのだ。 のがれよ、わたしの友よ、君の孤独のなかへ。強壮な風の吹くところへ。蠅たたきになることは君の運命でない。―ツァトゥストラはこう語った。・第二部169.毒蜘蛛 だが、わたしの友らよ、君たちにはわたしはこう忠告する。罰しようとする衝動の強いすべての人間を信用するな。 おのれの正義について多くを語るすべての人間を信用するな。まことに、かれらの魂に欠けているのは、蜜ばかりではない。 そして、かれらがみずから「善い者、正しい者」と称していても、君たちは忘れてはいけない。かれらがパリサイの徒となるのに欠けているものは―権力だけであることを。 友らよ。わたしはあらぬ者と混同され、取り違えられたくはない。世には、生についてのわたしの教えを説くと同時に、平等をも説いている毒ぐもがいる。 この毒ぐもたちが、自分は生にそむいて、洞穴のなかにすわっていながら、生の意志にかなうようなことを説くのは、それによって、他者に害を与えようとしているからである。(略) これら平等論者とわたしは混同され、取り違えられたくない。なぜなら正義はわたしにこう語っているからだ。「人間は平等ではない」と。 人間たちは幾千もある大橋小橋を渡って、未来へ突き進むべきである。そしてますます多くの戦いと不平等とが、かれらのなかに起こるべきである。わたしの大きい愛はわたしにそう語らせるのだ。(略)・第三部・重さの霊 わたしが学び覚えたのは、ただわたし自身を待つことである。しかも何にもまさってわたしの学び覚えたことは、立つこと、歩くこと、走ること、よじのぼること、踊ることである。(下略)第四部・高人404.高所に登ろうとするなら、自分の足を用いよ。他者の力で運ばれてはならない。ひとの背に乗るな、頭に乗るな。しかし、あなたは馬に乗ったのだな。そして急いであなたの目標に向かっていくのだな。よろしい、わたしの友よ。だが、あなたの弱い足も、あなたと同道して馬に乗っているのだ。 目標に到着して、あなたは馬からとび下りる。高人であるあなたよ、すると、ほかならぬそのあなたの高所で―あなたの足は、つまづくだろう。 言いくるめられてはならない。説き伏せられてはならない。(略) あなたがた、創造する人々よ、この「…のために」を忘れよ。あなたがたの徳が欲することは、まさしく、あなたがたがどんなことをも「…のため」や「…のゆえに」や「…の理由で」などでしないことだ。こういういつわりの多い、小さい言葉にたいしては、あなたがたの耳をのりづけにしてふさぐべきである。(略) 過大な要求者たちを避けるがいい。(略) よい事柄はすべて、曲線を描いて、おのれの目的に近づく。(略)よい事柄はすべて笑うのだ。(遊びの精神から観察されたこと。功利的な一直線の目的追求とはちがう。楽しんでするところに、よい仕事は生まれる。)

山田弘明訳『デカルト=エリザベト往復書簡』講談社学術文庫85.現れてくる物事を私に最も快いものにしてくれる角度から眺め、私の主要な満足は私にのみ依存するようにするという、常に私がもっていた性向のおかげで、私には生まれつきであるかのようであった不調は、少しずつ完全に消え去った様に思われます。133.われわれが住んでいる土地のあらゆる風習をも個別に調べて、どの程度までそれにしたがえばよいのかを知るべきことだけです。そしてわれわれは、あらゆることについて確実な論証をもつことができないにせよ、しかしながら実生活で起こるすべてのことがらに関して態度決定をし、最も真らしく思われる意見をとらねばなりません。それは、行為をすることが問題であるときには、決して優柔不断に陥らないようにするためです。(略)[スコラの]学院で「徳は習慣である。(略)
森鴎外集 7』「古い手帳から」114.国家は少数の君子(貴族)に特権を与えず、自恣を敢てせしめないで、同時に又多数の小人をして横暴ならしめざることを努めなくてはならない。珍物(君子)をもありふれた物(小人)をも併せ用ゐて料理の献立は出来るのである。は、この政治上公平をして経済上公平と併行せしめようとした。国家は多数をして適度の富を有せしめなくてはならない。(略)国家は個人の需要を超過する蓄財を抑制し、黄金を以て人生の最貴重物とするが如き射利を禁遏すべきである。
J.L.ボルヘス『世界幻想文学大系 第四十三巻 夢の本』堀内研二訳 一九八三年 国書刊行会 『ギルガメシュ物語』アレクサンドラ・ディ ヴィット・ニール 夢の虎 ホイス・ルイス・ボルヘス 265.『チベット神秘主義者と魔術師』(一九二九) ブルータコス『対比列伝』「ガーユス・ユリウス・カエサル」 曹雪芹『紅楼夢』一七五四頃 『列子』『荘子』『千夜一夜物語』56.「ふたつの扉」 異国のお方よ!不可解ではっきりしない言葉を用いる夢がございます。ひとつは角で、もうひとつの扉は象牙でつくられています。光沢のある象牙を通ってやってくる夢は私たちを欺き、私たちに意味のない言葉をもたらします。磨きたてた角を通って出てくる夢は、それを見る人間に真に実現するものを伝えるものでございます。―『オデッセイア』第十九巻より246.「投影」  この世のものすべはふたつに分かれている。ひとつは目に見えるものであり、もうひとつは目に見えないもの。目に見えるものは目に見えないものの投影にすぎない。―モイセス・デ・レオン『ゾーハル』第一章三十九節258.「ユーリウス・フロールスヘ」 むなしい栄光を求めることから、あなたの心は自由であるか?怒りや死に対する恐怖から自由であるか?夢、戦慄すべき魔法、妖術、死の亡霊、テッサリアのうらないをあなたは笑い飛ばすことができるか? ―ホラーティウス『書簡集』第二巻、二215.夢とは穂の夢を見る小麦の粒であり、人間の夢を見る類人猿であり、来るべきものの夢を見る人間である。―レーモンド・ド・ベッケル134.「準備」 夢のなかで、人間は将来のための修練を行う。―ニーチェ86.…深い眠りのとき四肢は休息を要し、精神は他愛もないことと戯れる。―ペトローニウス
『世界幻想文学大系34巻 ロシア神秘小説集』国書刊行会アレクセイ・コンスタンチーノヴッチ・トルストイ「吸血鬼(ウプリ)」10.吸血鬼はヨーロッパのどこにでもいますし、アジアにさえいます。11.さよう、彼女は数年前まではまさしくスグロービナふじんでしたが、いまや人間の生き血を吸う機会を虎視眈々と狙っている極めて忌まわしい吸血鬼そのものにほかなりません。(略)しかし医者の言うことなど信じてはいけません!」43.彼は無意識のうちにドアを開けて、見ると、部屋のなかには誰もいなかった。彼の目に幽霊と映ったのは、肘かけ椅子の背に掛けてあった従僕の派手な色合いのお仕着せにほかならなかった。遠くから見ると、それは坐っている女の姿に見えたのだった。ルネーフスキイはこれほどまでに欺かれた自分を理解できなかった。49.あなたの身に起こったことを空想のせいになさるのはよくありません。58.わたしは、私たちの理解を超えた世界の事柄、黒い、光を遮る帷(とばり)によってわたしたちから隔てられている世界の事柄を軽視するということが何を意味するかを体験上知っている人間です。その帷を上げようとする人は災です。その人の好奇心の報いは恐怖であり、狂気なのです。愛する友よ(略)当時わたしの前に開けていた冷え冷えとした味気ない現実世界に対立する対極的なものがわたしには好ましく思われていた。(略)65.彼が話しているあいだ、わたしは何度か彼のうちになにか奇妙なものを感じて、はっとすることがありましたが、それが何であるのか、はっきり理解することができませんでした。ついに彼は立ち上がり、感傷的な声で言いました。(略)彼はなにか歯のあいだから呟くように言って出て行きました。わたしには、かれが奇妙な笑い方をしたような気がしました。しかしわたしが聞いたのは彼の声だったのか、あるいは誰かほかの人の声だったのか、はっきりしませんでした。「吸血鬼(ヴルダラーク)の家族」―ある男の回想より121.十日間だけわしの帰りを待て。もし十日目にわしが戻らなかったら、わしのために追善の供養せよ。(略)もし―と老ゴルシャは真剣な表情になって付け加えた―よいか、もしわしが期間の十日が過ぎたあとで、帰ってくるようなことがあったら、お前たちは身の救いのためにわしを家に入れてはならんぞ。その時には、お前たちはわしがお前たちの父であることを忘れて、たとえわしが何を言おうと、何をしようと、わしをヤマナラシの木の杭で刺し貫くように、命令しておく。なぜならそのとき帰ってきたのはこのわしではなくて、お前たちの血を吸うために来た呪われた吸血鬼だからだ」(略)この「ヴルダラーク」というのはスラヴ民族の「ヴァムピール」と同じことで、その地方の俗信によれば、生者の生き血を吸うために墓から出てくる屍にほかなりません。概して言えば、彼らの習慣はほかの国々の吸血鬼と変わらないのですが、ただ、彼らは彼らの存在をなお一層危険なものにしている特性を有しているのです。ヴルダラークたちは、奥様がた、自分たちの近親者や親友たちの血を好んで吸うのでありまして、彼らに血を吸われた者たちは死んでこんどは自分たちがヴルダラークになります。したがって、ボスニアヘルツェゴビナでは村の住民がことごとくヴルダラークであるという村がいくつもあるという話です。124.セルビア人たちは、ある誰かが吸血鬼ではないかと疑われる場合、その人を本名で呼んだり、その人のことに直接触れる話をしたりすることを避けるのです。もしそんなことをしたら吸血鬼を墓から呼び出すことになるからです。そのために、先刻からゲオルギエは父親のことを言うとき、「じいさん」としか呼ばないのでした。
ウラジミール・フョードロウィチ・オドーエスキイ「シルフィッド」246.人間が自己の物質的要素に気をとられればとられるほど、このような些事には限りがないゆえに、彼の魂は際限のない苛立ちを覚える。性格は損なわれ、気高い、実利から離れた、心やすらぐ観念はすべて忘却されてしまう。徳の最上のものたる忍耐力がなくなって、人間は否応なしに意地悪く、怒りっぽく、執念深く、短気になる。(略)そんな例を僕らは毎日目にしている。たとえば、自分に対して尊敬や礼節の欠けた態度がとられてはいないかと戦々兢々としている男、血眼になって家計を監督している主婦、利子の計算にかかりきりの高利貸、お役所式の杓子定規にとらわれて職務の本分を忘れている官吏、下劣な算段にかまけて自己の尊厳を忘れている人間など―まあこういった人間たちが家族や目下の者たちに対しているところを見てみたまえ。ひどいものさ。彼らの生活は、けっして目的を達することのない仕事の連続なのだ。というのも、彼らは生活のためのいろんな手段に気を取られるあまりに、本当に生きることができなくなっているのだから。
チェーホフ筑摩世界文学大系51』『シベリアの旅』46.「よくない生活を見たら潔くそれを振り切って、生まれ故郷も生まれた古巣も棄てて行けるのは、非凡な人間だけなのだ。英雄だけなのだ…」『いいなずけ』301.わたしは目があいたから、今ではなんでもわかるのよ。300.ナージャは、ついこのあいだまで、母がひととちがったところのある女性だと考え、誇らしい気持ちで彼女の言葉をきいていたことを思い出した。ところが、今は、その言葉をどうしても思い出すことができないのだった。頭にうかんでくるのは、みなたわいもない、役にも立たぬことばかりだった。302.あなたの生活の方向をかえれば、なにもかもかわってしまいますよ。大事なのは、生活の方向をかえることで、そのほかのことはどうだっていいんです。306.自分がここでは一人ぼっちの不必要なよそ者であり、また自分にとってもここのすべてのものは不必要であること、そうして、いっさいの過去が自分から引きはなされ、まるで焼けたように消え失せてしまい、灰まで風に吹き散らされてしまったことを、はっきりと自覚した。(略)彼女は二階の自分の部屋へ行って、荷物をまとめた。そして次の朝、みんなに別れをつげ、元気な、溌剌とした気分で、この町を去った―もう二度と帰らないつもりだった。『萩原朔太郎詩集』岩波書店一九五二年「散文詩」抄AULD LANG SYNE! 過ぎ去りし懐かしき日々 波止場に於いて、今や出帆しやうとする線の上から、彼の合図をする人に注意せよ。きけ、どんな悦ばしい告別が、どんな気の利いた挨拶が、彼の見送りの人々にまで語られるか。今や一つの精神は、海を越えて軟風の沖へ出帆する。さればけんざいであれ、親しき、懐かしき、また敵意ある、敵意なき、正に私から忘れられやうとしてゐる知己の人々よ。私は遠く行き、もはや君らと何の煩わしい交渉もないであろう。そして君らはまた、正に君らの陸地から立ち去ろうとする帆影にまで、あのほつとした気軽さの平和―すべての見送り人が感じ得るところの、あの気の軽々とした幸福―を感ずるであらう。もはやそこには、何の鬱陶しい天気もなく、来るべき航海日和の、いかに晴々として麗らかに知覚されることぞ。おお今、碇をあげよすいふども。おーるぼーと。……聴け! あの音楽は起る。見送る人、見送られる人の感情にまで、さばかり涙ぐましい「忘却の悦び」を感じさせるところの、あの古風なるスコットランドの旋律は! Should auld acquaintance be forgot,and never brought to mind! Should auld acquaint be forgot,and days of auld lang syne!
A・A・ミルン『こどもの情景』一九九六年 パピルスベッドのなかのちっちゃなウォータロー・ちっちゃなウォータローはベッドのなかにいる。(略)ウォータローちゃんは、遠くを見つめるやうに、そっと微笑んで見せる。心のなかでつぶやきながら。「ひとりになったら、おもしろいことかんがえよ」(略)ちっちゃなウォータローは、こころのなかで考える……「わたしがうーんとうーんと大きくなったら、どうなるかしら。たとえば、お月さまみたいに大きくね。そうしたらどうぉ?きっと、もうだあれにもつかまんないわ。なんておもしろいの!アラン『芸術論集 文学のプロポ』二〇〇二年五月、中央公論新社芸術論集第一巻 創造的想像力について第一章 想像力13.想像力は誤謬のあるじ(パスカル)「見えもしないものを見るやうに思い込む」(モンテーニュ)想像力とは、単に、また主として精神のもつ静観的な力などではなく、身体の混乱と同時に精神のなかへ入ってくる誤謬と無秩序のことを言うのである。恐怖においては想像力の周知の作用は、(略)身体そのものの疑いえぬ知覚にまず結びついているが、その原因らしい思い込みの対象の心像(イマージュ)は、全く無限定な、いまにも消え失せそうなものであることが多い。14.心像は注意力の働きで解消されるがいわば、われわれの背後でまた形づくられるのである。大切なことは、まず厳しい吟味によって、眼の前にないものの外見を喚起する力などというものは、人のいうほど、強いものではないこと、換言すれば、想像力はそれ自身の性質についてもわれわれを欺くものだということを、認めておくことである。強い想像力(略)強いというのは、恐怖が示すやうに、不快、さらに病気にさえたやすくしてしまう。その作用において強いという意味に取らねばならない。心象の強さを、その伴奏である顔つき、身振り、動作および発言によって判断することは慎まねばならない。発熱または情念の激発における、巫女的状態とも呼ぶこともできる錯乱状態、それはそれ自体として雄弁で、感動的で、伝染的なものである。(略)希望が彼らの知覚をもゆがめたといえば、知っている以上のことをいうことになる。現代の心理学は、狂人や病人をあまり信じすぎたというその根本的誤謬から決して立ち直りえないであろう。15.強い情念あるいは単に証明したという情念に動かされるやうなことがあったら、あまり自分を信じすぎぬやうするのが慎重だ。恐怖においては喚起力が不確かで模索的な時ですら、想像力の働きは極めて力強く、それを信じ込む気持ちは極めて強い。だから、これこそ本来想像力の物狂わしさなのだが、証拠を示し、感動を生み出すのは思い込みの対象だと信じるのをやめて、その代わりに、証拠を示し、そうすることでそれ自身ではよく限定されていない印象に意味と強さを与えるのは感動なのだ、と考えるほうが正しいのである。時計のかちかちという音のうちに人間の声を想像する時も、人はやはり時計の音しか聞いていないのであって、それは少し注意力を働かせば確かめられる。しかしこの場合、そして疑いもなくあらゆる場合において、あやまった判断は、まさにそのことによって現実的となり、もはや疑いえぬものとして知覚されるのである。17.身体の機構がその力を感じさせ、身体の動きと不可分な一つの強烈な感動が感じられ知覚され、そして同時に、本当らしいが先走った、結局のところ対象をもたぬ一つの思い込みが生じたのだと。その全体は、ある意味においては想像的だが、身体の混乱という点においては極めて現実的な、情念にかられた期待の性格をもっている。注意を引きつけ、とくに記憶のなかに焼き付けられてしまうものが、よく言われるやうに、一種の心象、または幻覚、または幻聴であるやうな場合にも、こうした支配的性格を再び見いだすことがとくに大切である。想像力は本来物狂わしい、無規制的なものである。焦燥・恐怖・怒りが証拠立てるやうに、判断と身体の混乱とは絶えず相互に作用し合うことは極めて明らかである。そして身体の混乱し、はばまれた動きが、自分は危険にあるとか、この男は自分を軽蔑しているとか、あるいはこの町は自分にとってよくないだろう、というやうな謬った判断を確かなものにしてしまうと、すぐさまこの判断から別の新しい興奮が生じる。対象を欠く時はいつもそうなるのだが、この興奮は、開始され、抑制され、はばまれた行動の結果である。そしてこの興奮がまた感動を活気づける。こうして判断は全く対象を見いだしていないのに、証明だけは見いだしたことになる。じっさい身震いや遁走は私を恐怖からいやすどころか、全くその反対なのだ。だから身体には混乱、精神には誤謬があって、それが相互に養いあう、これこそ想像力のまことの姿である。18.想像力は何らかの対象を必要とする。第二章 夢と夢想について19.人がいったん夢に注意を向けるやいなや、情念が真の原因の考察からわれわれを横道にそらせてしまう。20.対象は、物語がいわば呪文によって出現させようとする対象は、疑いもなく当の瞬間にもそうであったやうに、存在しない。いつも存在しやうとする刹那にあり、いつも世界の端にあるのだ。だからわれわれは、対象のうちにも全く存在しないものを、われわれ自身に提出する力をもっているなどということを軽々しく信じないやうにしたい。21.とりわけ私の発言は、声高いものでもただ囁かれたやうなものでも、聴覚に一つの現実的対象を与え、それが思い込みに応和する。ここでわれわれが物真似(ミミック)と大言壮語によって対象を想像してしまうことは、いささかの疑いもない。夢想においても、同じ諸原因がなお作用することは、感覚が夢想においてはぼんやりとした対象のうちに幻覚の機会をよく見出すのであるかぎり、明らかなことである。こうして煙・雲・火は、風や泉と同じやうに、無数の曖昧な知覚によって夢想をそだてる。それにもまさって、強烈な知覚、ことに目の知覚が後に痕跡を、すなわちまず継続的心像を残すことは、だれもが落日について確かめたとおりである。(略)夢想者は、高声または低声にものを言い、また多かれ少なかれはっきりした身振りによって物真似をすることを止めない。ことに身振りは眼の前に一つの形を描き出してしまうことがある。鉛筆がさまよって、こうした身振りを定着すると、夢想にいわば、一つの過去、一つの歴史が与えられる。第三章 心像と対象について22.対象は与えられたものではない。それは、指定され、推測され、考えられたものである。(略)あらゆる距離、したがってあらゆる位置は、経験にもとづいて推測されるのであって、そこでは誤謬が常に可能なのである。(略)判断が印象に加わって、印象に形を与えるということである。対象をその場所に投げやるべき判断を全く伴わぬ対象がもしあるとしたら、それは私の眼の上に、私の眼のなかに映る月がそうであるやうに、もともと表現しえないものである。23.心象とは、思い出または夢においても対象の心像である。そこには形、距離、そして遠近法が認められるものだ。森は夢においても私から遠くにありうる。そして列柱は、夢想においても、規則的に大きさを減じてゆくことによって、深さを示すことに変わりはない。そして夢のなかの鐘は、鐘楼の高いところから私に音を送る。また私が夢のなかでかぐ薔薇は、私の指の間にまたは薔薇の木の上にある。だから心像はここでもやはり与えられたものではなくて、常に印象によって推測され、考えられたものだ。ただ吟味が不十分なだけである。心像(イマージュ)をもつ(想像するイマジネ)ということは、だから知覚することなのだが、用心が働いていない。(略)想像することは、だからやはり判断し考えることである。(略)想像と知覚とは、実際には混合状態にあるので、混同される傾きがある。24.対象の距離・大きさ・性質などについての誤謬なしに、私が知覚しうる風景などというものは存在しないのである。ガラス窓に反映した太陽は炎を思わせるだろうし、以下同様である。したがって想像とは謬った知覚といえるだらう。謬った知覚において誤謬なるものがどこから入りこんでくるか探ってみると、私が苦もなく見つけ出すのは、まず第一に、対象を他の対象であるかのやうに私に思い込ませる、身体と感覚の一状態である。それは暗い場所から出たとき、実際は微弱で遠くにある光を極めて強烈で間近にあるかのやうに判断する場合のやうなものだ。第二に見つけ出すのは、何らかの感動または情念にもとづいた思いこみである。たとえば、恐怖をいだいているために、扉のしまる音を大砲の音と思い込むやうなものだ。そしてこうした感動や情念は、それが私を動かしている限りにおいて、ほてり、悪寒、戦慄、開始され、抑制された行動などからなる身体の混乱のうちに存するのであるから、想像力のもつ力は、身体の機構が事物の働きを変じ、また同時に十分な吟味なしに、それらの事物が現前し作用しつつあるかのわれわれに思わせるのである。だから知覚としては、われわれの身体の位置や状態に結びつくところのものを能うかぎり除去しやうとする吟味によって、対象の真実を探求することであり、一方、想像力とは、主として印象と感動の混合物である最初の証拠を信じること、すなわちデカルトがいったやうに、人間身体の盲動(アフェクション)の秩序に従って、対象の現前・位置・性質を判断すること、に存すると言いたい。こうして心像たるにすぎぬ心像、人を欺く心像は、またもや人間身体の問題に帰着する。じじつ、想像力から生まれた恐怖においては、ただ戦慄しこわばったこの身体の現前、しかもこんなに間近な現前があるだけで、それ以外に何が残っているのだらうか。
スタンダール赤と黒』新潮社207.「ふむ、神学校のいじわる仲間がこわいのか!あんな連中のことを気にするなんて、きみもよっぽどお人よしだね。道ばたのかきねにとげがあるからといって、道がそれだけ美しくないというわけにはならん。旅人はずんずん道を続けるもんだ。いじわるのとげなんざ、道ばたで待ちぼけをくらわせとけばいい。とにかく、仕事だ、きみ、仕事だよ!」301.「きみにはきみの時代がわかってないんですね。相手が期待していることの裏をかけ。これこそ、断然現代の唯一の宗教です。常識はずれも気どりのまねもいけない。そんなことをすれば、相手はいつも常識はずれか気どりを期待することになるし、それではいま言った戒律は守れなくなりますからね」
342.それは狼ではなく、その影にすぎなかった(ラ・フォンテーヌの寓話『羊飼いと羊の群れ』)
ゲーテ『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代(中)』岩波文庫第六巻 うるわしき魂の告白360.自由の計り難いほどの仕合せは、事情さえ許せば、自分のしたいことはなんでもする、ということにあるのではなく、自分が正しく適切だと思うことを妨げられることなく、遠慮することなく、思うままに行うままに行いうることにあるのだ、と悟りました。わたしは十分に年を取っていましたから、この場合は、あまり月謝を払うことなく、この素晴らしい確信に達することができました。363.活動することが人間の第一の使命です。休養しなければならない合間の時間をも、外部の事物のはっきりした認識に達するために使わなければなりません。そうすれば、その認識がその後の活動をまた容易にしてくれるのです。
(上)185.「(略)教育、しかも早期の教育が、まず芸術家の素質を引き出してやらねば、中間のところに立ち止まっておおくのものが欠けたままになるでせう。といふのは、天賦の才の持主とされる人は、その点、普通の能力しか持っていない人よりも不利だからです。天才は普通の人よりも教育によってそこなわれやすいし、誤った道に押しやられることが多いからです」「しかし」(略)「天才は自力で自分を救ふのではないでせうか。自ら招いた傷を自力で癒すのではないでせうか。」「けっしてそんなことはありません。すくなくとも不十分にしか癒せません。若い頃の最初の印象を消し去ることができると考へてはなりません。恵まれた自由のなかで美しい高貴なものにとり囲まれ、立派なひとびとと交はりながら成長した人、ほかのことを容易に理解するために、まず知らなければならないことを先生たちから教へられた人、忘れる必要のないことだけを学んだ人、善きことを将来容易に気楽に行へるやうに、またなにかの悪習からまぬかれる努力をする必要のないやうに、いかに行動すべきかを幼いうちに教へられた人、こういふ人は、若い時の最初の力を、抵抗と迷誤のうちについやした人よりも、純粋で、完全で、幸福な人生を過ごすでせう。教育については多くのことが語られ、また書かれています。しかし、他のすべてを包括するこの単純で偉大な思想を理解し、実行に移せる人はごく少数です」186.「運命といふやつは立派な家庭教師ではありますが高くつきます」「(略)運命の英知は大いに尊敬しますが、運命が道具として使ふ偶然は非常に不器用な手足をもっています。といふのは、偶然は、運命がきめたことを正確に間違いなく行ふことは稀だからです」187.「運命が誰かを立派な俳優にしようときめたとしてごらんなさい。(略)ところが偶然がその若者を人形芝居に近づけ、その結果、早いうちから、無趣味なものに心を惹かれ、馬鹿げたものをまずまずのものと思ふどころか、非常な興味をもつやうになり、かうして、けっして忘れることのできない、また、ある種の愛着をどうしても断ち切ることのできない若い時の印象が、誤った方面からあたへられることになるのです」
「(略)私がうれしく思ふのは、なにが自分にも他人にも役に立つかを知っていて、自分の気儘を押へようとする人だけです。誰もが自分の幸福は自分の手に握ってゐます。芸術家がなにかの像を作るためのなまの素材を手にもっているのと同じです。技術の能力は生まれつきもっていますが、技術そのものは、学びとり、注意深く仕上げてゆかねばならないのです」 (中)巻95.「(略)シェークスピアの解釈を述べておられるのを伺っていますと、神々の会議の席から帰ってこられたばかりで、神々がそこで、人間をどのやうに作ろうかと相談しているのを聞いておられたやうな気がいたします。その反対に、あなたがひとびととつき合っておられるのを見てゐると、創造主の大きな初子(うひご)のやうで、ひどく不思議さうに、敬虔といってもいいほどの人の好さで、周りにいるライオンや猿や羊や象を眺め、それらもそこにいて、動きまわっているのだから自分の仲間だと思って、無邪気に話しかけてゐるやうな気がしてきますわ」186.人間といふものは、いかに自己流のやり方によってのみ、その目標に到達しやうとするか、本来自明なことを理解させるのにもいかに苦労しなければならないか、何事かをなさうと願ってゐる者に、それあって初めてその計画が可能となる初歩的な条件を認めさせることが、いかに困難であるかがわかる。139.人間は、気持ちも考へ方もまだ用意ができていないのに、外部の事情によって境遇に大きな変化がもたらされる時ほど、危険な状態におちいることはない。さうなると、思ひもかけない人生行路が開け、人間がその新しい状態に応ずる力がそなわっていないことを感ずることが少なければ少ないほど、いっそう大きな危険が生ずるものなのである。ヴィルヘルムは、自分の身のふり方もきめかねている瞬間に自由になった。彼は、自分の考へてゐることは立派であり、意図は純粋で、企ててゐることも非難されるやうなものではないと思った。すべてのことを、自ら多少の自信をもって認めることができた。しかし彼は、経験に欠けてゐることに気づく機会が多かったので、他人の経験や、彼らがそこから引き出す結論に、過度の価値を置き、そのためますます混迷におちいつた。彼は自分に欠けているものを補ふには、書物や会話で出会った重要と思へることをすべて、書きとどめ、集めるのが、もっとも手っ取り早いと思った。そこで彼は、面白いと思った他人や自分の意見や考へ、それどころか会話全体を書きとめ、哀れにもかうして、真実も誤謬もともに抱へ込み、一つの観念に、いや、一つの文句にさへいつまでも固執し、しばしば他人の灯火を導きの星とすることによって、自分本来の考へ方や、行動の仕方を見失ってしまった。アウレーリエの辛辣さや、友人のラエステスの冷やかな人間蔑視は、不当なまでに彼の判断を迷わせたが、彼にとってもっとも危険であった(略)ヤルノの明晰な知性は、当面の書物に関しては的確で厳正な判断を下すことができたけれども、彼は個々の判断に普遍性があるかのやうな言ひ方をする欠点があった。知性の判断は本来一回かぎりのものであり、しかも一定の局面にのみ妥当するのであって、きはめて近似した局面に適用されても、誤りにおちいるのである。(略)ヴィルヘルムは、自己を統一しやうと努めているにもかかはらず、ますますこの望ましい統一から遠ざかった。かうして混乱しているために、熱意のあまり、役に立ちさうなものは手当り次第に利用しやうとし、果ては、なにをすればいいのかさへ皆目わからなくなった。(下)巻73.「神さまが本や物語のなかから話しかけてくれると信じられるなんて、わたしにはとてもわかりませんわ。世間とわたしたちの関係がどうなっているかは、世間が直接教えてくれますし、わたしたちが自分と他人にたいしてどんな責任を負っているかは、わたしたちの心が言ってくれます。それのできない人が、さういふことを本から知らうたって、そんなことはできやしません。本なんて、わたしたちの過ちに上手に名前を付けてくれるだけなんですもの」137.模倣は生得のものであるが、なにを模倣すべきかを知るのは容易ではない。適切なるものを見出すことは稀であり、それが評価されることはさらに稀である。山頂はわれわれの心をひくがそこに登る段階は心をひかない。われわれは山頂を仰ぎ見つつ、平地を歩むことを好む。192.(略)生きてゆくのに支へになるやうな原則をはっきり口に出して、子供たちの頭に刻みこむことも、同じやうに必要なことだと思ひます。それどころかわたしは、規定にしたがって迷ふ方が、わたしたちの本性(ほんせい)にしたがって、勝手気儘にあちこち迷ふよりもいい、と言ひたいくらいです。人間といふものは、その本性になにかしら隙間があって、その隙間は、しっかりした、そしてはっきりした原則によってしか埋められないのだとわたしには思へます」200.「(略)わたしが心配するのは内面的な不釣合だけです。容れ物は、そのなかに容れる物にふさわしくなければなりません。見栄ばかりで楽しみがない。お金があるのにけち、身分は高いのに粗野、若いくせに杓子定規、困っているのに儀式ばる、わたしが心底嫌いなのはかういふ不釣合です。世間の人がどう考へるか、そんなことはわたしにはどうでもいいことなのです」「人間といふものは、いまあるとほりにだけ受け取ると、その人をいっそう悪くする。その人たちがいますでに、その人たちが将来あるべき姿をとっているものとして扱ふと、その人たちを導いて行かうと思ってゐるところへ連れて行くことができるのです」201.分別、秩序、規律、命令、これがわたしの本領です。(略)『テレーゼさんは子供たちを訓練し、ナターリエさんは育て上げる』(略)それどころかヤルノさんは、わたしには三つの美点、信仰、愛、希望が欠けている。とまで言ひました。ヤルノさんは、『テレーゼさんは信仰の代わりに分別を愛の代わりに粘り強さを、希望の代わりに信頼をもってゐる』と言ひました。喜んで白状しますが、あなたを知る前は、明晰さと聡明さ以上に大切なものはこの世にないと思っていたのです。208.「これほどわたしの心も頭も黙りこんでしまったのは初めてですわ。どうすればいいのか、なんと言へばいいのか見当もつきません」210.「しばらく辛抱することね。もう少し考へてみませう」(略)「こんなに話がこみ入った時には、慌てて取り返しのつかないやうなことをしてはいけない、といふことぐらいしか思ひつきません。作り話や巧みな企てには、辛抱して、利口に立ち向かわなくてはなりません(略)」213.心は動かされ、高められるといふこと、この世には、喜びや愛や、あらゆる欲望を越えて満足をあたへる感情があるといふこと215.若い時から、自分に反抗して、自分の理性を、広い一般的なものに向かって鍛へ上げていなかったら、ぼくは、きはめて中途半端な、嫌な男になっていただらう。立派なひとかどの活動ができる人が、その特性を伸ばしそこなっているのを見るのは、実に嫌なことだ(略)ときどきは息抜きをして、ほめられもしなければ、言い逃れもできないやうなことを、夢中になって楽しみでもしなければ、とても生きては行けないだらう。(略)218.人間には、用ゐたり利用したりしない生まれながらの資質や能力はない、といふことがよくわかった。232.他人の人間形成に関心をもたないで、他人を観察してはならない。本当は、活動することによってのみ、自己を観察し、自己の声を聞くことができるのに。233.大成しうる者はおのれを知ることも世間を知ることもおそい。感性と同時に実行力をそなへた者はきはめて少ない。感性は視野を広くするが実行力を奪ふ。行為は活力をあたへるが視野を狭くする。235.いかに修練を積んでも、完成の域に達しない才能に対しては用心しなければならない。自分の望む程度には上達できなくても、結局は、名人の芸を目にすると、こんなたはいもないことに、時間と力を浪費したのを悔いる物なのだ。239.吟味し選ぶのは君の仕事だ。われわれの仕事は、君を手助けすることだ。人間は、いかに努力して見せても自ずから限界があるものだと悟るまでは幸福にはなれない。(略)自分のことでなく、周りにあるもののことを考えなさい。例へば、ロターリオさんの優秀さを見抜くことを学びなさい。あの人の洞察力と活動とは分かち難く一つに結ばれている。あの人は絶へず前進し、自己を広げ、すべての人を引っぱって行く。どこにゐようと、あの人は一つの世界を引き連れ、あの人がゐることで、人を活気づけ、鼓舞する。それに反して、あのすぐれた医者を見てごらんなさい。まるで真反対のやうに見へるではないか。ロターリオさんは全体にたいして働きかける。医者は明敏な目を、身近なものにのみ向ける。活動を生み出し、人を活気づけるよりは、活動のための手立てを作り出すのだ。240.冷静に理性的に考察するのは、いかなる時にあっても害にはならない。他人の長所について考へることに慣れると、知らぬ間に自分の長所も明らかになるものだ。さうなると、空想に誘われての愚行も、進んで捨てられるやうになる。できるかぎり君の精神を、あらゆる邪推や不安から解き放つことだね。257.心配は老人のすることで、おかげで若い者は、しばらくのあいだは気楽に過ごせるのだ。人間の行動における均衡は、残念ながら、対立によってのみ成り立つのだ。9.われわれの出合ふことはすべて跡を残します。すべてが気づかぬうちにわれわれの形成に役立っているのです。しかしそれについて説明しようとするのは危険です。そんなことをすれば、われわれは思ひ上って投げやりになるか、あるいは、打ちひしがれて無気力になるかです。いづれにしても結局害になるだけです。いちばんいいのは、つねに、目の前にあるもっとも手近なことをすることです。136.いづれの愚行も悔いてはならない。繰り返してはならない。(略)けはしい所は回り道によってのみ登れる。平坦な所では村から村へまっすぐに道が通じている。
カフカ寓話集』一九九八.一.池内紀編、岩波書店「ある学会報告」26.私は生まれて初めて、出口なしの状態に陥ったわけです。少なくともまっすぐ前は抜けられない。まっすぐ前は木箱であって、がっしりとした板が立ちふさがってゐるのです。たしか板と板の間に、一筋の隙間がありました。その隙間に気がついたとき、あさはかにも私はよろこびの声をあげたものでした。でもその隙間ときたら尻尾をさしこむこともできず、押しても突いてもビクともしないのです。27.たえず出口なしといふ意識が頭を去りませんでした。出口などはこれまでいくらでもあったといふのに、いまや一つとして見つからない、まるっきり身動きがならないのです。あのとき、あのまま釘付けにされてゐたとしても、何の変はりもなかったでせう。どうしたのだ?足の指のあいだのふっくらした部分をつまんでみても、さっぱりわけがわかりません。身体が二つに尻ぺたを格子に押し付けてみても、やっぱり少しもわからない。出口なし、さりながら出口を見つけなくてはならず、出口なしでは生きられない―このまま木箱の壁にへばりついてゐるならば、遅かれ早かれ、くたばるしかないことはあきらかです。それにハーゲンベックのところでは、猿の居場所は木箱のそばと相場が決っている―ならば、よろしい、猿であるのをやめようじやないか。この上なく明晰で、見事な思考のプロセスでは、ありませんか。お腹で考へだしたところなんです。猿はお腹で考へるものです。28.ところで出口とは何か(略)私は少々の懸念を抱かざるを得ないのです。(略)敢へて自由とは申したくない。あらゆる方向にひらいた、大いなる自由のことを申しているのではないのです。(略)この種の自由に恋いこがれているお方とも知り合ひました。私個人といたしましては、昔も今も自由など望みません。(略)人間はあまりにしばしば自由に幻惑されてはいないでせうか。自由をめぐる幻想があるからには、幻想に対する錯覚もまたおびただしい。29.自由などほしくありません。出口さえあればいいのです。右であれ左であれ、どこに向けてであれですね、ただこれ一つを願ひました。それが錯覚であらうともかまはない、要求がささやかなら錯覚もまたささやかなものであるはずです。木箱の壁に押し付けられて、ひたすら膝をかかへてゐるなど、まっぴら! どこかへ、どこかへ出て行く!今ではよくわかっています。あの状態を脱することができたのは、心のやすらぎがあってのことなのです。実際のところ、私が今日このやうにしてあること自体、船上での何日かろがすぎてから、私を見舞った安らぎのおかげであると申せるのです。30.このやうな人々のおかげで安らぎが得られ、その安らぎのおかげで逃げ出さうなどと思はなかったのです。いま改めて思ひ返しますと、おぼろげながらにせよ私は感じてゐたらしいのですね。生きていたければ出口を見つけなくてはならず、その出口は逃亡によってはひらけない。逃げ出すことが出来たかどうか、いまとなってはわかりません。しかしそんなことをしても、いったい何になるといふのです?32.とても出来そうにないことを、どこの誰が約束したりするでせう。しかしながら、およそ出来そうにないことをやってのけたら、さき立ってはとてもあり得なかったたぐひの約束が、あと追ひの形で追ひかけてくるものです。人間それ自体に惹かれたわけではないのですよ。さきほど述べた自由の信者なら、どんより曇った人間の目にうかがへるやうな出口よりも、はてしない大海原の方を選びとることでせうね。こんなことを考へながら、私はじっと観察してゐたのです。しこたま観察をため込んだとき、おのずから行為の方向が定まったと申せませう。34.自分たちがともども猿の本性と戦っており、とりわけ私の方が難敵を相手にしてゐることを、師は見抜いておられたのです。36.ハンブルグで最初の調教師にあづけられたとき、自分には二つの道があることを知りました。動物園へ行くか、それとも演芸館の舞台でお目見へするか。私は即座に演芸館めざして全力をつくすべく自分に言ひ聞かせました。動物園はもう一つの檻にすぎず、そこに入れば、お先まっ暗といふものです。学会の諸先生方、私は一心不乱に学びました。まったくのところ、学ばざるを得なかったからです。出口を求めるならば、必死になって学ぶものです。しゃにむに学ぶのです。鞭が控えていましたし、ちょっとでも反抗すれば八つ裂きにされかねなったのです。猿の本性が、こけつまろびつ私のなかから逃げ出していったのです。37.自分で自分の能力を確信しだした頃のこと、世間は私の進歩に目を丸くしており、未来がひらけはじめた頃合ひでしたが、自前で師匠を雇ひましたね。38.つまり私は人間の繁みに分け入ったのです。ほかに道がなかったからでありましてね。とまれ、まあ、自由を選ぶのは論外といふことを前提としての話ではありますが。「ロビンソン・クルーソー」41.ロビンソン・クルーソーが島のなかのもっとも高い一点、より正確には、もっとも見晴らしのきく一点にとどまりつづけてゐたとしたら―慰めから、恐怖から、無知から、憧れから、その理由はともかくも―そのとき彼はいち早く、くたばってゐただろう。ロビンソン・クルーソーは沖合ひを通りかかかるかもしれない船や、性能の悪い望遠鏡のことは考へず、島の調査にとりかかり、またそれをたのしんだ。そのため、いのちを永らえたし、理性的に当然の結果として、その身を発見されたのである。
世界の名著55 ホイジンガ 『中世の秋』 昭和42年 中央公論社「戦争と政治における騎士道理想の意義」219.いたるところ、騎士ぶりはなやかな盛装のほころびから、嘘が顔を出す。現実が、たえず理想を否認する。だからますます、理想は、文学の領域へ、祭りと遊びの世界へと逃げこむ。そこだけが、騎士道にのっとった美しい生活という幻想の生きるところ。そこでは、仲間うちにカーストが作られ、騎士道好みの情感が、なんのむりもなく、すなおに受け入れられる。(略)
トルストイ戦争と平和』四234.そこではじめてピエールは、大きな生命力と、注意を転換するといふ救ふ力が、人間にそなはってゐることを理解した。これは気体密度が一定の限度をこえると、余分の水蒸気を放出する、蒸気機関の安全弁のやうなものである。280.常にこの老人は、その人生経験によって、考へと、その表現をつとめる言葉とは、人々を動かす原動力ではないといふ確信に達してゐたから、最初に頭に浮かんだまったく無意味な言葉をしゃべってゐたのである。だが、これほど自分の言葉を無視してゐたこの人間が、いかなる場合も、戦争の全期を通じてその達成を目指してゐた唯一の目的からそれるやうな言葉は、一言も口にしたことがなかった。(略)モスクワの喪失はロシアの喪失ではない。(略)376.太陽やエーテルの一つ一つの原子が、それ自体が完成した一つの球体でありながら、同時に人間の理解をこえた巨大な全体の一原子を構成してゐるにすぎぬやうに、一人一人の人間も自分自身のなかに自分の目的をもってゐるが、同時にそれをもってゐるのは、人間の理解をこえた全体の目的に奉仕するためなのである。377.人間を究めうるのは、他の生活現象に対する蜜蜂の生活の適応の観察だけである。歴史上の人物と諸民族の目的についても同じことが言はれねばならぬ。386.このころ彼が出会ったすべての人々に対するピエールの態度には、だれからも行為をよせられた一つの新しい特徴があった。それはだれもが自分なりに考へ、感じ、ものを見ることの可能を認め、言葉で人間の信念を変へさせることの可能を認めないといふことであった。各人のこの当然の特性は、以前にはピエールの心を刺激し、波立てたものだが、いまは彼が人々によせる同情と関心の基礎になってゐた。人々の意見と生活の、あるいは相互のあいだの相違や、ときには完全な矛盾がピエールを喜ばせ、からかふやうな柔和な微笑を誘ふのだった。467.村に住む人々は、雨の原因について明白な理解をもたぬために雨を望むか晴天を望むか自分たちの気分によって、風が雨雲を吹きはらったとか風が雨雲を運んできたとか言ふ。世界史の歴史家たちもそれと同じことである。それが望ましいときや、それが彼らの理論に合ひさうなときは、権力は事件の結果である。といふが、それと違ふことを証明しなければならなくなると、―権力が事件を生み出すと、まるで反対のことを言ふのである。473.彼は人を苦しめたり、罰したりすることも、人を楽にしたり、褒美をやったりすることも、等しく自分に許さぬやうにしてゐたが、それはたださうしたかったからで、それが彼個人として望ましいことだったからである。475.「そんなことはぜんぜんないな。一度も頭に浮かんだこともない。彼らの幸福のためになど、何もしようと思わんよ。そんなものはみな詩だよ。女どもの戯言だよ。―隣人の幸福なんてものはね。ぼくの望みは、子供たちを路頭に迷ふやうなことのないやうにしてやることだよ。ぼくに必要なことは、生きてゐるあひだはぼくらの財産をつくることだよ。それだけさ。そのためには秩序といふものが必要なんだよ。きびしさがな…これがな!」。(略)「それから、むろん公正もだ」と彼はつけ加えた。「だって、もし百姓が着るものも食べるものもなく、痩せ馬が一頭しかないとしたらだよ、自分のためにも、ぼくのためにも、働きはしないさ」510.われわれは外界の影響から切りはなされた人間をどれほど想像したところで、空間のなかの自由といふ観念は絶対に得られない。人間の行動はすべて、その人間の肉体自体と、そのまはりを取り巻くものに、不可避的に制約されてゐる。わたしが手を上げ下げする。わたしの行為がわたしには自由なものに思はれる。ところが、どんな方向へでも手を上げられるか、と自分にたずねてみると、―わたしが手を上げたのは、わたしのまはりの物体にもあるし、わたしの肉体の構造のなかにもある障害が、この動作をするのにもっとも少ない方向であったことがわかる。もしあらゆる可能な方向からわたしが一つの方向を選んだとすれば、それはその方向に障害がより少なかったからである。わたしの行為が自由なものであるためには、それがどんな障害にもあはぬことが必要である。人間を自由なものと想像するためには、われわれはその人間を空間の外に想像しなければならず、それは明らかに不可能である。(略)
『復活』 上419.世間に最も流布されてゐる迷信の一つは、人間といふものはそれぞれ固有の性質を持ってゐるものだといふことである。すなはち、善人とか、悪人とか、賢人とか、愚者とか、精力的な者とか、無気力な者とかに分れて存在してゐるといふ考へ方である。だか、人間とはそのやうなものではない。ただわれわれはある個人について、あの男は悪人でゐるときよりも善人でゐるときのはうが多いとか、無気力でゐるときより精力的であるときのはうが多いとか、あるいはその逆のことがいへるだけである。かりにわれわれがある個人について、あれは善人だとか利口だとかいひ、別の個人のことを、あれは悪人だとか馬鹿だとかいふならば、それは誤りである。それなのに、われわれはいつもこんなふうに人間を区別してゐるが、これは公平を欠くことである。人間といふものは河のやうなものであって、どんな河でも水には変わりがなく、どこへ行っても同じだが、それぞれの河は狭かったり、流れが早かったり、広かったり、静かだったり、冷たかったり、濁っていたり、暖かだったりするのだ。人間もそれとまったく同じことであり、各人は、人間性のあらゆる萌芽を自分のなかに持ってゐるのであるが、あるときはその一部が、またあるときは他の性質が外面に現れることになる。そのために、人々はしばしばまるっきり別人のやうに見えるけれども、実際には、相変わらず同一人なのである。なかにはかうした変化がとくにはげしい人もある。
下150.たしかに、よくない行ひはなかったけれども、よくない行ひよりももつと悪いものが、すべてのよくない行ひを生みだすよくない考へがあったのである。悪い行ひは後悔して繰りかえさぬやうにすることができるが、よくない考へはすべてのよくない行ひを生みだすものなのである。ひとつの悪い行ひはただほかの悪い行ひへの道をならすだけであるが、よくない考えはいやおうなしに人をそのよくない方向へ引っぱりこむのである。朝になって、ネリュードフはきのうの考へを頭のなかによみがえらせてみて、どうしてそんな考へをたとへ一瞬でも信ずる気になれたかと、われながらあきれる思ひであった。彼は自分がやらうと志してゐることが、たとへどんな新しい困難なことであらうとも、それが今の自分にとって唯一の可能な生き方であることを彼は承知していた。そして、以前の状態に返ることがどんなに容易な身についたことであらうとも、それは自分にとって死であることを彼は承知していた。284.愛情抜きで他人を取り扱えるやうな立場があると人びとは考へてゐるが、そんな立場なんかありはしないのだ。そりゃ相手が物なら愛情抜きで扱ふことができる。愛情抜きに木を切ったり、煉瓦を焼いたり、鉄をきたへたりすることができる。ところが人間を愛情抜きに扱ふことはできない。それは慎重な心づかひなしに蜜蜂を扱ふことができないのと同じだ。それが蜜蜂の特質なのだから。もし慎重な心づかひなしに蜜蜂を扱ったら、蜜蜂もそれを扱ふ人間もひどい目にあふのだ。人間を扱ふのもそれと同じことで、それ以外ではありえない。なぜなら、人間相互の愛情は人間生活の根本的法則だからだ。もっとも、人間は自分をむりやりに働かせることはできても、むりやりに愛することはできない。しかし、それだからといって、愛情抜きで人を扱ってもいいといふことにはならない。とくに相手から何かを要求する場合はなおさらだ。もし他人に対して愛情を感じなかったら、おとなしくじつと坐ってゐればいいのだ。(略)そんなときは、自分なり、品物なり、何でも好きなものを相手にすればいいので、ただ人間だけは相手にしてはいけないのだ。ただ食べたいときに食べるのが、害がなくて、有益な食べ方であるやうに、ただ愛情のあるときにだけ人に接するのが害がなくて有益な人とのつきあひといふものだ。 (略)319.人間は誰でも一部は自分の考へによって、一部は他人の考へによって生活し、行動するものである。どの程度まで他人の考へによって生活し、どの程度まで他人の考へによって生活するかといふところに、人間を互ひに区別する主要な相違の一つがある。ある人々は多くの場合、自分の考へを知的遊戯のやうに利用して、自分の理性を伝導ベルトをはずした弾み車のやうに扱ふが、行動に際しては他人の考へ―その習慣、伝統、法則に従っている。ところが他の人々は、自分の考へを自分の全活動の主要な動力と考へて、ほとんど常に自分の理性の要求に耳を傾け、それに従ふのであるが、ただごくまれにそれも批判的評価を受けてから、他人の決定に従ふのである。シモンソンもこのやうな人間の一人であった。彼はすべてを理性によって検討し決定し、いったん決定したことは必ず実行した。

『明治の文学第22巻 国木田独歩』『日の出』183.朝日が波を躍出るやうな元気を人は何時も持て居なければならぬ。 だから人は何時も暗い中(うち)から起て日の出を拝むやうに心掛けなければならぬ。 そして日の入まで、手当り次第、何でも御座れ、其日に為(す)るだけの事を一心不乱に為なければならぬ。 日は毎日、出る。人は毎日働け。さうすれば毎晩安らかに眠られる。さうすれば、其翌日は又新しい日の出を拝むことができる。 一日働いて一日送れば、それが人の一生涯である。(略)186.『為す有る人となれ』とは先生の訓言でした。人は碌々(何事もなさず平凡な様)として死ぬべきではない、力の限を尽して、英雄豪傑の士となるを本懐とせよとはその倫理でした。 人は人以上の者になることはできない、然し人は人の能力の全部を尽すべき義務を持て居る。此義務を尽せば即ち英雄である、これが先生の英雄経です。(略) 一日又一日と、全力を尽くして働く、これが其実行なのです。(略)
世界の名著30『ルソー』昭和四十一年六月 中央公論社 ジャン=ジャック・ルソー『エミール または教育について』535.それを制御していられるあいだは、あらゆる情念はよいものであり、それに屈服してしまったら、あらゆる情念は悪いものとなる。自然がわれわれに禁じていること、それは、自分の力の及ばないところにまで自分の執着をひろげることだ。理性がわれわれに禁じていること、それは、自分の力の及ばないところにまで自分の執着をひろげることだ。理性がわれわれに禁じていること、それは、誘惑されないことではなくて、誘惑に引きずられることだ。536.心を人間という身分の限界のなかに引きとめなさい。この限界を調べ、よく見きわめなさい。それがどんなに狭かろうとも、そこにとじこもっているかぎり、人間は不幸ではないのだ。(略)狂おしい欲望のままに、可能でないことを可能なことのように考えるとき、不幸になるのだ。人間という身分を忘れて、架空の状態をこねあげるとき、不幸になるのだ。(略)それがないためにつらいと思われるような幸福は、当然それをもつ権利があると自分で思い込んでいるような幸福だけだ。それを得ることが明らかに不可能であれば、われわれはそれに執着しない。かなえられる望みのない願いは、われわれの心を苦しめない。537.自然と法とがわたしに課している鎖以外に、いかなる他の鎖をもみずから付け加えることはせずに生きてゆくつもりです。いろいろな制度のなかで、人間が作り上げたものを調べてみれば見るほど、わたしには、人間が独立したいと願うあまり奴隷となり、自分の自由を確保するためのむなしい努力のうちに、その自由さえすりへらしているのがわかります。事物の奔流に押し流されまいとして、人々は無数のものにしがみつきます。そうして一歩でも先へ進もうとすると、身動きができず、あらゆるものに結びついているのに驚くのです。人間が、自由になるためになすべきことは何もないのだ、とわたしには思われます。ただ自由であることをやめようとしなければそれで十分なのです。
平凡社ライブラリー528 ポール・ヴァレリーヴァレリー・セレクション上』平凡社 二〇〇五年二月九日186.散文を書く場合、最初に計画を立てて、そのあとをついていくことが可能なのだ。190.果物のなかに栄養分が隠されているやうに、思想は詩句のなかに隠されていなければならない。果物は栄養物ではあるが、恍惚とした喜びという姿しか見せない。人々は快楽にしか気づかないが、栄養を受け取っているのだ。陶酔状態、これこそ、果物が導く栄養物だ。移行期は甘美だ。196.独創性を狙ってはならない。特に現代のやうな時代にあっては。というのも、独創的なものはすべて、現代において、自分を他と区別して際立たせるものならどんな手段でも利用しようとしている人間が虎視眈々とつけ狙っているものであるし、また貪欲なまでの注意を差し向けているものであるからだ。その結果、朝に独創的であったものが、もう夕方には模倣されているということが起こる。朝に、それが人目を引いて、新しいということがあればあるほど、夕方、創造された効果の繰り返しは人目を引いて、耐えがたいものとなる。―古いものと新しいものを軽蔑せよ。209.詩人は(略)生きた人間によって一瞬ごとに変更を加えられた刹那刹那の道具を彼の注意力が詩に向けられているあいだは、(略)選ばれた感動的状態の実質になるように強制されなけれはならないのです。231.詩人の偉大さは、精神がかすかにかいま見たものを、自分のことばでしっかりとつかまえるところだ。232.もし鳥が自分は何を歌い、なぜそれを歌い、自分のなかで何が歌っているのか明確に言うことができたら、鳥は歌わないだろう。235.仕事をしている人は自分に向かって言う。もっと強く、もっと賢く、もっと幸せになりたい―「このわたし自身」よりも。240.ねたみと軽蔑とはこちらの自負心という法廷がくだすふたつの判決である。お前は存在しない。―わたしは存在するが。お前は出張りすぎる。―わたしは存在しないのに。241.悪口の私的法則。 十分に距離をとって観察していると、悪口はねらった地点に決まらない。吐いた唾はどれも閉曲線を描いて自分に戻る。246.ありふれた会話。(略) 声のひびきを聴くだけで分かる。この声のひびきでわたしは未知の人たちを判断し、あるいは予断するのであり、知っている人たちに対しても同様だろう。音声によって裏切られることはあまりない。 人がわたしたちについて言うことはどれも間違っているが、それについてわたしたちが考える以上に間違っているわけではない。―別種の間違いなのだ。251.もし自分が馬鹿なことを考え、本当にそう感じたとしても、あわてて闇に葬らない方がいい。その馬鹿なことは、まがりなりにも一度は生まれてきたのだ…。いったいなぜ生まれることができたのか?ちょっと立ち止まって考えてみよう。252.誠実さ。 無理した誠実さは、省察に導き、省察は懐疑に導き、懐疑はどこにも導かない。256.わたしたちはじつに明瞭に見えているのに、表現するのがとてもむずかしいものは、いつだってそれを表現する努力を自分に課す値打ちがある。242.言われた悪口は許した方がいい。―忘れるよりは。しかしその許しは決して本物ではない。現実に受けた痛みを帳消しにできるものはなにもない。243.けっきょくのところこのみじめな人生は、見かけのために本質を犠牲にするには値しないのである。その見せかける相手の目が誰のものであり、どんな眼なのかを知るとき。ボードレールパリの憂鬱』「天職」290.火のやうな色をした小さい雲の上291.それから連中はコニャックを一杯ずつ飲んで額を星のほうに向けて眠ってしまった。263.一異邦人――君がいちばん好きなのはだれかね、謎の男よ? 父親か、母親か、妹か、それとも弟か?――私には父も、母も、妹も、いない。――では友達か?――君は、今日までどういう意味か私にわからなかった言葉を使ふね。――では祖国か?――そんなものは、いかなる緯度にあるのか、私は知らない。――では美人か?――不死の女神なら美人も好きにならうが。――では黄金か?――そいつはまっぴらだ、君も神がまっぴらであるやうに。――ほう、ではいったい何が好きなのかね、奇妙な異邦人よ?――私の好きなのは雲!…流れゆく雲だ…ほら、ほら…あそこを…あのすばらしい雲さ!
廣野由美子『批評理論入門』―『フランケンシュタイン』解剖講義―』中央公論社 2005年86.「見て。魚が数えきれないくらい、透き通った水のなかで泳いでいる。川底の小石まで、ひとつひとつはっきり見えるわ。なんてすばらしい日なんでせう!すべてがなんてのどかで幸福に見えることかしら!」モンテーニュ『エセーⅢ―社会と世界』二〇〇三、中央公論新社362.それがどういうことであっても、人為のものでも自然のものでも、生きる態度を他人との関連によってわれわれにおしつけるものは、われわれに益よりも、害のほうをずっと多く与える。われわれは、世間一般の目に映るさまざまな外観を見た目のよいものに仕上げやうとして、われわれ自身の持っているいろいろ有益なところを切り捨てる。われわれの存在がわれわれ自身のなかで実際にどのやうなものかということよりも、われわれの存在が世間一般からどのやうなものとして認められるかということのほうがわれわれにとってたいせつなのだ。精神の富や智慧さえ、もしそれらがわれわれだけによって享受され、よそのひとから見られたり賛成されたりしないのならば、みのりのないもののやうにわれわれには思われる。364.まったく、そこでは正義と不正義が逆になっている(ウェルギウス『農事詩』一の五〇五)

楽家類聚』二〇〇六.六.二十 東京書籍株式会社233.「お前たち勉強しているか。していないだろう。今は戦争中でいい気になっているが、戦争はいつかは必ず終はる。そのとき、今勉強してゐない奴は後悔する。それからでは遅いぞ。先祖の人たちは京都が燃えてゐるときも練習してゐたから雅楽は今日まで続いてきた。お前たちがもたもたしてゐると雅楽はなくなるぞ。少しづつでも勉強してゐてくれよ、頼むよ」
14.空間も時々刻々に心的変化を生みだすのだ。そしてその変化は、時間によって乗ずる変化によく似てはゐるが、ある意味ではそれ以上のものなのである。時間と同じやうに、空間も忘れさせる力を持ってゐる。しかし空間のそれは、人間をさまざまな関係から解き放って、自由な自然のままの状態へ移しかへるといふやり方である。―実際、空間は、固陋な俗人をすら、瞬時に放浪者のやうにしてしまふ。時は忘却の水だといはれるが、旅の空気もさうした一種の飲物であり、時の流れほど徹底的でないにしても、それだけいっそう効きめは速い。125.「(略)しかし何事もはじめが肝心だ。どんな仕事であらうと、仕事といふ名に値する仕事は、すべてたいへんなものなのです。ね、さうではありませんか」「まったくそのとおりだと思ひます、それは悪魔だって知ってゐると思ひます」とハンス・カストルプはいったが、これは彼の実感だった。210.人間の精神生活ではいっさいが相互に関連してゐます。互ひが互ひの原因となり結果となるのです。また、悪魔には小指さへも与へるな、さもないと手の全部、いやそれどころか魂までも奪はれるともいはれてゐるでせう。…他面また、健康な原理といふものは、そのいづれを最初にしようとも、つねに健康なものしか生み出さないのですから。459.「彼らの言ひ草を額面どほりに受取ってはいけませんぞ、エンジニア、彼らがどんな悪態をついても、それを本気には受取るべからずです。みんな至極快適にやってゐるくせに、例外なく悪態をつくのです。自堕落な生活を送ってゐるうへに、まだ人の同情を強いたり、皮肉や毒舌や悪態をいふ権利があると思ってゐるんですな。『この遊び場』で。(略)試しにあの女を平地へ帰してごらんなさい。帰ってからの生活だって、やはり一日も早くここへ舞ひ戻りたいとしか受取れないやうな生活しか、しないでせう。(略) 皮肉といふ精神態度には用心が大切です。皮肉といふものが修辞直截な古典手段としての皮肉でないかぎり、また健全な悟性にとって一瞬といへどもその意味が紛らはしくないやうな皮肉でないかぎり、それはふしだらなものとなり、文明の障害となり、沈滞と非精神と悪徳の不潔な戯れと化するのです。私たちを取巻く雰囲気は、かうした種類の泥沼の植物を繁茂させるのに非常に適してゐることは明らかです。(略)」473.陶酔といふものは、酔うこと自体が目的なので、さめることを欲せず、それを嫌悪する。陶酔は、それを弱めるやうな印象に対しても自己を主張し、自己維持を図ってさういふ印象を受け入れまいとする。497.待つとは、さき回りするといふことであって、時間や現在といふものを貴重な賜物と感じないで、逆に邪魔物扱ひにし、それ自体の価値を認めず、無視し、心の中でそれを飛び越えてしまふことを意味する。待つ身は長いといふが、しかしまた、待つ身は、あるいは待つ身こそは、短いといってもよからう。つまり長い時間を長い時間としてすごさないで、それを利用せずに、鵜呑みにしてしまふからである。ただ待つだけの人は、消化器官が、食物を栄養価に変へることができないで大量に素通りさせてしまふ暴食家のやうなものだ。もう一歩進めていへば、むろん純粋にただ待つだけで、そのほかには何ひとつ考へもしなければ行動もしないといふやうなことは、実際にはありえないにしても、消化されない食物が人間を強くすることができないと同様に、ただ待つことだけに費やされた時間は、人間に歳をとらせないともいへる。500.「(略)あなたは月日を浪費なさっていらっしゃって、それがどんなに恐ろしいことか、おわかりにはならないのですか。それは不自然で、あなたの本性にも背くものなのにね。あなたの年ごろによくみられる感心癖からくるわけだが、しかし私はそれをおもふと実はぞっとさせられます。(略)」504.あんな連中と調子を合はせてはいけません、あのひとたちの観念に感染なさってはいけません。彼らの特性に対して、あなたはあなたの特性、より高い特性を主張なさらなければなりません。(略)たとへば時間を神聖視しなければなりません。かういふ気前のいい時間の浪費、この野蛮な大まかなやり方、これはアジア式なのです。(略)寸暇を惜しめ(carpe diem)とある都会人が歌ってゐます。時間は神々の賜物、人間がそれを利用するやうにと貸し与へられた賜物なのです。―エンジニア、人類の進歩のために利用するように。520.自然は暴力です。そしてこの暴力を甘受し、それに屈服すること…よろしいか、内的に馴れ合うこと、これは奴隷的行為です。
『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』(上)ゲーテ作 山崎章甫訳 二〇〇二.二.十五245.非常に多くの時間と力を奪ひ取るかうした外的な必需品の変化には、まう関はり合はないやうにしてきましたので、私は関心と活動をほかの実に多くのものに向けることができました。人間が自分の持ってゐるものに、愛情のこもった注意を注ぐことは、人間を豊かにします。そうすることによって、人間は、どんなにつまらないものにでも、それにたいする思ひ出といふ宝を積み上げるからです。250.あらゆる生活、行為、技術には、限定されることによってのみ獲得される手仕事が先行しなければなりません。ひとつのことを正しく知り、それを行ふことは、百もの中途半端よりもよく人間を形成します。(略)あらゆる活動が区分けされてゐます。生徒は一歩ごとに試され、希望が分散して、あちらへ向かい、こちらへ向かいしてゐる生徒の本性が、本当はどこへ向かってゐるのかが見分けられます。(略)かうして、人間が自分の使命からそれて、あまりにも好んで迷ひこみたがる回り道を短くしてやるのです。 神の摂理は、倒れた者を助け起こし、打ち砕かれた者を立ち上がらせる幾千もの手段を持ってゐます。時として私たちの運命は、冬の果樹のやうに見えます。その悲しい外観から、枯れた枝、とげとげしい小枝が、春になればまた芽ぶき、花をつけ果実を実らすと誰が考えましょう。しかし、私たちはそれを願ひ、それを知ってゐるのです。
筑摩世界文学大系51 チェーホフ  昭和四十六年十一月五日『すぐり』212.安心してしまってはいけませんよ、自分を眠らせてはいけませんよ! 若くて、丈夫で元気のあるあいだは、うまずたゆまずいいことをしてください。この世に幸福はありません。またあるべきはずもありません。もし人生に意味があり目的があろうとするなら、その意味なり目的なりは、だんじてわれわれの幸福などにあるのではなく、何かもっと偉大なことにあるからです。『谷間』288.なにもかもわかるってわけにはいかねえもんだ、―なぜとか、どうしてとかよ。 鳥には羽が四枚じゃなくて、二枚しかくっついてねえが、これは二枚でも飛べるやうにできてるからだ。人間もこれと同じで、ものごとが全部じゃなくて、半分か、四分の一ぐれえしかわかんねえ様にできてるんだ。だが、生きてくために心得てなきゃならねえことだけは、ちゃんと心得てらあな。『かもめ』317.それはね、わたしが働くからよ、物事に感じるからよ、しょっちゅう気を使っているからよ。(略)それにわたしには主義があるの―未来を覗き見しない、というね。 わたしはね、いいこと、いわばピンと張りつめた気持ちでね、身なりだって髪かたちだって、いつもしゃんとしていますよ。ひとあし家を出るにしたって、よしんば、ほら、こうして庭へ出る時でも、―部屋着のまま髪も結わずに、なんてことがあったかしら? とんでもない。わたしがこうしていつまでも若くいられるのは、そういう連中みたいにぐうたらなまねをしたり、自分を甘やかしたりしなかったおかげですよ。340.わたしたちの仕事で大事なものは、名声とか光栄とか、わたしが空想していたものではなくって、じつは忍耐力だということが、わたしにはわかったの、得心が行ったの。『たいくつな話』30.欠点がどんなにたくさんあろうと、そのために厭世的な気分に陥ったり、悪口を言いたくなったりするのは、気の弱い、臆病な連中だけのすることである。こうした欠点はすべて偶然的な過渡的な性質のもので、完全にそのときどきの生活条件に依存している。十年もたてばそれらは消滅してしまうか、あるいはほかの新しい欠点に所をゆずるだろう。欠点といふものはなくてはかなわぬものだから、気の弱い連中が肝をつぶす様な種はいつになってもつきないわけである。 ありふれた会話がしだいに変質して行きつつあること、42.もし人間があらゆる外界の影響よりも高く力強いものを自分のなかに持っていないなら、その人間は、早い話が、ちょっとたちのわるい鼻かぜをひくだけでもう精神のバランスを失い、どんな鳥でもふくろうに見え、どんな音でも犬のなき声にきこえる様になる。そしてその場合、彼のいっさいのペシミズムないしオプティミズム、彼の大小さまざまの思想は、単なる病気の徴候としてのほかは、なんら意味を持たないのである。『筑摩世界文学大系24 ゲーテⅠ』「ファウスト」8.人生のまつただなかを大胆につかむことですね。やっている本人は、たいていは気がついていないのです。だから、あなたがつかむと、それがおもしろいものになる。いろいろな情景をならべて、ちょっとあかりをそえておく。きちがいだらけのなかに一すじの真理の光を投げいれる。それだけで最上の美酒ができるのです。みんながよろこんで乾いた喉をうるおしますよ。むろんつぼみのような青年たちがあなたの芝居を見に集まってきます。そして啓示にじっと耳をすまして聞き入るでしょう。わかい繊細なたましいがあなたの作品からメランコリィの朝露を吸うのです。のみならず、あれもこれもと感情が掻き立てられる。みんなは一人一人、自分のこころに持っているものを拾い出すのです。わか者たちはまだ泣くことも笑うことも知っています。感激に心をたかぶらせたり、色や形に心をよろこばすこともけつして忘れてはなりません。すでに出来てしまった人間は、何を持っていっても満足しませんが、これからという人間は、けっこうよろこんでくれますよ。178.われとわが身を修めることのできぬものが、かえって他人の意志を支配したがります。利己心と驕慢のためでしょう。
281.リンコイス(望楼守)[城の望楼の上で歌う]おれは見るために生まれてきた。見ることがおれの職分だ。塔の上からみると、世界はおれの気に入った。おれは遠くを見る。おれはまた近くを見る。月や星を。森や小鹿を。自然はすべて神の永遠の装飾(よそおい)だ。世界はおれの気に入ったがおれもおれの気に入った。幸福な二つの目よ、おまえの見たものは何が何であろうとさすがにみんなうつくしかった。
289.天使の群れみ使の群よ、天の族(うらか)よ、罪びとを免(ゆる)すために、塵に帰った命をよみがえらすために、翼をはって飛んで行きましょう。生きとし生けるものに、やさしい愛のしるしをとめましょう。きらきらする一群となって、空にゆるやかな輪をえがきながら。
12.人間は努力するかぎり迷うこともあるだろう。どうかすると、人間の活動はすぐたゆみがちになつてしまう。
「ヘルマンとドロテーア」388.人間の生涯や一生の運命を決めるのは、ただ一瞬間だけです。長評定をしたところで、決心はすべて瞬間の産物にすぎません。結局、分別のある人だけが正しいものをつかむのです。選ぶのにあたって、これやあれやとよけいなことに気をくばり、気持ちを乱すのは危険なばかりです。
筑摩世界文学大系47  モーパッサン『ベラミ』207.おのおのの人間はいわば小宇宙だ。しかもあらゆるものはやがて新しい芽の肥料となって完全に消滅する。植物も動物も人間も星も世界もすべてが生命を与えられ、やがて死滅して形を変える。そしてある存在は決して還らない、虫けらにせよ、人間にせよ、また遊星にせよ!『クロシェット』 すべてものごとを単純に大まかに見ていた。町のいろいろな出来事を私に話してくれた。牛小屋から逃げ出した牝牛が、ある朝、プロスペル・マレの風車小屋の前で、木製の風車の翼がまわるのをながめているところをみつかった話とか。
ツルゲーネフ散文詩』 昭和二十六年 角川文庫25.「耳傾けよ、愚かしき者の審判に……」プーシキン 仕事をつづけるがよい、自己を弁明しようとしないがよい……ましてや、より公平な評価を豫期することなどはしないがよい。153.處世訓安らかに暮らしたいのか? それなら人々と交わるがよい。けれどひとりで生きるがよい。何ごとも企てず、何ものにも未練をもたぬがよい。幸福に暮らしたいのか? それなら懊悩(くるし)むことをまなぶがよい。169.愛への道 あらゆる感情は愛に、情熱に帰することができる。嫌悪も、憐憫も、冷情も、尊敬の念も、友情も、恐怖も―また憎悪すらも。そうだ、あらゆる感情が……けれどただ一つの例外がある。即ち感謝の念である。 感謝は負債(おいめ)である。すべての人々は自身の負債を返す。しかも、愛は―金ではない。
文庫クセジュジャン・リュデル『絵画の技法』白水社 一九九五、四5.材料の選択やそれを使いこなす技量抜きにしては作品は存在しない。113.モーリス・ドニの有名な警句「絵画とはまずある秩序をもって集合された色彩によつておおわれた平面である」117.全画面の三分の二に相当する濃い色面に対して残りの三分の一は明るい色面を配するとする。芸術家の力は、これら色面の分割や集中化のうちに確実なものとなる。しかし構成というものはまさに植物的で活きた有機体であるかのようである。119.すべての構図は、色彩の配置と、しばしば全体的なデッサンとかその下部構造(骨格)などの構成の模索にも依存する。120.青と赤のあいだにそれぞれ削除できない一五〇の色がある。(略)顔料の方にはほぼ一〇〇色ほどの違った色がある。しかし使うのはずっと色数が少ない。122.絵画では、絶え間ない置き換え(人はそれを「画家のヴィジョン」とも呼んでいる)が現出しているが、特別な法則が存在するわけではなくて、しばしば一時的に規則化され、しばしばある時期に支配的であった個性的な色群(パレット)の影響に従属するある量の経験があるのである。(略)重要なことは、ある作品が本質的に色彩の二つの状態から成り立っている。(略)全体を支配する色彩を帯びた環境と、あるいはある数の色斑あるいは主調色が認められる構成的な色面である。(略)これらの概念は、芸術家が「評価」という語から出発して、多かれ少なかれ言及する一種の「規則(コード)」を形づくる。すなわち、「色合い」(色相)は色の種類の意味し、「飽和」は純粋さの度合いを、「色価」は光の量を、色調(調子、幅や奥行、黄―より強い、赤―より幅広い、青―奥深い)はその強さを意味する。(略)絵画芸術とは、本質的に、主として彩色材を使っての制作にはじまる諸関係のしばしば個性的な体系の芸術である。
『明治の文学 第12巻 露伴』 何の、世は際涯(はてし)なく長いものぢゃ、気をゆるりと持って終局(つまり)は善人とならうと心がけて居ねば、汝(きさま)の所行も好かったでは勿論無いが、其儘突きつめた了見を出すとは詰まらぬ話し、気を静めてのろりと世間(よのなか)は渡るがよいぞや227.成程と気がついた其後は自分でも少し箆(の)太すぎるとおもふほど腹を濶(ひろ)くして、臆病者のやうに意(き)は注(つ)けながら悪人と見ゆるほど大胆に年月(としつき)を経て来た何十年、何(どう)やら今は夢見も悪うは無く、其日其日の空の光を有り難う楽んで行かるるやうになつて来た、悪い分別はつけぬ、最(も)少し堪忍(がまん)といふことをして自分の苦悩(くるしみ)に耐へ、悪業(ごう)の報(むくひ)を果たして善根の種を撒け、(略)自分で仕出かした事に萎(ひる)むで退(の)くやうな事ならば何日(いつ)往生が出来るものぞ(略)

『音楽家になるには』 ぺりかん社<イタリア>ヴィオッティ国際音楽コンクール(1950~毎年)<ドイツ>ミュンヘン国際音楽コンクール(1952~毎年)<スペイン>マリア・カナルス国際音楽コンクール(毎年)  フランシスコ・ヴィーニャス国際声楽コンクール(1963~毎年)<ギリシャ>マリア・カラス大賞(二年に一回)<ベルギー>ベルギー王国エリザベート王妃国際音楽コンクール(1951~二年に一回)<ロシア>チャイコフスキー国際コンクール(四年に一回)<日本・国際>日本音楽コンクール(1932~毎年)日本声楽コンクール(1989~毎年)国際オペラコンクールin SHIZUOKA(1996~三年に一回)J.S.G.国際歌曲コンクール(1985~三年に一回)<日本・国内>全日本学生音楽コンクール(1947~毎年)宝塚ベガ音楽コンクール(1989~毎年)
アイザック・スターン「曲に取り組むときは、かならず自筆譜を見るように。自筆譜にふれると、その作曲家の個性がより鮮明にわかりますよ。身近な想いで演奏ができるようになります」小山実稚恵「一流の演奏家はどんな状況のもとでも、絶対に水準以下の演奏をしない(略)演奏について明確なイメージをもっているから(略)その音楽を演奏することによって、客席に自分が伝えたい想いがあり、それがどんな悪条件のもとでも動かない。だから少しぐらい体調が悪かったり、気分がすぐれなかったりしても、ステージから客席に送られるメッセージの質は変わらない」「日本の若者は素直で、のみこみも早いが、自分の考え方、自分の意志というものがほとんど感じられない。そもそも音楽という芸術は、他人である聴き手を前に、自己を実現する行為である。そのことで相手に感動を与えるのが仕事であり、生きがいであるはずなのに、あの人たちの演奏からは、聴き手に語りかけるという姿勢が感じとれない。彼らはなぜ音楽家という職業を選んだのだろう。」天満敦子「楽器も、弓も、弦も、松脂のメーカーも、ヴァイオリニストやチェリストは原則として自分で選ぶ。先生や、先輩、友人など、他人のアドバイスを受けることもあるだろうが、決めるのはつねに自分である。このことを決して忘れないように。ひとまかせにしたり、他人のせいにしてはいけません。 自分の耳に聴こえる音と、聴いてくださっているホールの客席に届く声との間に、かなりの差があるのがふつうである。だから、良い音を楽器から引きだすためには、「良い音とは何か」を教えてくれ、次いで「良い音を出す方法」を教えてくれる名教師の個人教授をうける必要がある。自己流は絶対にいけない。自分の姿を自分が見ることはできないのである。 ヴァイオリンは自分で音をつくる楽器だから、音程も自分でつくらなければならない。どんな音程をつくるかで、演奏されている音楽の表情は千変万化する。音の名人、たとえばクライスラーとか、ハイフェッツとか、シゲティの録音したCDを徹底的に聴きこむことが、音程感覚を身につける早道である。最近の若いヴァイオリニストは、ピアノの平均律に慣れ親しんでしまっているから、だれが弾いても千変一律の、標準化されたおもしろみのない演奏になってしまう傾向がある。平均律のおとし穴から脱しなければ、聴く人を感動させる演奏はできない。 西欧クラシック音楽は和声を基礎として組み立てられた音楽である。ヴァイオリンなどの弦楽器は基本的には単旋律楽器であるが、自分が弾いているメロディーの背後に、作曲者がどんな和声づけをしているのかをつねに意識し、考えながら弾く様に心がければ、演奏される音楽は表情豊かになる。そのためには伴奏譜もしっかり勉強するくせをつけること。無伴奏の曲を弾くときは、自分で考えるか先生に教えを仰ぎ、和声がバックについているような気持ちで演奏すること。「見て習う」ことが上達の秘訣である。」田村宏「どんなに音楽的才能があっても、基礎を身につけないかぎり、決して大成しない。基礎をいい加減のまま放っておくと、先に行けば行くほど自己流の悪いくせ、まちがったやり方が体に染みついてしまい、それを直すために、教える側も無駄な労力と時間を費やすことになる。だから、正しい基礎教育をしてくださる先生について、初歩のうちにせいとうてき、合理的奏法を身につけること。 合理的な近代奏法とか、楽譜を読んで曲を正しく理解するための楽理(音楽理論)とかいうものは、音楽をのせるための土台。(略)基礎がしっかりしていなかったら、良い音楽にはならない。 良い教師を見つける最善の方法は、門下からどれだけ良いピアニストを世に出しているかという実績調査である。 教師が教えられるのはあくまでも基礎まで。土台の上にのせる音楽は、各自が努力してつくりあげるべきもので、他人に教えられるものでもなく、教わるものでもない。「よく自分の音を聴いて、歌いなさい」「それは無理のない自然な腕の動かし方をマスターすることによって可能になる」「そのためには、良い音をたくさん頭に詰め込んでおくこと。」「もっとも効果的なのは、オーケストラを聴くことである。オーケストラにはいろいろな楽器が入っているから、それを聴く機会を小さなときからできるだけ多くもつように」片野坂栄子 歌手にとっていちばん大切な、「自分の声が客席にどう届き、どのように聴こえているのか」ということがらの確認は、他人にやってもらう以外、方法はないのである。それが声楽家に個人教授が必要な理由だが、欧米では歌の先生のほかに専門のボイス・トレーナーがいて、どんな有名な歌手でもたとえ大家といわれる人であっても、舞台生活を続けるかぎりその人のコーチを受け、お世話になるのが常識とされている。 ホールで歌うときは歌手がステージに立ち、ボイス・トレーナーが客席のいろいろな位置を動いて、声がどのようにホール全体に届くかを確認し、歌い手にアドバイスをあたえる。歌手にとって"自己流"は禁物。―このことを肝に銘じて、忘れないように。 楽器である自分の声帯、いや肉体のすべてをくしして、神に授かった歌唱能力を限界まで発揮させるためには"テクニック"、つまりすぐれた歌唱技術を身につけなければならない。いちばん大切なのは、良い先生につくこと。

「蝶を夢む」 萩原朔太郎 内部への月影 暗く憂鬱な部屋の内部をしづかな瞑想のながれにみたさう。
書物をとりて棚におけ
黒いびらうどの帷幕(とばり)のかげを
きぬずれの音もやさしくこよひのここにしのべる影はたれですか。ああ内部へのさし入る月影階段の上にもながれ ながれ。
西部邁『学問』242.文明の真の力は、それ自身にたいして根本から疑念を寄せつつそれを虚無に至らせないために、根本からの信念を求める、という平衡感覚にこそ宿る。その感覚を養う場所はたしかに大学のはずである。248.右翼のであれ左翼のであれ、青年期のイデオロギーをそのまま持ち長らえるのは、その人の精神が変調をきたしていることの現れとみたほうがよい。 しかしその人の精神の根深い性質は、実は、変わりようがないのである。幼虫も蛹も蝶のそれでしかないように、人の意見・立場は現象面でどう変わろうとも、その「変わり方」においてその人の本性を一貫させずにはいられない。人間の現実的な存在は日常生活の仕組につながれており、社会の制度に制約されており、時代のイデオロギー(観念体系)に影響されている。 それは実際的で、硬直的で、安定的な心身の在り方である。 その在り方に距離をおいて、つまり既成のものが「立脚しているところの外へ」出ることによって、できるだけ虚心坦懐に自分自身を眺めてみれば、そこに何がみえてくるか。 既存の仕組・制度・体系に閉じ込められていた自分の在り方の限界、その在り方における自分の感性や理性の構造、それらは仕組・制度・体系の抱えている危機、とりわけ「死」を予期せざるをえないという不安の意識において(意識を成り立たせている)言葉の意味に訪れる危機、その危機を乗り越えようとする際に浮かんでくるであろう物事の本質にかんする直感や歴史の伝統にかんする思念や超越(神仏)にかんする良心のはたらき、そうした「実存」が自分という主体の意識の意識化にかかわってきた思想の歴史を解釈するという手続きを踏めば、そして人間の現実的存在の総体ともいうべき「状況」と対決するという姿勢で臨めば、自己の意識のなかに幽閉されるという恐れを回避することができる。(略) 自分の意識がいかなる根拠で存立しているかを問えということだ。 それを問うてみれば、意識の垂直線の上方に超越が、その下方に(死にゆくものとしての)身体が浮かんでくる。 そしてその水平線については、その在り方に歴史が、そして右方に状況が浮かんでくる。 こういうことに思いを致さずに、すでに惰性と化している意識で自分とその環境を分析するのは精神の「技術化」である。「単一思考パターンへの馴化」である。 その意味で、実存哲学は思想の治療法であり続けている。258.一見したところ正当の説に反(パラ)していて不条理つまり背理とみえるが、よく考えてみると真理である説、それがパラドックス(逆説)である。(略)俗説の嘘をあばくのが逆説であり、逆説は、人間心理と社会せて度に葛藤が渦巻いているということを押さえておけば、―それを押さえられないのが俗説であるのだが―この世に偏在しているとわかる。「苟も倫理的に、ある程度の修養を積んだ人でなければ、個性を発展する価値もなし、権力を使う価値もなし、又金を使う価値もない」漱石
世界の名著56『マンハイム オルテガ』 昭和46年 中央公論社オルテガ 「大衆の反逆」418.生はそれ自身の世界を選択するのではなく、生きるとは、そのまま、決定された交換できない世界のなかに、つまりいまこの世界のなかにあることである。世界はわれわれ全体を構成する宿命の広がりである。(略)宿命は、われわれに一つの軌跡を強いる代わりに、種々の軌跡を与える。そこで、われわれは選択を強いられるのである。(略)生きるとは、われわれが自由を行使することを、つまりこの世界のなかでわれわれがそうなろうとするものを決定することを、宿命的に強いられていると感ずることである。ほんの一瞬といえども、われわれの決定の行為を休むわけにいかない。成りゆきにまかせようとするときさえ、決定しないという決定をしたわけである。 だから生において《状況が決定する》というのは嘘である。それとは逆で、状況とは、つねに新しいディレンマであって、それに直面するたびに、われわれは決定を行わなければならないのである。だがともかく、じつさいに決定するのは、われわれの人格である。 これらはすべて、集団の生にもあてはまる。(略)普通選挙においては、大衆は決定するのではない。その役割は、少数のいずれかによる決定に賛同することにあった。(略)今日では、まったく違うことが起こっている。大衆の勝利がもっとも目だつ国々(略)の社会的な生を見ると、ここでは政治的にはその日暮らしであることに気づいて驚いてしまう。(略)この政府は、その日暮らしで、ようようたる未来を予想させるでもなく、未来の明快な予告をするでもなく、進歩と発展の結果を予想させるなにかすぐれたもののはじまりであるようにも見えない。簡単にいえば、生のプログラムもなく、計画もなく生きているのである。自分がどこに行くのかもわからない。なぜならば、厳密にいって、どこに向って進むというのではないし、予定された道、つまりまえもって決められた軌跡ももたないからである。(略)その活動はせいぜい、時々刻々に起こる紛争を避けることにある。紛争を解決するのではなく、糊塗策によってすぐあとにもっと大きな紛争が出てくるのも意に介さず、いかなる手段を用いてでも、紛争から逃れようとするのである。 公権は、大衆が行使するとき、つねにこのようであった。全能でありながら、一時しのぎなのである。大衆人とは、生の計画がなく、波間に浮かび漂う人間である。だから、かれの可能性と権力とが巨大であっても、なにも建設しない。426.一般人は、技術的、社会的にこれほど完全なこの世界に生きているので、それを自然がつくったのだと信じており、それを創造できたのは、卓越した人々が努力してくれたおかげだということをけつして考えない。(略)すべての生活の便宜は、いつでも、人々の激しい努力に支えられているのであって、その人たちがちょっとでも失敗すれば、すばらしい建物はたちまちに消え失せてしまうのだという考え方を認めることはないであろう。(略)現代の大衆的人間の心理分析表に二つの重要な特性を書きこむことができる。生の欲望の、したがって、かれの性格の無制限な拡大と、かれの生活の便宜を可能にしてくれたすべてのものにたいするまったくの忘恩徒である。この二つの特性は、甘やかされた子供の心理を構成するものとして、よく知られている。そして、じつさいに、現代の大衆の心をのぞくのに、子供の心理を対照として使えば、まちがうことはないだろう。きわめて長い、また慈悲深い―霊感と努力を惜しみなく使った―過去の継承者である新しい平民は、周囲の世界から甘やかされてきた。甘やかすとは、欲望を制限しないこと、なにもかも許され、なんの義務もないという印象を、人に植えつけることである。この体制に置かれた子供は、自己の限界を経験することがない。周囲にあるすべての圧力や他人とのあらゆる衝突をとりのぞかれているので、本当に自分だけが生きていると信ずるようになり、他人を考慮しないこと、とくに自分よりも偉い人を考慮しないことに慣れてしまう。 他人の優越性にたいする感覚は、かれよりも強くて、かれにある欲望をあきらめさせ、自己を制限し、抑制することを強いる人があってはじめて与えられるのである。そういうことがあれば、次の根本的な教訓を学ぶことになろう。「ここで私は終わり、私より能力のある人がはじめる。世界には明らかに二種類の人間がいる。それは、私と、私よりもすぐれた他人である」 他の時代の平均人は、この根本的な知恵を、世界からしじゅう教えられた。428.かれらは自分の福利にしか関心がなく、同時に、その福利の原因とは無縁である。恩恵の背後には、大きな努力と細心の注意でもってはじめて維持しうる発明と建設があったことがわからないので、自分の役割は、その恩恵をあたかも自然の権利のようにしつこく、また有無をいわさず、要求することであると信じている。食料が不足して起こる暴動のさいに、一般大衆はパンを求めるのだが、なんと、そのやり方はパン屋を破壊するのがつねである。この例は、今日の大衆が、かれらを養ってくれる文明をまえにして、広範な、複雑な規範で反応する行動の象徴として使うことができる。 勝手にさせておけば大衆―それが平民だろうと〈貴族〉だろうと同じことである―は、生きることに一生懸命になって、かえって生の根源を破壊する傾向がつねにある。468.人間が精いっぱい、とことんまでがんばることのない、いいかげんな態度で生きているところには、かならず道化芝居がある。大衆的人間は、ゆるがない運命の土台の上に足を踏みしめることがない。むしろかれは、宙ぶらりんの虚構の生をむなしく生きているのである。今日、重さも根もない生―運命の根無し草―がきわめて軽薄な風潮によって、いとも容易に押し流されているのは、そのためである。432.高貴な人とは、努力する人、または卓越した人ということに相当する。433.年をとるにしたがつて、大部分の男は、―そして女も―、外的な強制への反応のように、否応なく押しつけられる努力以外には努力する力がないことに、いやというほど気づくであろう。だからこそ(略)自発的な、はなばなしい努力をする能力がある一握りの人々は、われわれの経験のなかでますます孤立し、まるで記念碑のような印象を与えるのである。(略)その人々にとっては、生きるとは、永続的緊張であり、たえざるトレーニングである。(略)かれらは行者なのである。439.理由を述べて人を説得しようともしないし、自分の考えを正当化しようともしないで、ひたすら自分の意見を押しつけるタイプの人間が現れたのである。(略)意見を吐きたがるが、意見を表明するための条件や前提を受けいれることはいやがる。443.大衆は(略)大衆でないものとの共存を望まない。450.哲学とは、それが自分の存在を疑うところからはじまり、自分の命をすりへらしながら生きる以外生きる道がないもの458.ボルシェヴィズムとファシズムは、二つの偽りの夜明けである。明日の朝をもたらすのではなく、何度も経験された昔日の朝をももたらすのである。それらは、原始主義なのである。過去のすべてを消化する方向をとらずに、その一部分をと格闘をはじめるような単純さに陥る運動はすべて同様であろう。461.今日、あらゆるところを歩きまわり、どこででもその精神の野蛮性を押しつけているこの人物は、まさに人類の歴史に現れた甘やかされた子供である。甘やかされた子供は、遺産を相続する以外に能のない相続人である。466.運命―生としてそうあらねばならないか、そうあってはならないか、というもの―は議論されることはなく、われわれはそれを受け入れるか否かしかない。もし受けいれれば、われわれは本物であり、受けいれなければ、われわれは自身を否定し、偽造することになる。運命はわれわれがしたいことのなかにはなく、むしろ、したくないことをしなければならぬというわれわれの自覚のなかに、その厳格な横顔をくっきりと表すのである。 堕落、卑劣は、そうであらねばならぬものになることを否定した人に残された生き方にほかならない。かれの真の本質がそれによつて死ぬのではなく、影となり霊となって彼を弾劾するのであって、こうして、かれが担わねばならなかった生に対比して、じつさいに担っている生が劣っているという劣等感をたえず覚えるのである。堕落した男は、生きている自殺者である。468.人々が選択し公然と唱えているほとんどすべての立場は、本質的に欺瞞である。かれらの唯一の努力は、自己運命を回避し、運命の明らかな姿に目をつぶり、その内奥の呼び声に耳をふさぎ、自分がそうであらねばならなぬ姿と対面するのを避けることにある。ふざけて人生を送っているのだ。自分でつけている仮面が、悲劇的であればあるほどふざけているのである。486.支配とは権威の正常な行使である。それは、つねに世論に基づく499.支配と服従の機能は、すべての社会で決定的なものである。だれが支配し、だれが服従するかという疑問が社会にくすぶっているかぎり、それ以外のすべてのことも、乱れてぶざまになる。512.(国家をつくろうとする)衝動は、どんな方よりも実質的であり、また、ちっぽけな血縁社会に可能な事業よりも大きな、生の事業を目標としている。すべての国家の草創期には、いつも、偉大な事業家がじつさいに現れるか、あるいは、その存在が推測されるのである。

山田弘明訳『デカルト=エリザベト往復書簡』講談社学術文庫85.現れてくる物事を私に最も快いものにしてくれる角度から眺め、私の主要な満足は私にのみ依存するようにするという、常に私がもっていた性向のおかげで、私には生まれつきであるかのようであった不調は、少しずつ完全に消え去った様に思われます。133.われわれが住んでいる土地のあらゆる風習をも個別に調べて、どの程度までそれにしたがえばよいのかを知るべきことだけです。そしてわれわれは、あらゆることについて確実な論証をもつことができないにせよ、しかしながら実生活で起こるすべてのことがらに関して態度決定をし、最も真らしく思われる意見をとらねばなりません。それは、行為をすることが問題であるときには、決して優柔不断に陥らないようにするためです。(略)[スコラの]学院で「徳は習慣である。(略)

美学特殊講義古代後期・中世世界の音楽
1.聖書に見る音楽:宗教と音楽の関係1. 宗教と音楽その(普遍性)必要性とさまざまに設けられる制約キリスト教:典礼(宗教的儀礼)における音楽の位置・質の変化1.1旧訳聖書(B.C5ごろ)/新約聖書(A.D1後半)音楽的記述の量的差異(旧約:ソロモンの雅歌、詩編、哀歌など/新約:少ない)→Rコロサイの信徒への手紙(3・16)、エフェソスの信徒への手紙(5・10)/ヨハネ黙示録(8~9)→P1.2初期キリスト教における音楽の位置教父たち(4~5C)の音楽への態度音楽を用いることに反対:例)ヒエロニムス(5C)「音楽の使用は異教の儀式を思わせる」沈黙と記憶によって主を称える」賛成・積極的:アンプロジウス(4C)、ヨハネス・クリュソストモス(4C後半)、大バシレイオス(4C)→P音楽:「声のみ」(楽器、踊りはダメ、音楽から感覚的喜びを得るのもダメ)→初期キリスト教聖歌(P)「禁欲」の由来2.アウグスティヌス(354~430)2.1主要著作『告白 Confessiones』→Pキリスト教と音楽との関係で繰り返し現れる問題2.2音楽論『音楽論 De Musica』「Musica est scientia bene modulamdi」bene:良く→倫理面における「正しさ」、美的な「美しさ」何に対する「modulandi:調節」か?音楽から広がる人間に対する洞察の学(哲学):学問としての「音楽」3.ボエティウス(480?~525)3.1音楽の三分法「musicaは音の高低の相違を感性と理性で考察する学問である」・三分法①musica mundana:macrocosmosのharmonia/天体のmusica感覚的には聞けない音楽/理性で実在を知る音楽②musica humana:microcosmos(人間)のharmonia/魂のharmonia魂と肉体、霊的・心的力の調和③musica instrumentalis:musica sonora(鳴り響く音楽)自然的・人工的器官(organ)による音楽:声楽・器楽「数的音楽論」の再現中世、ルネサンス音楽理論の「定番」3.2中世の芸術観とムシカ7自由学課:septem artes liberalesのひとつに音楽artes mechamicae(職人的技術)とarts liberales音楽家(musicus):ハルモニアの知識を持つ理論家4.実際の音楽実践と音楽像4.1古代後期の「楽器」の一例水オルガン(ヒュドラウリス):B.C3~世俗的楽器から宗教的楽器へ(中世初期)4.2宗教音楽*初期キリスト教聖歌から発展した宗教音楽(1054年に分離)カトリック:大グレゴリウス(590~604)による「グレゴリウス/グレゴリオ聖歌)の成立多声化:初期オルガヌム(9~11C)/ノートルダム楽派ほか(12~13C)/アルス・アンティクワ(13~14C)/アルス・ノヴァ(14~15C)東方正教会:ビザンティン帝国(1453まで)の音楽4.3世俗音楽(宗教音楽と対比しての)12世紀ルネッサンス:トルバドゥール(11C/南仏)/トルヴェール(12C/北仏)ミンネゼンガー(独語圏)/ビザンツ他の宮廷音楽 
中世的音楽観の終焉・近世初頭の音楽観1.中世的音楽観の終焉1.1ヨハネス・デ・グロケオ(グロケイオ)1300年頃パリで活躍『音楽論』:ボエティウスの三分法の否定「聞こえない音楽の音楽論」から「聞こえる音楽を対象とする音楽論」へ(現代的な意味での「音楽論」の始まり)1.2ヒルデガルト・フォン・ビンゲン(ドイツ、1098~1179)女子修道院の院長:宗教者+芸術家(神秘主義的傾向、「原宗教的」ユングニューエイジ思想家などからも今日的な注目) 神学、美術、演劇、音楽、文学……を横断・統合する「総合性」(女性作曲家の元祖的存在)「女性性」の強調ヴィジョン(幻視)の図像:マンダラ的、「異教的」性格音楽:倫理劇《Ordo virvitum(さまざまな徳)》没後1世紀近く上演
2.近世の音楽観*音楽と「情緒」「感情」との結び付き2.1ルネ・デカルト(1596~1650)『音楽提要(compendium musicae)』(1617)(私の精神が生んだ月足らずの子ども」)「音楽の対象は音である。その目的は人と楽しませ、私たちのうちにいろいろな情緒を呼び覚ますことにある」←音楽の対象として「音」「その知覚」歌:「快い歌」「悲しい歌」「悲しいと同時に快い歌」音の特性の2種:持続の特性、高低の特性私たちの精神に最も適したものとしての「声」対象としての音:「あまりに難しく、漠然としたものではならない」「あまりに単純なものであってもいけない」音程論:5度=最も協和的、3度=「鋭い」、8度=「弱い」専門性の認識:音楽の専門的議論=「自然学者たちの追求すべき問題」2.2ツァルリーノ(ザルリーノ)(1517-1590)『音楽提要(Le istitutioni harmoniche)』(1558,73)「理論編」「実践編」両者は不可分に結び付いているcf.建築の「理論」と「実践」、絵画の「理論」と「実践」「教会旋法」の区分音程論:「三度」「六度」を「協和音程」に位置付ける理論的努力2.3マルティン・ルター(1483~1546)宗教面での業績(ドイツ語訳聖書、『ドイツ・ミサ』)/宗教音楽面での業績(ドイツ・プロテスタントにおける音楽の位置付けを決定、「もしも私が神学者にならなかったとしたら、きっと音楽家になっていたにちがいない)『音楽礼賛』(1521)音楽:神がすべての被造物に与えた美しく高価な賜物(「鳥」のすばらしさ、詩編104 ダビデ王)/人声の独自の性格音楽の効用:音楽は人間の心情の動きのすべてを統合する働きがある(教育的効用の強調)「自然の音楽 naturliche Musica」:「技術 Kust」によって洗練されることで大いなる、完璧な神の技の一端が出現する多声的な言葉:感動しない者は「粗野な愚物」2.4バロック音楽の音楽観=音楽による修辞調性格論:調の性質。ethos論の再現。音型と表現の関係:別紙プリント参照。音楽観:理論書の領域。2.5ジャン=ジャック=ルソー(1712~1778) 単純で素朴で技巧が排除された音楽が理想 歌曲と対話が重要な音楽*音楽美学史(哲学史)上まれな「composer=philosopher」(残る二人はニーチェアドルノ)*「音楽は、私にとって恋とならぶもうひとつの情熱であった」(『告白』)*音楽に関する著作:『フランス音楽に関する書簡』(1753)『音楽辞典』(1768)『百科全書』の「音楽」に関する項目の執筆「フランス語は歌唱芸術に適さない」 舞台芸術としてのオペラ、イタリアから発祥現状批判:「革命」の準備理想社会としての人間の幸福な「自然状態」「原初の状態」(「夢」「歴史」への待避):ロマン主義への準備*作曲家としての代表作:オペラ《村の占い師》(1752) 男女が出てきて、最後に結ばれる 登場人物、3人と合唱「技術の排除」:単純さ、自然さ、「耳に快く響く」旋律、歌曲と対話(アリア(歌)とレチタティーヴォ(楽器がうしろで和音を奏でる時歌う)の代用)→この中のパントミム(パントマイム、黙劇)の音楽が変形されて《ルソーの夢》《むすんでひらいて》に  オペラに欠かせないものがバレエ、ルソーには不自然でパントマイムとしたベートーベンやマーラーを小児に聞かせるのはどうか、もっと平易な音楽がよいのではないか。
*ブフォン論争に関与:グランド・オペラ(重厚な内容のオペラ、神話・歴史などの叙事的内容)とオペラ・コミック(軽い内容のオペラ、市井の物語、ルソーはこちらを支持)をめぐる論争
3.excursion:18世紀後半→19世紀の音楽状況の変化*音楽と音楽状況の歴史的変化「職人芸」ではなく「芸術」としての音楽の誕生(ウィーン古典派)楽譜の大量出版「批評」(ジャーナリズム)の発生 18C後半までは音楽理論書のみであった作曲家における「著作」の位置付けの変化(作曲家による「音楽論」「音楽家に関する著述」の出現) 大々的にやったのはロベルト・シューマン*器楽の自立 アップライトピアノの出現19c フルート 18C木の笛→19C金属楽器の性能の飛躍的向上(背後:産業革命、工業テクノロジーの進展)声楽と器楽の位置付け声楽>器楽(情緒説)→器楽の「感情表現」の独自性の主張(感情美学)
4.感情美学と音楽の自立化(18世紀後半~19世紀前半)  感情の表出 突出した音楽的才能の持主  天才の概念もこの頃。18Cまで歌、19C楽器(性能がよくなってきた)  *音楽=感情の表出(x「情緒の表現、模倣」)ロマン主義者たちの「音楽崇拝」:19世紀の芸術における「音楽志向」 ショパン、リスト ベートーベンも19Cに入ってからはロマン主義的な影響を受けている 弦楽四重奏曲当時の著名な音楽家でも理解できなかった ベートーベンは中期以降、「苦悩」から「歓喜」へ
*音楽の自立化自立した職業的音楽家の誕生音楽の純粋化・抽象化:「器楽による音楽」→「絶対音楽」の誕生「絶対音楽」vs「標題音楽」「内容」か「形式」か(不毛)5.ウィーン古典派・ドイツ観念論のなかの音楽*音楽家の地位の変化「音楽はいかなる叡智や哲学よりも高い啓示である」(ベートーヴェン)「精神的自由」の表現としての音楽*ドイツ観念論の「音楽」の位置付け低い位置:カント(聴覚の位置付け:「反省」か「感覚の戯れ」を促すのか)、シェリング高い位置:ヘーゲル(「象徴的」「古典的」「ロマン的」芸術形式)「ロマン的」=理念が形態(形式)との統一を踏み越え、精神の内面へと戻って行く芸術的・精神的状況
6.エドゥアルト・ハンスリック(1825~1904) 絶対音楽を根拠づける理論を編み出した*『音楽美論』(1854)岩波文庫:感情美学への批判、近代以後の音楽観の準備「音楽の内容は鳴り響きつつ運動する形式である」→「絶対音楽」の根拠づけ内容⇔形式Inhalt Form                 Form 「かたち」我々はメロディーラインをかたちとして認識している    Content Form↓無化
音を素材にして作って行くといえる素材⇔形式、姿かたち 作曲、音を組織することの定義
19世紀まで情緒の表現→絶対音楽ではこうは云い切れぬ 何十分の長い音楽で一つの感情を表現し続けるのは難しい
ヨーロッパは都市ごとに考えた方がよい
オペラ 1600年代にフィレンツェ古代ギリシャの演劇を復活させる目的でできた。
能 室町時代、五番能、長いので能と能のあいだに狂言をやった
モーツァルトザルツブルグ宮廷音楽家(社会的身分は召使と同じ)、1781~フリーランス、自由芸術家ベートーベンあたりになると、音楽家は芸術家になる。本人も自信をもっている。自由に音楽活動ができるようにパトロンを変えた フランス革命前くらいは庶民の一番の娯楽はオペラ。これにこたえて書いていたのがロッシーニなど。ウィーンの主要な劇はロッシーニばかり。パート譜書いた人もいたらしい。ベートーベン→弟子が19Cに書いた モーツァルトも手紙に音楽に関するものを書いた。
詩編など詩があるから歌われていたのではないか
古代中国は音楽理論が非常に盛んだったが文献のみ
古代ギリシャの楽器の復元 1998年ギリシャで復元 アレクサンドリア クテシヴィオス(細工師)発明
教会のパイプオルガン16C位に入る だんだん巨大化してくる 19C~蒸気
9.10.11c クセレゴリオ聖歌 集大成されてくる 9C《モサラベ聖歌、統一的歌われ方ない》スペインの南北で歌い方違う 唄われかたは修道院ごとに違う9Cは単旋律 12-13Cの三声部の歌い方と違う
12Cのビザンティン世俗音楽イオニアス ククゼリス12c Ionnis Koukouzelis聖地アトス山「聖山」(ギリシヤ中央の半島の山?)ギリシヤ正教以外の人は男でも四月しか入ることができない。女性はウラヌポリス(天の街)までしか行けない「オオパニカロス:パニ、非常に、カロス、美しい、良い」アラブ、トルコのような雰囲気、メロディラインそのものはモサラベ聖歌とそれほど変わらない